珈琲野郎のコーヒー宣言 コーヒーにもマスコミ公害!!


1973年7月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1973-7-150-240

【デパートだけが安い??】


 去る5月の読売新聞の朝刊婦人欄に「コーヒーの原価は9円」という見出しの記事が掲載された。
 この記事の中で、「安いのはデパートのコーヒー売場だけ」という私の談話が伝えられていた。
 じつをいうとこの談話はこのあとに「デパートが売値を上げさせてくれないので、納入業者は品質の悪い豆を混入して何とか原価を低くしようとしている。デパートの豆が安いのにはそんなカラクリがあるのだ」と続きがあったのである。
 結果的にみると、私の談話はコマ切れになり、私の思想と全く逆の方向を意味するものとなってしまったわけである。
 私にとってこの記事はすこぶる不本意であるが、天下の読売新聞サマにイチャモンをつけても勝ち目がないと思い、かつわれわれ庶民としては大新聞サマに名前を載せて頂くだけでありがたいと思わなければならないと思い、泣き寝入りすることにしたといえばかわいげがあるのだが、本当のことをいうとこのような加害者の立場は私にも大いに身に覚えがあるので文句がつけられなかったのである

【土佐の仇、江戸で討たれる】


 私がまだ高知大学の学生だったころ、私は学業そっちのけで放送記者のまねごとばかりやっていた。
 今では立派な放送局となった高知放送も当時はまだ駆け出しのラジオ局で、私のようなマスコミかぶれした学生なんかも、スポンサーのつかない報道番組なんかを結構制作させてくれたものである。
 今から思えば全くのひや汗ものだが、当時は正義の味方を自負して厳正中立なる番組を作ったものである。
 すなわち、その厳正中立というものは、自分の思想と合致するものであり、それにそぐわない意見があれば、容赦なくテープを編集して、自分の思想と合致するように作ったものである。新聞記事ならば、記者の間違いということもあろうが、ラジオだと本人の声を聞かせるので第三者に弁明の余地がないので罪が重い。
 そんな訳だから、いわば「土佐の仇を江戸で討たれた」ようなものであると思っていた。

【広告料で記事は変わる??】


 ところが、2,3日経って某新聞社のデスクをしている友人に会ってその話をしたら、彼のいうには、コーヒーなどということを取材するのは駆け出しの記者で、ベテランはトレーニングのつもりで若手にやらせている。だから、彼らが書いてきた原稿をデスクが大体において反対の意味に書き直すのが常識なんだろう・・・・・・であった。
 しかし、私の目から見ると、取材に来られたY記者はそんな若僧のようには見えなかったし、非常に理解力もあったし、世界的なコーヒー事情などについてもよく書かれていたので恐らくそんなことはなかったと思う。たぶん好意的に考えればデパートさんは沢山の広告を出しておられるのでその点の配慮をなさったのではないだろうか。経済・社会面では、デパート商法などについてずいぶん厳しくやっておられるようだから、もしかしたら婦人欄ではその埋め合わせをなさったのではないだろうか、などと考えられるが、どっちにしろ私がダシに使われるのはあまりいただけない。

【マスコミがもたらすもの】


 日本人はなぜかマスコミは厳正中立でなければならないと思っていて、マスコミに報じられることはすべて本当だと信じてしまう。
 外国だと、新聞だっていろいろな主義主張を公然と唱えていて、大衆もそれをよく取捨選択しているが、日本のマスコミはなぜか厳正中立を売り物にしているので、間違った報道は影響が大きい。
 だいぶ前にNHKの「今日は奥さん」で、コーヒーと紅茶の話を取り上げ、出演されたコーヒー振興委員会のKさんがコーヒーの淹れ方を説明されたとき、濃いコーヒーを作るには2度こせばいいと話されたのを見て、心臓が凍るような思いをした。
 おそらくこのテレビをご覧になった世の奥様方は、NHKのテレビでいったことだから間違いがないと思っていらっしゃると思う。
 こんなことをされては、われわれがいくら美味しいコーヒーを送り出そうと努力しても、まったくメチャメチャにされてしまう。
 コーヒー業界もようやく今までのトリッキーな商法から脱皮して、れっきとした食品産業として大きな飛躍を遂げようとしているがそんなときだけに、マスコミ関係者はひとつ、たかがコーヒーのことではあるが慎重に真実を報道してもらいたいものである。