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1972年4月~1975年4月 (株)日本珈琲販売共同機構 創業者 故 山内豊之氏 コラム 全36号

近くコーヒー代が大幅値上がりする? -知られざるコーヒー協定をめぐって- 


1972年9月・10月合併号 コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年9、10月
 去る8月14日から9月3日まで、ロンドンにおいて国際コーヒー機構の総会が開催された。この会議は珈琲生産国の代表と消費国の代表が、珈琲の輸出入割当てについて取決めをする会議である。
 われわれ巷のコーヒー党にとっては遠過ぎる話で、紋次郎バリにアッシにはカカワリアイのないことでゴザンスといいたいところだが、今回のそればかりは、日本のコーヒー党にとって注目すべき会議であったのである。というのは、この会議の動向いかんによっては、日本における珈琲の輸入価格が値上がりし、その必然的結果としてわれわれの珈琲の値上がりも避けられない事態となることが明白であったからである。円切り上げ、輸入品の値下げが叫ばれる今日、純然たる輸入品である珈琲が時代に逆行する値上げとは誠に不可思議な話であるが、これには一般のコーヒー党には知られない事情があるのである。
 国際コーヒー機構に加盟する消費国と生産国の間には、5年を単位として珈琲協定が結ばれている。その中にニューマーケット条項というのがある。これは、従来の日本のように珈琲の普及率の低い地域に対しては、生産国がその普及促進の目的をもって低級品の珈琲を安く輸出しようというものである。ところが実際にその制度を運用してみると、一応その効果により日本などの珈琲消費量の拡大は企てられたものの、他に大きな不合理を惹き起こすこととなった。というのは、アメリカ・ヨーロッパなど伝統的な市場に確固たる販路をもつ先進国はいいとしても、新市場にその販路を求めざるを得ない新興生産国にとって、そのニューマーケットなる条項は単に珈琲の安売りを強制させられる制度にしかすぎなかったのである。つまり、ヨーロッパなどに売込んでも買ってもらえず、仕方なく日本などへ売れば安値を強いられるという訳である。そこで、これら新興諸国は、この制度を撤廃しフリーな価格での取引を要求してきているのである。幸い今回の会議では、一応議題にはならなかったのであるが、しかし議題にならなかったということは、珈琲協定5年目の期限である来年9月をもって、ニューマーケット条項は次の協定より削除されることが既定の事実という考えが、関係者間において定説化されているからなのである。
 では一体、ニューマーケット制が撤廃されたら珈琲豆は輸入価格でどのような値上がりをするのであろうか。業界筋の一致した見方では、高級品は値上がりなし、低級品は100パーセント位、平均50~60パーセントの値上がりとなっている。従来の行き方であると、日本のコーヒー業界は、アート・木村・UCCの三者がプライスリーダーとなって大方の価格を操作することができた。ところがこれを契機に日本のコーヒー業界を一気に支配せんとする外資もあり、また、全三者も各々商社をバックに業界支配をねらっており、値上がり分を消費者に肩代わりさせることはないとみられているが、それでも20~30パーセントの値上げは避けられない模様である。
 さて、珈琲豆が値上げになったらわれわれの珈琲はどうなるのだろうか。ズバリいって、喫茶店の珈琲については値上げの口実にはならない。なぜならば喫茶店の珈琲代は大半が人件費その他の経費であるから、珈琲代の値上げは何ら問題とならないのである。
 では、店頭で売っている珈琲豆の値段はどうなるであろうか。その点については次号で詳しく述べたい。


コーヒー豆の値上がりは品質改善のキッカケ?-劣等品相場の日本市場-


1972年11月1日コーヒー党の機関紙「珈琲共和国」より
kyowakoku1972-11
 前月号で、コーヒーの輸出入取引にはコーヒー協定というものがあり、わが国はその協定の中で新市場指定という優遇措置を受けていることを述べた。そしてその恩恵も最近のわが国を取囲む国際状勢やコーヒー協定の自体の不条理から、来年10月には完全に失われることが必至になったことも述べた。また、これに関連してわが国のコーヒー豆輸入価格が大幅に値上がりしつつあることも述べた。
 さて、正直な話コーヒー豆の値段が上がろうがどうしようが、我々のコーヒー代さえ上がらなければ良いわけであるが、どうもこれを値上げの材料にしようという動きが、既にコーヒー豆卸価格の値上げが行われた北九州市の喫茶店あたりにはあるようである。
 喫茶店のコーヒー代というものは、その材料原価の占める割合が、味を売物の店で18パーセント、インテリアやサービスを売物の店では6パーセントなどというのもある位だから、コーヒー豆の卸値が上がったからって大して影響はない。
だから、コーヒー豆卸価格の値上げを理由にする値上げは単なる口実である。つまり何もコーヒー豆が上がらなくたって、公共料金が上がったとか人件費が高くなったとか、角さんの日本列島改造論のおかげで地価が高騰し家賃が上がったとか色々な理由で値上げの必要があるわけなのである。
 だから、コーヒー豆輸入価格の値上がりによって本当の影響を受けるのは、我らコーヒー党が家庭で飲むコーヒーなのである。
 話は新市場の問題にもどるが、この恩典によってわが国ではすべてのコーヒー豆を安い価格で輸入できたのかというと、そうではない。コーヒー協定ができた当時は世界的にコーヒーの生産が過剰であり、ブラジルなどはコーヒー相場の暴落でその国家経済に手痛い被害を被ったりした。だから、生産国側としても何とかコーヒーを消費してもらわねば困るし、そういった建前から生まれたコーヒー協定であり新市場制度であったのである。ところが最近では、過去の苦い経験に懲りたブラジルの脱コーヒー化政策の推進や、それに加えての霜害によって生産量が大幅に減少しており、世界的に見てコーヒー市場は、その主導権が消費国から生産国へ移りつつあるのである。従って、良質の値段の高いものなら何もワザワザ日本へ安い価格で売らなくてもヨーロッパ等伝統的市場国へ売れるわけで、よほどの劣等品でない限り我々へ新市場制度適用の低価格では売らないわけである。つまりこの恩典に浴していたのは劣等品ばかりであり、わが国のコーヒー輸入価格が安かったのは、劣等品を安く輸入しそれを良質のものに混入していたからなのである。
 世界的に舌がウルサイと自他共に認めてきた日本人が、コーヒーは日本のものが一番うまいとウヌボレていた日本人が、実が劣等品のコーヒーをタップリと飲まされてトクトクと能書を語っていたとは全くサマにならない話なのである。
 だから、値上げといっても実の話は品質相応の値段になるというだけの話であって、劣等品のコーヒーを混入することによって原価を安くし暴利を得ていた焙煎業者のウマミがなくなるだけの話なのである。
 今回のコーヒー協定をめぐる問題は、見方によってはわが国のコーヒー豆輸入価格における良質品と劣等品の格差をなくし、その結果としてわが国の市場に良質のコーヒー豆がどんどん輸入されて、我らコーヒー党にとっては朗報のキッカケとなるかも知れないのである。そのためには、我々は今後の焙煎業者の動きを二度と惑わされぬよう注意深く見守る必要があろう。


コーヒーの味より演出が売り物!! ―ブームを呼ぶコーヒー専門店―


1972年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年12月
 最近、コーヒー専門店と称する喫茶店が目立って増えている。日珈販の本部へも、毎日コーヒー専門店を新しく始めたいという方とか、コーヒー専門店に転業したいとかいう方の相談の電話や来訪がある。この調子だと今後もますますコーヒー専門店という店が増えていくであろう。
 我々コーヒー党にとって、コーヒー専門店が増えること自体は歓迎すべきであるが、日珈販に相談にこられる方たちのお話を伺ったり、コーヒー専門店と称する店の実体を見たりしていると、果たして歓迎すべきものかと考え込まざるを得ない。
 結論を言えば、コーヒー専門店と現在もてはやされている店の実体が、コーヒー専門店ではないからなのである。つまり、専門店なら専門店として、専門のノウハウを持たなければならないのに、それを持ち合わせている店は皆無に近いと思う。
 たとえば、コーヒー豆の品質に関していえば、一口飲めばアフリカ産のロブスター種という劣等品が多量に混入されているのがわかるもの。生豆の段階で腐りかけているために焙煎後も腐敗臭が鼻をつくもの、豆の芯まで火が通らず生の大豆のような味のするもの、豆の古いもの、あるいは今どき手焙き等やっている業者なんか一軒もないのに焙煎業者の口車にのせられて手焙きだと宣伝(飲めば熱風焙煎とすぐわかる)するもの等、業者の言いなりで品質管理の能力に欠けるものが大半である。
 またコーヒーの調理についていえば、ペーパーフィルターやサイホンで抽出されたコーヒーは、変化がネル布のドリップ法で抽出されたものより非常に早いという初歩的な常識すら無視して、ペーパーを使った自動抽出機で抽出したコーヒーをその保温プレートの上に放置したり、サイホンでまとめて抽出したものを、アルコールランプであぶりっ放しにしたりして平気である。これらのコーヒーは抽出後5分以内に提供すべきであること位、コーヒー専門店の看板をかかげる以上、絶対に知ってもらいたいと思う。筆者があるコーヒーの美味しいことで高名なコーヒー専門店でコーヒーを注文したところ、目の前で自動抽出機で抽出したコーヒーをアルミの鍋で沸かし直して提供されたことがある。このときなど同業者としてまさに顔から火の出る思いであった。また余談ではあるが、コーヒー専門店と称する店の中で、サイホンコーヒーを売り物にする店が非常に多い。ところが、これらの店の方たちが本当にサイホンというものを知っているのだろうかと思う場合が多い。
たとえばサイホンで淹れたコーヒーが濁るのは何故か、とか、サイホンには生豆のときに配合して煎り上げたコーヒーの方が味が安定するのは何故か、とかいうことに専門的に答えられるのだろうか。ヒドイ店になるとフラスコに水を注いでいるが、これなんかはサイホンの湯が上昇するのは、フラスコに密閉された空気の圧力が上昇して湯を押し上げるのだというサイホンの原理すら知らないということである。
 以上のように考えてみると、コーヒー専門店と称する店の本質がコーヒー専門店でなく、タダの喫茶店にすぎないということがわかってくるのだが、それでは最近のコーヒー専門店のハヤリ方はいったい何に起因するのだろうか。
 それは一口に言って、コーヒー専門店の持つムードが客にうけているのである。
いかにもコーヒー屋らしいという色彩やインテリアが現代人の好みに合ったということなのである。コーヒーが美味いからそこに行くのではなく、ムードに惹かれて店に行き、専門店のコーヒーだから美味いと錯覚するだけのことなのである。それが現在のコーヒー専門店ブームの本質である。

コーヒー野郎のコーヒー党宣言  本物のコーヒー飲みになろう!!


1973年1月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1973年1月
 あけましておめでとうございます。
 昨年中は御愛読をいただきましてありがとうございました。今年も引続きよろしくお願い申上げます。
 さて本号からこの欄はコーヒー野郎のコーヒー党宣言とタイトルを変え、私山内豊之が歯に衣を着せないでズバリズバリと書かせていただくことになりましたが、口を開けば角が立ち、人の嫌がることをズケズケ言わぬと気の済まぬ私のことゆえ、イチイチひっかかる論法も多いかと存じますが、その節はドシドシ編集部なり日珈販の本部なりに御意見をお寄せいただきたいと存じます。紙面の許す限り本誌に掲載し、チョウチョウハッシと大いに論議を戦わせたいと思っています。特に、焙煎業者やコーヒー専門店を経営なさっていらっしゃる方の御意見を歓迎いたします。
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昨年12月6日付の日経流通新聞に興味深い記事が載っていました。芦田典介さん(トラベル・システムズ・インターナショナル)のレポートです。
 コーヒー天国のアメリカで若者達のコーヒーの飲用が減り、ソフトドリンクにとって代わられようとしているということなんです。
 その原因はまったくコーヒーそのものにあるのではなくパーコレーターとインスタントコーヒーの普及にあるのだそうです。前者には美味しいコーヒーを淹れる能力が全くないし、後者は本物の味にはほど遠い代物だということで、アメリカ人達はコーヒーの本当の美味しさを忘れてしまったということです。その結果ソフトドリンクの方へ移ってしまいつつあるのだということです。慌てたコーヒー会社では、学校やさまざまの集会に指導員を派遣して正しいコーヒーの淹れ方を教えたり、正しいコーヒーの淹れ方をしているレストランなどにゴールデンカップの表彰を行ったりして、美味しいコーヒーのイメージを取戻すのに懸命だそうです。
 最近日本のコーヒー専門店も、サイホンでコーヒーを淹れたり、インテリアや食器に粋を凝らしたりして客を誘引しているようですが、そんなことばかりに気をとられてカンジンのコーヒーの味をおろそかにしていると、アメリカのようにコーヒーが生活に定着している国でさえも前述の如きありさまですから、日本なんかすぐにコーヒーを飽きられてしまいます。しかし、考え方によれば、演出ばかりでコーヒー専門店のイメージを売込んで商売しているような店は、我々のようにコーヒーと心中しようとまで思い込んでいる珈琲野郎と違ってコーヒーが飽きられれば別の業種へ転向すればいいのですから気が楽です。そんな人達から見れば我々のようにコーヒーにムキになっている連中は馬鹿にみえるかも知れませんが、我々コーヒー党にとっては珈琲馬鹿野郎大いに結構といいたいところです。
 先日銀座で今評判のコーヒー専門店でコーヒーを飲みましたところが、色付カップの底が見えるくらい薄いのには驚きました。砂糖とクリームを入れると、まるで駅売りのコーヒー牛乳の薄いのみたいになってしまって閉口しました。コーヒー豆は売っていませんでしたが、恐らく豆で勝負する自信がないのでしょう。
 私は本当のコーヒー専門店の使命は、美味しいコーヒーと品質の良いコーヒー豆を提供することにあるのではないかと思います。
 皆さんも演出は演出として楽しむとしても、本物の味は目先にとらわれることなくジックリと自分の舌で味わってください。それが本物のコーヒー飲みというものです。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒーは粋に飲もう


1973年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
コーヒー値上げの波紋
珈琲共和国1973年2月
 毎度のように申し上げておりました国際コーヒー協定の新市場問題が、いよいよ大詰を迎えて来たようで、そのまえぶれとしてコーヒー豆の卸売価格の値上げが行われようとしています。
 まさに我々コーヒー党にとっては日珈販ニュースの見出しの如くお寒い春としかいいようがありません。
 新市場問題の方は国際コーヒー協定を審議する理事会そのものが空中分解しそうで、新市場の適用除外そのものはまぬかれたとしても、国際コーヒー協定そのものが効力を失いそうなので、新市場もヘチマもなくなってしまいそうです。
 そうなると現実的に国際相場へ移行してしまうので日珈販ニュースに書いてあるように輸入価格が大幅に上がり、結果的には我々の口に入るコーヒーも上がるということになります。
 これがほかの物でしたら高いものは買わないとボイコットするわけですが、コーヒーがなければ夜も日も明けぬ我々コーヒー党にとっては、口惜しく涙にくれながらもインフレムードでとくに軽くなりがちの財布をはたいてコーヒー代を払う結果となってしまうわけです。
個性をなくす共同焙煎
 さて、これからのコーヒー業界ですが値上げのほかに品質の方でもあまり良いニュースがなさそうです。
 一昨年から昨年にかけて東京アライドコーヒーロースターズやユニカフェというコーヒーの共同焙煎工場が誕生しました。この共同焙煎工場の目的は協業化による企業の合理化ということですから、その主旨そのものには反対できません。しかし、聞くところによると大半の焙煎業者がそれに加入しており、小さな業者は自家焙煎を中止すると聞いております。そうなると、今まで小さな焙煎業者が小さな焙煎機で各自煎っていたものが、大きな焙煎機で一ぺんに煎るものですからどこの豆も同じ味になり個性がなくなります。各自配合は変えるでしょうが、煎り方が同じですから似たような味にしかならないようです。
 つまり各焙煎屋さんの個性が失われてしまうわけです。これは、我々コーヒー党にとっては悲しいことです。
 それにもう一つ気に喰わないことは、そこで使われている焙煎機の種類です。大阪にあるユニオンロースターズを除いてはみんなゴットホット社の大型焙煎機を使っています。これは灯油を燃料として6分間で250キロもの豆を煎り上げる性能を持った高性能の焙煎機です。
 私にはその高性能が気に入りません。高性能であるということは、一度に多量の熱風を焙煎機に送り込み早く乾燥させるから早く煎り上がるのです。
 焙煎業者の側からいえば早く煎り上がるということは好ましいことかも知れませんが、我々コーヒー党から見ると熱風を大量に送り込むということはそれだけ成分(アロマ)を飛ばしてしまうわけですから、みんなカラカラのコーヒーになってしまいます。
 コーヒーなんてものは少々煙臭くたってアロマの充分残っているものの方が美味しいにきまっています。コーヒーらしいムードもあります。それがどうやらこの調子でいくと日本中がカラカラコーヒーを飲まされる結果となります。
 アート、木村、UCC等はみんなこの高速焙煎機を採用していますから、コーヒーがカラカラしています。
珈琲野郎の粋な飲み方
 そんな中で手造りの味を作り続けていこうとすると、なみの苦労ではありません。まごころブレンドの加工先キャラバンコーヒーの社長の永田さんに言わせると、ガス代の値上がりは一番こたえるそうです。
 しかし、キャラバンコーヒーとしては、品質が売り物だそうですから、どんなことがあっても手を抜くようなことはしないそうで、これだけはチョッピリうれしいニュースですね。
 珈琲野郎としては、美味しいコーヒーをだれでも気軽にガブガブと飲めるような社会であってほしいと思うわけですが、食品の不足は世界的な問題で、チリーなどではコーヒーも配給制になったということですから悲観的です。
 だけど考えてみれば飲物なんていうものは、余計なことを考えないで気軽に飲めばいいわけです。
 同じようにコーヒー代を使うのなら、美味しい思いをしたらいいにきまっています。日本人は少し能書きが多すぎますね。
 理屈をつけずに飲む、それが粋というものでしょうなどと言っている本人が一番不粋なようですね。