商社・生豆問屋は目先の損得のみを追求するな


1975年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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  聞くところによると、珈琲を扱っている商社や生豆問屋のセールスマンの間では、日珈販お社長たる私は「コーヒーに関してド素人で、箸にも棒にもかからん代物」だという評判だそうです。

-良質原料豆の確保こそ-
 なぜ、そのような評判が立ったかというと、どうやら昨年日珈販で発売しているコーヒー豆の加工先を変えた際に、加工先に対して原料豆の品質を均一化することを強く要望し、その意を受けて、加工先では出入業者にその旨を要求したことが事の始まりのようです。
 加工先を変更した当初はわれわれが要求した品質の原料豆が比較的在庫が豊富で、われわれの要求を満たすことが出来たのですが、最近ではコーヒーの在庫高こそ豊富であれ、われわれが要求するような品質の原料豆はなかなか入手が困難な状態に追い込まれ、必然的に生豆問屋や商社は供給に苦慮することになりました。
 しかし、われわれ日珈販としては、顧客の要望に応えるために、いい加減な妥協は許しません。
 このように原料事情が悪い時にこそ、良質の原料を確保し、美味しいコーヒーをコーヒー党の皆様にお届けするのが日珈販の使命だと考えていますから、いくら国内の在庫や輸入事情が良質原料豆の供給を困難にしているかたといって、それを認めては、日珈販がぽえむというコーヒー専門店のチェーン店を主宰する意味がありません。
 言い替えれば、われわれコーヒー業者の御都合で、コーヒー愛飲家の方に粗悪なコーヒーを押しつけるようなことは出来ない、ということなのです。

-コーヒー党を無視するな-
 一方、商社や生豆問屋の立場にすれば、長い間滞貨となっている原料豆の山の中から、われわれが要求するコーヒー豆を選ぶなどということになると、たいへんな手間がかかるわけで、まず不可能だといいたいのでしょう。
 それなら、昨年とれた新豆の良質なものを輸入して供給してくれればよいのですが、商社などは大量の在庫をかかえてお手上げといった状態で、在庫を何とか処分しようということで手がいっぱいというのが現状のようです。
 このような情勢にコーヒー業界がおかれていますから、私共の要求というものはない物ねだりに聞こえ、それがあたかも何も知らないで言っているように受け取られるのでしょう。
 誤解のないように言っておきたいのですが、われわれは何も知らないどころか、商社や生豆問屋のセールスマンたちよりもはるかに多くの情報をつかんでいます。
 たとえば、ある共同焙煎工場では最近缶入りのコーヒーを発売しましたが、これに使用するコーヒー豆を工場の構成母体である生豆問屋が産地から直輸入し、原料豆の特徴を生かしたコーヒー作りを行っていますが、これなど、やる気になれば出来るということの見本だと思います。
 私共も直輸入したコーヒー豆を一部使わせていただくことに内定し、ジャーマンローストの原料として使用させていただくことになりました。
 また、現在産地ではコーヒー豆がダブつき気味で値段も下がり気味なのに、わが国では在庫が硬直化して品質も滞貨のまま劣化していっているということも、十分承知しているのです。
 しかし、前にも述べたとおり、それを仕方がないと認めていては、せっかくレギュラーコーヒーに向きつつあるコーヒー愛飲家の気持が、原料豆の悪さが原因となって、手間をかけてレギュラーコーヒーを淹れてみたがインスタントコーヒーと大して違わないということで、再びレギュラーコーヒーに背を向けてしまったとしたら、いったいコーヒー業界の先行きはどうなるのでしょう。
 すでにコーヒー業界において焙煎業者たちは、飲食店におけるコーヒー消費量の低下という現実に直面して、その意識を変えつつあります。
 その前に立ちふさがってコーヒー業界を破滅に導こうとしているのが、今の商社や生豆問屋ではないでしょうか。

-問屋の名にふさわしい機能を-
 特に生豆問屋なんか、ただの商社の輸入したものを右から左へ動かしてサヤを取っているだけなら、その存在意義がありません。ユーザーも少しロットが大きくなれば商社と直取引をした方が、ペーパーマージン分だけ安く買えます。
 わが国古来の商業の知恵として発達してきた問屋制度は、その得意先の必要とする品物を取り揃えるという機能をもってこそ、問屋の存在価値が認められるのではないでしょうか。
 私は、今、国内で滞貨となっているコーヒー豆なんか、インスタントコーヒーの原料にでも安く叩き売って、良質なコーヒー豆を輸入し、コーヒー愛飲家に美味しいコーヒーを供給した方が、将来、現在の損失をはるかに大きく上回る利益に結びつくと考えるのですが、いかがでしょう。