珈琲屋風雲録 第七話


1976年1月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1976年1月
珈琲共和国1976年1月

山内企画と日珈販
その生い立ちの記

話は少し横道へそれますが、私は今、山内企画という会社と日本珈琲販売共同機構(日珈販)という会社の社長をしています。

~親としての山内企画~
山内企画は、その出資金の大半を私と家内が保有しており、一部を創成期からの同志で現在日珈販の総務担当をしている黒沢庸五君と、日本珈琲貿易さんが保有しています。そしてその会社の仕事というのは、ぽえむの下高井戸店、阿佐ケ谷西、吉祥寺各店を日珈販もフランチャイズ店として経営してしているいわばプライベートな会社です。
ですから、会社の役員も私と家内とそれに黒沢君というパパママストア的規模の会社で、その社風も極めてファミリーな、そしてその経営方針もファミリーな会社なのです。
そのプライベートな会社に日本珈琲貿易さんが出資しているのは少々おかしいのですが、それは、日珈販の創立当時は山内企画が日珈販の株式を全部保有しており、事実上小会社でもあったので、山内企画に出資することは日珈販に出資することと同じであるという考えに立ったからだと思います。そして、そのような考えに至ったのは、当時日珈販の経済基盤が弱くて山内企画におんぶしているような状態だったので、日本珈琲販売共同機構に投資するよりは山内企画に金を出したほうが投資金の保全という事を考えたらリスクが少ない、と考えたからなのでした。それはどちらかというとキャラバンさんの方にその意向が強く、日珈貿さんはその考えに乗ったというのが真相のようです。
私は、山内企画の成立基盤というものが、極めてプライベートな型(例えば、吉祥寺店は私の姉の店を山内企画が経営だけ引き受けているとか、下高井戸店は家内の実家が家内に貸しているものをやはり経営を任されている)の上に成り立っているものですから、山内企画はあくまでプライベートな会社の域を出ないので、日珈販は公共性の強い企業として育てたいと考えておりました。
私は、キャラバンさんにも、日珈貿さんにもそのことを何度か説明をしたのですが、現在に至っても山内企画と日珈販の区別がよく判っていらっしゃらない様子です。
もっとも、最初ぽえむチェーンは山内企画の中にその本部をおいて加盟参加を呼びかけ、永福町店さんが加盟された時点で日珈販という新会社を作って、チェーンの本部機構を移管しましたので、自然そのような混同が起こってしまったのだと思われます。

~親としての日珈販~
しかし、創立当時はともかく、現在では山内企画が日珈販の筆頭株主であることと、私が社長を兼務している他は、全く別の会社として動いており、株主の数も増え、山内企画の持ち株も過半数を割っております。
また、取締役その他のスタッフも山内企画とは無縁な者がほとんどで、社員の意識構造も山内企画なんてものはフランチャイジーの一つにしか当らない、というのが最近の実情なのですが、業界の方や、加盟店の方にも、まだまだ山内企画と日珈販が同じものだと思ってらっしゃる方が多くて困ってしまいます。
このような混乱起こってしまったのも、原因を糺せば、私の強引なやり方に起因するのでしょうが、そのような無茶なやり方でもしない限り、今の日珈販は創り上げられなかったと思います。
ですから、今となっていろいろ問題を残すようなやり方を今の時点で批判することは出来たとしても、それは出来たからいえるのであって、堅実でオーソドックズなやり方なんていうものでやっていたら、日珈販などという新しいユニークな会社は出来なかっただろうと思いますので、私は私なりに最善を尽くしたと思います。
ただ、個人的には、キャラバンさんから山内企画の持分を買いとった銀行借入金の返済や、山内企画が日珈販の肩代わりをした借入金の返済など、あと2年余りは借金の返済に追われるかと思うと、全くうんざりするというのが、本音なのです。