珈琲の味は産地では決まらない!! コーヒーの味は焙煎によって形成される 


1972年6月15日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年6月号
 ごく最近まで、コーヒー豆を買いたいと思えばデパートの食品売場まで足を伸ばすか、輸入食品の専門店でも探し出さなければならなかったが、このごろでは近所のお茶屋さんの店先や珈琲専門店と称する喫茶店の店頭あたりでも手軽に売られるようになってきている。
 このこと自体はコーヒーの普及という点において我々にとりたいへん喜ばしいことなのではあるが、そのあり方について多少気になる点がないわけでもない。
 そのひとつは、店頭に陳列されたブレンドコーヒーの配合が、ブラジル○%・モカ△%といった具合に産地別に書かれて、それがコーヒーの品質評価の絶対的な資料であるかの如く取り扱われていることであり、もうひとつは、ストレートコーヒーが産地別の分類に基づいて説明されていることであり、さらにその無責任さに怒りさえ覚えるのは、店頭にさも親切そうに張り出された「お好みにより配合いたします」という言葉なのである。
 コーヒーというものは通常産地別に分類され呼称されているが、元来の種類としてはアラビカ・リベリカ・ロブスターの3種である。このうちリベリカ種は絶無に近く、少なくとも日本で市販されているものはアラビカとロブスターの2種である。それにロブスター種はその栽培も東南アジア・アフリカの一部に限られ、その劣悪にして強烈な個性から一括して取り扱われている。したがって我々がモカだのコロンビアだのブラジルだのと騒ぎたてているものはすべて ア ラ ビ カ 種で、モトは同じである。
 コーヒーが産地によって味が変わるのは、気候・風土及び土地の肥沃さの違い等によるものであり、品種が違うわけではない。だから、同じコロンビア産でも高地産と低地産では全く味が違うし、コロンビア産・メキシコ産と産出地が違っても栽培条件が似かよっているものはほとんど同一の味がするわけである。さらに最近では品種改良(改悪?)や栽培法が進歩し、果実の精製法も改善されつつあるので、味の良否は別として、嗜好品としての特性は失われ、均一化しつつあるのが現状である。
  日本の珈琲愛飲家は、自己の愛好するコーヒーの選定に関して産地別の分類やそれに基づいた配合にこだわるようであるが、それはコーヒー業界の現状を知らないコーヒー通たちが、商社や生豆卸業者や焙煎業者の思惑にのって、30年も40年も前の情報をまき散らしているのに踊らされているわけなのである。
 コーヒー豆が味を形成するにあたっては、生豆の品質に左右されることはいうまでもないが、最も大きく影響を与えるのは焙煎なのである。我が国ではコーヒーの焙煎ということが全く重視されておらず、ひどいコーヒー飲みになると、生豆の存在すら知らずにコーヒーの味を論じているありさまである。
 そもそもコーヒーの生豆には、あの香ばしいカオリも快い苦味も全然存在しないのであって、生豆を焙煎加熱することによって初めてあの味が形成されるのである。つまり、生豆中に含まれた脂肪分が高温で変化し、芳香物質カフェオールとなり、糖分は炭化してキャラメル化し、適当な苦味と甘みを形成するのである。だから、産地別にコーヒーを分類して配合しても、産地別にストレートコーヒーを飲み分けても、自分の好みに合わせて産地別の配合を試みても、それは全く無意味であり、自分の好む味なんかとうてい望みようがないのである。
 要するに、珈琲は飲んでおいしければおいしいのであって、いくら頭で飲んでも、舌でなければ味はわからないということなのである。