珈琲通Mさんのお話
1975年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
私の友人にMさんという食通をもって自認している人がいます。ご多聞にもれずMさんは、フランス料理はあそこ、和食ならこことごひいきの店は決まっていて、めったな店へご招待しようものなら大恥をかくという大変なお方なのです。
そのMさんが大の苦手としている人物が一人だけあります。それが私なのです。
私がまだ阿佐ヶ谷西店でコーヒーを毎日淹れていた5年半ほど前、Mさんは常連さんとして私の店に毎日足を運んで下さいました。
Mさんはある有名な大学の教授で、食通ぶりをオーバーに主張される以外には全くの好人物で、私も家内も、そして店の常連さんもすぐ仲良しになったのですが、ただ一点だけ食通(珈琲通)を振回されることが、我々の悩みの種でした。ご自分が召し上がるコーヒーについていろいろおっしゃるのはよいのですが、他の人のコーヒーの飲み方、そのメニューの選び方にまで一々文句をつけるのですから他の常連さんたちはたまったものではありません。陰で「M公害」などと言っていた間はよかったのですが、顔見知りがふえ、新密度が増すにつれてその博識ぶりはますます猛威をふるい、しまいにはMさんがいるとあとで来るといって帰る人まで出てきたのです。
そうなると、私も営業にかかわるので、申し訳ないけれどMさんの珈琲通の鼻をペシャンコにする必要があると判断し、M公害撤去作戦に乗り出したのでした。
都合のよいことに、Mさんは珈琲通としてブルーマウンテンNo.1しか飲まないと称していましたから、当分の間毎日ニセモノのブルーマウンテンを飲ませて珈琲通としての自惚れをコテンパンにやっつけてやろうと思いました。
それから10日間ばかり、私はMさんにニセモノのブルーマウンテンを提供しました。あんまり違いのあるものではすぐバレるのでメキシコ、コスタリカ、フォンデュラスなどアラビカ種の水洗式コーヒーを数種類選んで、毎日ニセ・ブルーマウンテンを飲ませたのです。
そうとは知らずMさんは「さすがブルーマウンテンNo.1の味は違うなア」などと言いながら、さも美味しそうにコーヒーを飲んでいきます。正直な話、あんまり率直に美味しがられるので本当は我々のたくらみを知っていて、トボケているのではないかとも思いました。家内などは、もういい加減にしたらと言い出したり、Mさんが店に入ってくると急にふき出して、当時住居としていた2階へ駆け上がったり、人をだますのも楽ではないなという思いもしました。そして、いよいよ我々がMさんに真実を告げる日が来ました。
ところが、いざとなると「貴方がこの10日間、ブルーマウンテンだと美味しがっていたコーヒーは全部ニセモノだ」などとは言えそうにもありません。何しろ相手は率直にホンモノだと信じているのですから……。
しかし、そうは言ってはおれません。断固実行しなければ、我々はもちろん常連一同もM公害から解放されないのですから。
× × ×
Mさんは私の話をじっと聞いていました。この10日間ニセモノばかり飲ませたことも、みんながMさんのコーヒーに関するウンチクをM公害と称して迷惑に感じていることも、またM公害さえなければMさんはとても良い友人だと話していることも……。Mさんは一言も口をはさまず私の話を聞いていました。
最後に私は、今までみんなニセモノだったからこの10日間のコーヒー代を返すとお金を差し出しました。するとMさんは急に「それはいけない!!」と大きな声で言って、お金を私に押しもどしました。「僕はブルーマウンテンだと思って飲んでいたんだ!!そしてとても美味しかった。満足してるんだ!!だから、それはそれでいいんだ!!」
そして、てれ臭そうな笑いを浮かべながら「本当のことをいうと僕は何も判らないんだよ、コーヒーの事は……。でもいつのまにか珈琲通にさせられてね。ひっこみがつかなくなってね」というと、大きく伸びをして「マスター、ジャーマンをくれよ!!」と言ったのです。
それ以来、カレはジャーマン党になりました。「ジャーマンなら安いし、美味しいものね」。
× × ×
2.、3日前、私は新宿でバッタリMさんに会いました。そして、カレの行きつけのコーヒー専門店へ連れていかれました。ところが、そこでMさんは珈琲通ぶりを発揮しているではありませんか。私が変な顔をしているとMさんがウインクしながら言いました。「新しいバーテンが入るとね、ここのマスターとグルで教育するのさ。ところでマスターを紹介するよ」
指さす方向を見て私はびっくりしました。そのマスターこそ、私と一緒にMさんをたぶらかす企みをした当時の大学生の常連さんだったのです。せ