コーヒー生豆の品質管理不在


1974年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-9-150-240

責任を負うのは生豆問屋か?焙煎業者か?

 私は8月よりある焙煎会社の顧問を引き受けることになりました。
 顧問の仕事というのは焙煎のアドバイスをするということになっているのですが、考えてみれば妙なことなのです。
 焙煎では素人の私が、焙煎のプロフェッショナルである焙煎業者のアドバイスをするということなのですから、頼む方の社長も社長なら、頼まれて引き受ける私も私の方です。

)))顧問初仕事(((
 そういったところで、要するに煎上がったコーヒー豆に対して焙煎に対しての素人である私が、コーヒー販売業のプロフェッショナルとしての意見を述べる。そうして、よく売れるコーヒーを作るということだというふうに勝手に解釈した上で私は顧問の仕事をすることになりました。
 そこでその会社の工場責任者の方といろいろ相談して、まず手初めに生豆の品質を揃えることからやろうということになりました。なぜならば、煎豆の品質を揃えるためには生豆の乾燥度や粒の大きさ固さ等にあまり差異があり過ぎては、いくら焙煎の段階で焙煎温度や排気の具合や焙煎時間を調節しても、品質=味のバラツキは避けられまいと考えたからなのです。
 事実、いろいろなテストを何回か繰り返した訳ですが、我々の腕が未熟なのか「浅煎りのコーヒーは枯豆が風味よく煎上がったし、深煎りのものは水分の多いニュークロップが上手く煎上がる」という結果を得たのです。

)))生豆問屋の実体(((
 その結果をもとに、我々はコーヒー豆問屋さんにサンプルを持って来てもらいました。ところが幸いにも生豆問屋さんのサンプルの中に、我々の望む品質のコーヒー豆が見つかりましたので、我々は大喜びで必要量を注文したのです。
 ところがどうでしょう。
納品された品物はサンプルとは大違い。しかも、納品されたコーヒー豆が1銘柄10袋だとすれば、10袋が10様にみな違うという有様でした。
 早速我々は文句をいいましたところ「指定の銘柄をお届けいたしました」という、木で鼻をくくったようなご返事です。私は正直なところ驚きました。私は日本の生豆問屋の方ならば、喫茶店経営9月号の小室博昭氏(アルベニコロラド支配人)の文章を読まなくても、コロンビアのFNCであるとか、ブラジルサントスNO2であるとかいう呼称が、本質的な品質と無関係であるということを知らないはずはないと思っていたし、焙煎についても十分な知識をお持ちだと思っていました。
 しかし、よくお話を伺ってみると、焙煎のことなどは全く無知だといって良いぐらいだということが判りました。
 そこで、我々はコーヒーの生豆の品質と煎上がりの関係を説明したのですが、たとえその理由がわかったとしても、現実には生豆を保管してある倉庫の中にバラバラに積み上げてあり、この中から品質の揃ったものだけを選びだすことは不可能に近いということでした。
 しかしそんな言い分を認めていれば我々は仕事になりません。私も折角ありついた顧問の口をフイにして、乏しい財布がいっそう乏しいことになりますので、必死に説明し要求した結果、その担当者自身が倉庫へ行って1袋ずつ調べるという献身的な努力によって解決することができました。
 この事件はこれで終ったのですが、でも考えてみればオカシナ話です。

)))どっちが未熟?(((
 そんな大まかなやり方で商売が成り立って来たとするならば、焙煎業者の方は今までどんな方法で自社のコーヒー豆の品質を管理されて来たのでしょうか。
 それともこんなことをいっている我々の方が技術が未熟で、他の焙煎業者の方たちは、どんなに青い生豆を浅く煎っても酸や渋味を押さえることのできる方法や、枯豆を強煎りにしても十分な酸が残っている焙煎方法をご存知なのでしょうか。
 もしそのような技術があるとしたら、焙煎に素人の私にぜひ教えてもらいたいと思います。
 なお、念のため申し添えておきますが、この話は生豆問屋数社とのやりとりを一つの話にまとめたものです。

サイホンコーヒーについて


1974年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-9-150-240
 最近サイホンコーヒーの店という看板をよく見かけます。
 これは恐らく、自分の店はサイホンでコーヒーを淹れているから、他店に比べて美味しいぞ、という意思表示だと思います。
 私もコーヒーにとりつかれるキッカケとなったのが東京渋谷にあるサイホンコーヒーの店のコーヒーに入れあげた結果なのですから、サイホンコーヒーを馬鹿にしたり、粗末にするとバチがあたります。
 ただ、あのサイホンという器械は私のように(?)馬鹿正直な器械で、コーヒー豆の性質を実に正直に出してしまいます。
 言い換えれば、良い点も悪い点もみんなさらけ出してしまうという美点(?)があります。
 品質の良いコーヒー豆を使えば良質のコーヒーが抽出されるし、悪ければこの反対とハッキリと結果の出る器械です。
 私が皆さんにサイホンを使わずペーパーフィルターを使えというのは、ペーパーフィルターであれば、良い面だけを引っ張り出して、悪い面はそのままそっとしておくという機能があるからです。
 良い面=美味しさの要素=カフェオール、カフェイン、カラメルなどは十分抽出させておいて、悪い面=まずさの要素=タンニン(ピロガロール酸)などは抽出を押さえるようにすれば、少々コーヒーの質が悪くても美味しいコーヒーが得られる訳です。
 その点サイホンですと、コーヒー豆の成分をほとんどみんな抽出してしまいますから、よほどコーヒー豆の質が良くなければ、美味しいコーヒーは得られません。
 ところで、世界のコーヒー事情は年々品質の低下の方角へ向かっていっています。
 ブラジルではポンド・ヌーブという大量に採れる品種が作付面積の大半を占め、ブルボン種といったような本来のブラジルコーヒーはすたれています。
 他の国でも同様で、品種が病虫害や霜害に強く、多収穫であるというふうに改良(?)された結果、味の方は低下する一方であるというのが現状です。
 こうなって来ると、我々コーヒー党の者でも対応策を考えなければならなくなる訳ですが、焙煎等でカバーできない点は、調理段階でサイホンのような馬鹿正直な器械は敬遠するといったふうな自衛策が必要になってくると思います。
 街角に立つサイホンコーヒーの看板、その善意と信頼を裏切る世界のコーヒー業界の動き。
 こんなことをしているとコーヒーという飲物そのものが大衆にソッポを向かれるぞ、という危機感。
 私は一人のコーヒー愛好家として、十数年前に飲んだ渋谷のサイホンコーヒーの味を想い出しながら、複雑な感情が胸の中をよぎるのです。
(山内豊之)