珈琲通Mさんのお話


1975年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年12月
珈琲共和国1975年12月

私の友人にMさんという食通をもって自認している人がいます。ご多聞にもれずMさんは、フランス料理はあそこ、和食ならこことごひいきの店は決まっていて、めったな店へご招待しようものなら大恥をかくという大変なお方なのです。
そのMさんが大の苦手としている人物が一人だけあります。それが私なのです。
私がまだ阿佐ヶ谷西店でコーヒーを毎日淹れていた5年半ほど前、Mさんは常連さんとして私の店に毎日足を運んで下さいました。
Mさんはある有名な大学の教授で、食通ぶりをオーバーに主張される以外には全くの好人物で、私も家内も、そして店の常連さんもすぐ仲良しになったのですが、ただ一点だけ食通(珈琲通)を振回されることが、我々の悩みの種でした。ご自分が召し上がるコーヒーについていろいろおっしゃるのはよいのですが、他の人のコーヒーの飲み方、そのメニューの選び方にまで一々文句をつけるのですから他の常連さんたちはたまったものではありません。陰で「M公害」などと言っていた間はよかったのですが、顔見知りがふえ、新密度が増すにつれてその博識ぶりはますます猛威をふるい、しまいにはMさんがいるとあとで来るといって帰る人まで出てきたのです。
そうなると、私も営業にかかわるので、申し訳ないけれどMさんの珈琲通の鼻をペシャンコにする必要があると判断し、M公害撤去作戦に乗り出したのでした。
都合のよいことに、Mさんは珈琲通としてブルーマウンテンNo.1しか飲まないと称していましたから、当分の間毎日ニセモノのブルーマウンテンを飲ませて珈琲通としての自惚れをコテンパンにやっつけてやろうと思いました。
それから10日間ばかり、私はMさんにニセモノのブルーマウンテンを提供しました。あんまり違いのあるものではすぐバレるのでメキシコ、コスタリカ、フォンデュラスなどアラビカ種の水洗式コーヒーを数種類選んで、毎日ニセ・ブルーマウンテンを飲ませたのです。
そうとは知らずMさんは「さすがブルーマウンテンNo.1の味は違うなア」などと言いながら、さも美味しそうにコーヒーを飲んでいきます。正直な話、あんまり率直に美味しがられるので本当は我々のたくらみを知っていて、トボケているのではないかとも思いました。家内などは、もういい加減にしたらと言い出したり、Mさんが店に入ってくると急にふき出して、当時住居としていた2階へ駆け上がったり、人をだますのも楽ではないなという思いもしました。そして、いよいよ我々がMさんに真実を告げる日が来ました。
ところが、いざとなると「貴方がこの10日間、ブルーマウンテンだと美味しがっていたコーヒーは全部ニセモノだ」などとは言えそうにもありません。何しろ相手は率直にホンモノだと信じているのですから……。
しかし、そうは言ってはおれません。断固実行しなければ、我々はもちろん常連一同もM公害から解放されないのですから。
×      ×      ×
Mさんは私の話をじっと聞いていました。この10日間ニセモノばかり飲ませたことも、みんながMさんのコーヒーに関するウンチクをM公害と称して迷惑に感じていることも、またM公害さえなければMさんはとても良い友人だと話していることも……。Mさんは一言も口をはさまず私の話を聞いていました。
最後に私は、今までみんなニセモノだったからこの10日間のコーヒー代を返すとお金を差し出しました。するとMさんは急に「それはいけない!!」と大きな声で言って、お金を私に押しもどしました。「僕はブルーマウンテンだと思って飲んでいたんだ!!そしてとても美味しかった。満足してるんだ!!だから、それはそれでいいんだ!!」
そして、てれ臭そうな笑いを浮かべながら「本当のことをいうと僕は何も判らないんだよ、コーヒーの事は……。でもいつのまにか珈琲通にさせられてね。ひっこみがつかなくなってね」というと、大きく伸びをして「マスター、ジャーマンをくれよ!!」と言ったのです。
それ以来、カレはジャーマン党になりました。「ジャーマンなら安いし、美味しいものね」。
×      ×      ×
2.、3日前、私は新宿でバッタリMさんに会いました。そして、カレの行きつけのコーヒー専門店へ連れていかれました。ところが、そこでMさんは珈琲通ぶりを発揮しているではありませんか。私が変な顔をしているとMさんがウインクしながら言いました。「新しいバーテンが入るとね、ここのマスターとグルで教育するのさ。ところでマスターを紹介するよ」
指さす方向を見て私はびっくりしました。そのマスターこそ、私と一緒にMさんをたぶらかす企みをした当時の大学生の常連さんだったのです。せ

珈琲屋風雲録 第五話


1975年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年11月
珈琲共和国1975年11月

業界に旋風おこる
メリタ取扱いがきっかけ——-
私共と日本珈琲貿易さんがお近づきになったのは、メリタ製品の取扱いがきっかけでした。
ある日、私のところへキャラバンコーヒーの当時の城南営業所長であった沢田邦彦君(現営業第二部長)と日本珈琲貿易の鈴木正章さん(現キタヤマコーヒー)が連れ立って来られて、今度メリタの日本総代理店としてメリタの商品を輸入するから使ってくれないかと言います。当時ぽえむではカリタ製品を使っておりましたし、カリタさんからは開店当初少しシーリングの甘いフィルターペーパーをたくさん無償でいただいた義理もあったので私は気乗りがしなかったのですが、鈴木さんが非常にメリタ製品普及に情熱を持っておられたのと、ちょうどその頃使っていたデミタスカップの口にカリタの101型が合わず抽出したコーヒーが洩れて困っていましたので100型(現1×1型)という1人用のものを使わせていただくことにしました。
使ってみるとペーパーの質はメリタの方がよく、プラスティックのフィルターの無機質も、当初心配したような客からの反発もなく、軽くて使いやすく、カップのフチを傷つけるようなこともないので、次第次第に全面的に採用することにしました。
そんなことがご縁で、私共と日本珈琲貿易さんとはキャラバンコーヒーさんを中にはさんで親しくなりました。
最近ではメリタもすっかり有名になりましたが、当時メリタを真面目に取り上げようと考えたのは、わが社の他に、キャラバンコーヒーさんと京都のオガワコーヒーさん位のものでしたから、自然日本珈琲貿易さんとわが社はメリタを通じて親密の度合いを深めていったのです。ですから当時の私共としてはメリタの輸入総代理店としてメリタ商品の販売を伸ばそうとする日本珈琲貿易さんと、メリタによるコーヒーの抽出とメリタ商品の販売ネットを創ろうとするわが社が提携しようといっても、決して不思議ではなかったのです。

コーヒー業界の商習慣——
しかし、その当時も現在もわが国のコーヒー業界は商社・生豆問屋・焙煎業者の結束は固く、喫茶店の経営者や一般消費者には絶対に手の内を見せないというのを商習慣にしていますので、私共のような喫茶店業者と生豆問屋の日本珈琲貿易さんが、たとえキャラバンコーヒーさんという焙煎業者が仲介してとはいえ、直接に接触するということは大変なことで、このことは業界内部で、当の日本珈琲貿易さんはもとより仲介したキャラバンコーヒーさんへも風当たりが強かったようです。
私が考えるところ、両者ともに業界では力のある会社ですからウルサク言われた位ですんだのでしょうが、これが弱小業者だったら軽くて私共へのお出入り差し止め、重ければ業界の村八分ということになったでしょう。
私にいわせると、本来商売というものは相手にその商品の内容をキチンと話をして、その内容にふさわしい値段で売り渡すのが正しいあたりまえの取引の仕方なのですが、コーヒー業界では、喫茶店などの経営者に情報を与えずして無知におとしいれ、その無知につけこんで法外な値段でコーヒーを売りつける商法があたりまえでしたから、そのようなセクト主義、秘密主義を貫く必要があったのでしょう。
ある焙煎業者がブラジル4、コロンビア3、モカマタリ3のブレンドだと称しているコーヒーが、実はブラジルのIBCといわれる格下品とアイボリー・コーストのロブスタ種やペルーの安物しか配合されていないなどということは業界では珍しくありませんでしたから、零細な規模の業界でなかったらとっくの昔に公正取引委員会のヤリ玉にあがっていたでしょう。私はそのような事実を焙煎業者の退職者から聞き出し、マスコミなどに暴露しましたから、私に対する業界の反発はたいへんなものでした。
いくら業界から反発されようと、私には私の考えを支持して私の店でコーヒーを飲んでくれる顧客がいますから全然平気でしたが、私への情報提供者というヌレギヌをかけられた日本珈琲貿易さんやキャラバンコーヒーさんはとんだ迷惑だったであろうと思います。
そんなことですので、当時日本珈琲貿易の武田佳次社長の先見性と決断と勇気がなかったら、とうていそんなことはできなかったでしょう。

メリタのPRする6gコーヒーは本当に安上がりか?


1975年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年11月
珈琲共和国1975年11月

最近、コーヒー業界の話題になっていることの一つに「メリタの6gコーヒー」があります。
今までのわが国コーヒー業界の常識としては、コーヒーのカップ1杯あたりの標準使用量は10gということで、コーヒー専門店などでは12gから15gも使用するところがあります。
私共ぽえむでも、ジャーマンロースト1杯あたり12gというのが基本ですから業界の常識とは大して変わっていません。
ところが、今度メリタでインスタントコーヒーより安いということで6gコーヒーの宣伝を始めたものですから、近年喫茶店のコーヒーの消費量が年を追うごとに落ち込み始めているコーヒーの卸業者(焙煎業者)が、これ以上コーヒー消費量が減ってはたまらないとカンカンになって怒り狂っているようです。
7月号の本誌でも6gコーヒーを取り上げたところいつも本誌を目の敵にしている焙煎業者の方から、攻撃の仕方がてぬるいではないかと妙な励ましの言葉をいただき、当惑させていただきました。
私はこの6gコーヒーについては、7月号でも述べたとおり、あくまでもコーヒーを飲む本人の好みであって、6g使って淹れようが2g使おうが、それは本人の勝手だと思います。
ですから、メリタが6gコーヒーをPRしているからといって、メリタを使って淹れているぽえむのコーヒーを6gに減らす気は全くありません。
ぽえむはぽえむの味として研究し、創りあげてきたコーヒーの美味しさを絶対に崩す気はありません。
しかし、コーヒーを飲む当人が、自分は6gしか使わない薄いコーヒーがよいというならば、それに反対する気も全くありません。
そんなことより、私は6gコーヒーの方が安上がりだというメリタの主張も、6gコーヒーが普及したらコーヒーの消費用が減るという焙煎業者の主張も、どちらも間違っていると思います。
なぜならば、私が見たところではコーヒー好きな人ほど薄いコーヒーを好む傾向があるからです。そして、薄いコーヒーほどお腹にたまらないので何杯もお代わりできるからなのです。ということは、薄いコーヒーだとついつい飲みすぎて安上がりどころか買って来たコーヒーがたちまち底をつくということになってしまいそうです。ですから、私は焙煎業者の方たちが心配するようにコーヒーの消費量が減るどころか、かえって増えるのではないかと思うのです。
ただし、これはあくまでも家庭用のコーヒーの話であって、コーヒー専門店や喫茶店などではふところの都合でコーヒー代のお代わりがすすむというわけにはいきません。
やはり高いお金をとってコーヒーを提供するからには、1杯で充分に満足していただけるだけの中味をもったコーヒーを提供すべきでしょう。
むしろ6gコーヒーで気になるのは、極細挽き(ファイングラインド)にしろということの方です。
メリタの生まれ故郷の西ドイツのように良質のコーヒーが輸入されているところなら、いくら細かくなっても問題はないでしょうが、わが国で売られているようなアフリカ産のロブスター種や安物のアラビカ種のたくさん入ったコーヒーを細かく挽いて、それに含まれている成分を充分に抽出したら、そんなことになるでしょうか。
私は、そのためにせっかくメリタで淹れたコーヒーがインスタントコーヒーよりまずくなって、再びレギュラーコーヒー党をインスタントコーヒー党に追いやる方が心配です。
実のところ、私はたいへん薄いコーヒーが好きですが、たいがい濃いコーヒーを湯で割ったり、ちょっぴりぜいたくをするときは多量のコーヒーを粗挽きにしてさっと手早く淹れて飲んだりします。
まあそれがいちばんコーヒーの美味しい飲み方でしょう。
でも、もしもメリタがPRするように6gコーヒーをファイングラインドで淹れて、そして美味しいコーヒーが飲めるものならそれにこしたことはありません。
私も、そんな美味しい良質なコーヒーがフンダンにある国に、日本がなってもらいたいと思います。

珈琲屋風雲録 第四話


1975年10月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年10月
珈琲共和国1975年10月

-理解されなかったフランチャイズシステム-
▶ホラ吹き?眉ツバ?◀
最近はわが国でもフランチャイズシステムという言葉が盛んに使われていますが、私がキャラバンコーヒーさんに珈琲専門店のフランチャイズチェーンの展開を共同でやろうともちかけた三年半前は、まだまだ言葉自体も普及しておらず、フランチャイズチェーンと称する企業なども、マルチ商法まがいのものや見込み客の数だけで販売権を切売りする山師まがいのものが多く、ごく一部の企業を除いては、良い方で商品の卸し屋といった具合でしたから、私たちが現在行っているようなチェーン展開のあり方など、誰も想像できなかっただろうと思います。
ですから、私がフランチャイズチェーンの将来性を説き、今ぽえむチェーンがあるような姿を未来像として具体的に話をしても、まるで絵空事か大ボラを聞くような気しかしなかったのではないかと推察します。
キャラバンさんの方でも一応は私の顔を立てて、役員会や営業所長を含めて会議を何回か聞いてくださったのですが、「どうも山内の話は眉ツバものだ」というのが本音だったのではないでしょうか。
そのうちに、私の持前の気の短さ「説明してもわからない相手と一緒に仕事をしても仕方がない」と、ジョイントベンチャーを断わってしまいました。
正直な話、私の最も信頼すべき日珈販の社員たちにしても「ホラ話」だと思っていたというのですから、そんな話をもってジョイントベンチャーを頼みにいった方がむりなのかもしれません。

▶助け舟現わる‥◀
ところで、私という人間は得な性分といえようか、無茶苦茶な人間なのでかえって友人や取引先の人に恵まれるというのか、必ず助け舟が現われます。
そのときも救世主が現われたのですが、それがこともあろうにキャラバンコーヒーの永田勇作社長だったのです。
永田社長という人は、社外的には意外な位目立たない人ですが、社内や得意先からは頼りにされている人で、一見ヨワヨワしそうにみえる外見ながら外柔内剛の人柄は、若いときから社内でもボス!ボス!と慕われています。
その永田社長が、意地を張ってジョイントベンチャーを断わって、その実は困りきっている私を助けてくれたのです。
たとえば支払いを手形にしてくれたり、手形のサイトを次から次へと伸ばしてくれたり、また日珈販でなく山内企画という私個人的な会社に、投資でも貸付でもよいからといって200万円ばかり融通してくれたりしました。
私は口先では「日珈販に投資しないと今に後悔するぞ」などと言っていましたが、とても感謝しておりました。
そのようないきさつがあったので、日珈販はキャラバンコーヒーの子会社であるかのようにいわれてきましたが、心情的にはキャラバンコーヒーと日珈販は密接な関係にありましたが、会社対会社の関係は全く無関係という妙なヤヤコしい関係にあったわけです。
しかし、このような関係も、ドトールコーヒーさんと取引きをするにあたり、私の家内がキャラバンさんの持分を買取りましたので、現在は完全に解消されています。

さて、そんな具合で強力なパートナーもなく発足した日珈販の前途は全く絶望的なもので、超楽天的といえようか、無茶苦茶のカタマリといえようか、とにかく意気のみ高い山内大社長さんのホラだけが鳴りわたっているという有様だったのです。
そのような情勢のとき、どう思ったのか日本珈琲貿易の武田太郎重役から「自社も出資したい」という話が持ち込まれたのです。

ブラジル霜害ウラオモテ


1975年10月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年10月
珈琲共和国1975年10月

①コーヒーで乾杯!

「ブラジル霜害によるコーヒー豆の値上がり……」というニュースが新聞や週刊誌などで大きくとりあげられていますが、ブラジルに数年間生活した私としてはその記事を読んで思わずニヤリとした次第です。
というのは、石油ショック、大豆禁輸等々、このところ資源国ナショナリズムが大いに気勢を上げているのを見て、ブラジルは、一体いつこの流れに乗っかるつもりだろうかと他人事ながら心配していたからなのです。資源国はアメリカを除き、殆どが開発途上国家群で占められています。
中近東諸国が石油の出し惜しみでボロ儲けしているのを、これら開発途上国家群がどんな気持で眺めており、ヤキモキしていたか、それを想像するといささか悲喜劇じみて参るわけです。そんなとき「霜害で値上がり」のニュース、ヤレヤレこれでやっとブラジルも儲け口を見出したか……と、そこはブラジル贔屓をもって任じる小生、思わず愛すべきブラジルのために値上がり前のコーヒーで乾杯してしまったという次第なのです。

②コーヒーはギャンブル?

ブラジルでは農業を「ギャンブル」であると規定しています。特にコーヒー豆生産の賭博性は昔からブラジル人の喜憂の種でした。
ブラジルコーヒーの主産地といえばサンパウロ州とパラナ州、このあたりは高度が海抜千メートル前後とあって、七、八月の冬季に霜の降ることは決して珍しくはありません。もし霜が降らないと・・・大豊作。コーヒー豆は暴落し、その売値はトラックの運搬量さえも出ない・・・というわけです。だから昔からそんな大豊作の年には、政府の指導で山積みされたコーヒー豆を焼いたり海洋に投棄したり、それはそれは悲しい苦労をしていました。
そこにパラナ州の「霜害」です。どんなにかコーヒー生産者たちは喜んだことか。きっとサンバにのって踊り狂いたいような気持だったでしょう。とにかくブラジルのこと、「霜害で値上げ」はあまりにも単純すぎる理由です。私に言わせれば、むしろ過剰生産が不要になっただけでも儲けもの・・・といった最初のイメージでした。
ブラジルは資源国としてコーヒーのほかに鉱物資源がありますが、後者については余程政治情勢に変化が生じない限り、不作という理由が起こりません。
ブラジルで生産されるコーヒー豆はすべて「ブラジル珈琲公団」によって管理され、組織的かつ計画的に売買されています。その点では中近東の石油とほぼ同様で、国際的大資本の石油メジャーならぬコーヒーメジャーといったものが存在しない以上、そのコントロールは石油よりはるかに簡単と見なければなりません。「霜による不作=値上げ」というのはあまりにも図式的すぎるようです。とにかく資源ナショナリズムは遂に珈琲の世界にまで波及したわけです。日本の珈琲業者の皆さん、それに喫茶店業界の皆さん、皆さんのすべてが値上げの理由を握ってヤレヤレということにもなりましょう。

③嘆きの日系珈琲史

今から七十五年前、最初の日本人移民が笠度丸でブラジルに渡って、配置されたのは珈琲畑でした。テント小屋にも等しいバラックに雑居させられ、奴隷にも等しい待遇の下で働かされた彼らは、夜になると自分たちの運命を呪い嘆いたと語られています。そんな生活の中で彼らの希望は≪いつの日か祖国日本に錦を飾って帰国する≫ことしかありませんでした。しかし、それは日本の敗戦ですっかり夢と果てたのでした。
ブラジルで、私は多くの日系の老人から昔のコーヒー園入植時の辛い思い出を聞かされました。それはこの短い文章ではとても書き尽くせない内容です。いつか私はこの珈琲共和国に、それらの話を書きたいと思っています。
一杯の香り高い珈琲を啜るとき、わたしはいつもあのブラジルの日系老人たちから聞かされた昔話を想い浮かべるのです。真白な湯気が一瞬とぎれたカップの中のコーヒー色の面に、当時の日系移民たちの経た苦しみの地獄絵図が描かれているように思えてならないのです。よほど彼らの話が私の心の奥底深く印象づけられているのでしょう。

④ビーバ・カフェ!

日系移民の社会的地位は大きく向上し、かつては奴隷として入植した珈琲園の経営者層となっている人も少なくはありません。私は、地球の反対側から遠くブラジルの日系の人々のイメージを想い浮かべるとき、今度のコーヒー豆値上げはどうか彼らに最も厚い恵みの機会となりますように、と願わずにはいられません。とにかく商社や政府という大組織だけへの恵みの機会となることについては、お断りです。
あの珈琲の茶色の液体には、言語では表現できないほどの悲しくもニガい人間の歴史が秘められているのですから……。
(山下規嘉)

珈琲屋風雲録 第三話


1975年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年9月
珈琲共和国1975年9月

出入り業者にお叱りを受ける
▶最初の誤算◀
日珈販というフランチャイズ本部を設立するとき、私共は、商品の製造や配送などはやらずに、商品(メニューを含む)の販売一本槍で進む方針を固めていました。
日珈販発足当時は、珈琲豆の元卸原価も低く、自社焙煎でもやれば結構いい儲けにになる状勢にあったのですが、私はそのようにボロイ商売が長続きするわけがないし、又、製造工場の設備投資やその償却等を考えてたら決して割に合う商売ではないと考えておりましたし、生豆の買付や加工技術の修得などそう簡単にはいかないと考えておりましたので、製造に手をつけるのは一切タブーだと考えておりました。
ある生豆問屋などから、資金の面倒はみるから自社焙煎をやれとすすめられたのですが、私はあくまで販売一筋で通すつもりでしたので、そのようなお話は全部お断わりして参りました。
同様に、配送に関しても焙煎業者の方達が大変な苦労をされているのを知っていましたし、配送センターや倉庫、車輌の問題と、手間やコストのかかることは一切やりたくないと思っていたのです。
そして、そのような仕事に費やすエネルギーを、知識集約、ノウハウの開発に振向けることによって、シンクタンクとしてのフランチャイズ本部の完成を目指していたのです。
ところが、特に敬遠していた配送という業務を、キャラバンコーヒーの得意先とぽえむの加盟店とのトラブルが原因で始めざるを得ない羽目になってしまったのですから、大誤算もいいところでした。
▶やればやるだけ損◀
幸い、配送センター兼事務所として、私の家内の実家の持家がちょうどおソバ屋さんに貸してあったのが戻って来たので権利金・敷金なしで借りられたので助かりましたが、車輌費とか配送関係の人件費とか、その後の経費の増加は加盟店の少ないチェーン本部として頭の痛い問題でした。
その上、本部の商品資材の取扱い高も少なく、スケールメリットを生かして安く仕入れるような態勢じゃありませんでしたので、商品や資材を扱えば扱うほど損をするといったような状態でした。
コスト分だけのマージンを本部から供給する品物にかけると、ちょうどマージン分だけ市価より高くなってしまうというのが実情だったので、損をしてもいたしかたがなかったのです。
おまけに、加盟金も当時は5万円とベラボウに安かったので、開店があると開店に費やした分だけ赤字になるという大変な経営だったのです。
その上、やっと配送業務になれて来て、そろそろ経済性ということも追求しようとしていた矢先に、オイルショックにぶっつかり、正直に安く仕入れた品物は安く売ったところ、品物を売れば元値よりも高い値段で品物を仕入れるという逆ザヤ現象で、アッというまに数百万円の赤字をかかえる結果となってしまいました。
ちょうどその当時でしたが、社長の私と経理担当役員の黒沢庸五の二人が、キャラバンコーヒーの永田浩平会長と日本珈琲貿易の武田太郎取締役に、経営者としては無謀かつ失格であるとお叱りを受けたことがありました。
考えてみれば出入業者から文句をいわれているのですから割の合わない話なのですが、相手方にすれば、売った品物の代金がとれるかとれないかの境目みたいなものですから、文句の十や二十もいいたかったのは無理もないと思います。
▶反骨がエネルギー◀
私は私なりの目算もあり、あるスケールに達すれば会社もペイすると考えておりましたのでシャクにもさわったのですが、現実に儲かっていないものを偉そうな口を利いても仕方がないと思いましたし「何クソ」という反抗心が私の場合常に仕事のエネルギーに転化されて来ていますので、今となってみれば感謝している次第なのです。
元来、私に限らず土佐人の言うことは、他人から見ると大ボラ吹きに見えるらしく、阿佐ヶ谷に店を開いたときから、私の家内をはじめみんなにホラ吹き扱いをされているので私はもうなれっこになっているのですが、事業の計画などについて相手に説明するときなどは相手が本気にしないので困ってしまいます。
私には、その事業の計画についてビジョンがハッキリしており、どの時点ではどうなり、どの時点でどの位の赤字だがどこまで行けばペイするというようなことがわかっていて、それをキチンと説明しようとしても相手がまともにとらないのには参ります。
私が、コーヒー豆の挽き売りを始めたときも、いくらコーヒーの消費が家庭用に移っていくといっても、そしてそれが5、6年以内にブームになるといっても誰も本気で聞いてくれませんでした。
又、コーヒー専門店が素人にでもできる商売だということでも、私は4年ほど前、ブームが来るずっと前に柴田書店発行の「喫茶店経営」という」雑誌に書いています。
近頃の業界誌などみますと、私が数年前に書いたことをさも新しい考えのように書いてあるのをよく見かけますが、もし本当に新しい考え方だとか商法だとか思っているのなら私の書いたものを読んでいないわけで、ずいぶん不勉強な人だと思います。
それはさておき、私がフランチャイズという商法が将来わが国でも盛んになると思い、展開を計ろうとしたわけですが、その時パートナーとなってもらおうと考えていたキャラバンコーヒーさんが日本珈琲貿易さんが本気にしてくれなかったのには全く困りましたし、かつ大変な誤算でもあったのでした。

ブラジルの霜害によるコーヒー豆の値上がりについて


1975年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年9月
珈琲共和国1975年9月

新聞や週刊誌などで既にご承知のことと思いますが7月下旬、ブラジルに降りた霜は、オイルショックさながらの影響をコーヒー業界に与えているようです。
現地の新聞などが伝えるところによりますと、ブラジルコーヒーの生産地であるパラナ州では、雪を伴った零下10度の寒波のためにコーヒーの木は葉や枝ばかりでなく幹や根にまで被害を与えたということです。
そのため枯死するコーヒーの木も多く、植えかえなければならない状勢にあるということですが、もしこれが本当だとすると、世界の1/3の生産量を誇るブラジルのコーヒーは今後数年間大減産となり、世界的にコーヒーの絶対量が不足してくることになります。
それに加えて、このところ相場が下降気味で、何とか値上げを計りたいと考えていたコーヒー生産国側は、チャンス到来とばかり、輸出の一時停止を行い、輸出価格の引き上げを策しておりますので、以来、世界のコーヒー相場は上昇する一方となっています。
また、具合の悪いことにはわが国のコーヒー業界にはこの2、3年来のブラジルコーヒーの増産、豊作の有様から、先安とみる楽観論が支配的で、各社共に仕入を手控える傾向にありましたので、国内在庫は少なく、10月頃には国内ストックの原料豆が品切れとなり、高騰した国際相場がスライドされた新規輸入分に頼らなければならないようです。
そうなりますと、当然、コーヒーの卸価格も上がることになります。
東日本コーヒー商組合では8月19日に総会を開き、この問題について情報を交換したようですが、遅くとも10月までにはコーヒー豆の卸価格をキロ当り200~300円程度引き上げなければならないだろうという意見が大勢を占めたということです。
さて、コーヒー豆の卸価格が上がるとなると、当然喫茶店のコーヒー代も値上がりするのではないかということになりますが、私は、コーヒー豆の値上がり自体はコーヒー店で飲むコーヒー代にかかわりないという風に考えています。
なぜならば、たとえコーヒー豆の卸価格が上がったとしても、コーヒー代の原価の中で占める割合は大したものではないからです。
私共コーヒー店の業者がお客様に提供しているコーヒーの原価は、家賃や改造費、権利金の償却費、水道光熱費がその大部分を占め、原材料の占める割合はせいぜいコーヒー代の18%位だからなのです。その上、コーヒー豆の原料代はその半分位ですから、コーヒー豆の卸価格が上がったからといって影響を受ける額は大したものではありません。
この程度の値上がりは、日常的に購入している砂糖やクリームやその他の商品や資材の値上がりで経験していることですから、その時点での経営効率の中で吸収してしまえばできないことはない金額なのです。
むしろ、東京都の場合などは水道料金が3倍になるというようなことの方がこたえるわけで、値上げの本当の理由はそちらにあるのではないかと考えています。
ですから、もしコーヒー店や喫茶店でコーヒー豆の値上がりを理由にコーヒー代を値上げする店があったとしたら、これは全くの便乗値上げとしか考えられないと思います。
ただ、コーヒー専門店にしろ喫茶店にしろ、喫茶営業という部門に関しては、飲食物の販売というよりもサービスの提供という要素が強い面がありますので、人件費とか公共料金が上がるとその値上がり分のうち営業の弾性によって吸収できない部分については多少値上げをしなければならなくなってきていることは事実です。
私共、ぽえむチェーンにおいても、サービスの提供、特に楽しさを演出するための経費がかなり圧迫を受けており、スケールの拡大によるコストダウン等でカバーできない面が出てきていますので、本年中にコーヒー代を多少値上げするかもしれません。しかし、値上げするといっても20円か30円が限界であって、50円も100円も上げるということは便乗値上げもいいところだといわざるを得ません。
このブラジル霜害で、私が一番ショックを受けたのは、世界的なコーヒー豆の相場の下落を見込んで、サービス提供によるコストプッシュの少ないコーヒー豆の店頭販売の引下げを計画していたことがだめになったことなのです。
皆さん方がぽえむのコーヒー豆をたくさん買って下さるので、ぽえむ本部が扱うコーヒー豆の量は年内に月商10トンを超えるだろうと思いますが、そのスケールを生かしてコストダウンしようとしたものがだめになりました。この物の値段がみな上がるときに値下げをするというカッコヨサ――これも、一夜の霜でユメとなりました。
しかし、値下げはできなくても値上げをしないという道が開けていますから、その点で十分な努力をしたいと思っています。

珈琲屋風雲録 第二話


1975年8月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年8月
珈琲共和国1975年8月

ハードな生活に堪え、トンネルを脱出

焙煎業者のサービス
日珈販というフランチャイズ本部を設立するにあたって、私が財政面での計算を怠っていたのではなかったのだが、実際に始めてみると予想をはるか上回る出費であった。
かりそめにもフランチャイズの本部を名乗るからには、たとえ加盟店が1、2店舗であろうとも、100、200店を有するチェーンの本部機能と何ら変わることなき機能を備えていなければならないことは承知していた。そして、その本部機能が、いわゆる焙煎業者のセールスマン達が、新しい喫茶店開発業者のためにコーヒーの淹れ方を教えたり、店のデザイナーを紹介したり、施工業者をあっ旋したりするのとは本質的に違うということも理解していた。
しかし、いざ本部として加盟店の指導にあたってみると、その重要性の何かを知るに従って自分達の責任の重大なことに驚き、恐れ、途方にくれたというのが本音なのである。
私はフランチャイズの本部を運営してみてつくづく考えるのだが、いわゆる焙煎業者達が、いとも簡単に喫茶店の開発希望者にコーヒーの淹れ方を教えたりの程度で店を開かせたりしているのをみて、一体彼らは自分達の行っている仕事の重大さを知ってやっているのかと思わされてしまう。
それは、たとえそのディーラーヘルプともいうべき行為が善意であり、無償の行為であったとしても、開店希望者にとってはそれが開業までの唯一の導きであり、さらに、数百万数千万という多額のお金をその店に投資させることになっているということを自覚しているのだろうかということなのである。
彼らは、自分達はサービスでやったことなのだから、金を貰って教えたりアドバイスしたりしたわけじゃないのだから、責任は負えないというかもしれないが、お金を投資する側にとっては重大なことで、場合によってはその人の事業の成否ばかりでなく、生命にもかかわる問題ともなりかねないのである。
かつて、私が一介の素人として阿佐ヶ谷に店を開き、その道のプロフェッショナルだと信じていた人達のアドバイスを受けて商売した結果が、結局、睡眠も食事も着るものも十分でない、ただ食べて働いて眠るだけの生活を数年の間させられたことで、彼らがいかに商売にかけては素人で無力であるかということを骨のズイまで知らされている。
幸い私は何とかそのハードワークに堪えることができたし、そのトンネルも自分のやり方を開発することによって脱出することができたが、もしあのままであったら、私も最後には健康を害して一家心中でもしていたかも知れないと、ゾッとすることがある。もっとも、その当時のハードな生活がたたって慢性腎臓炎となり、完治するのに5年もかかったのだから、心中する前に死んでいたのかもしれないのだ。

自社配送を始める
私もフランチャイズの本部をやるからには、そんないい加減なディーラーヘルプのなりくさしのようなことではなく、必ず成功する店作りと営業の指導を行いたいと思っていたから、それなりの準備をしてかかったのだが、実際の仕事を始めてみると、その仕事の奥の深さには絶望的な思いをさせられたのである。
そのまず第一は、人材の問題であった。
今でこそ、営業担当常務取締役に加藤久明(元木村コーヒー店取締役)を得、また、開発担当常務取締役に久保寔(元東洋冷食開発室長)を加え、若いスタッフも順調に育って、社外スタッフの矢花清一(インテリアデザイナー)、笹岡信彦氏(双美工房代表・グラフィックデザイナー)等の積極的な協力もあって、スタッフの充実度という点では、コーヒー業界で他にひけをとるものではないと自認していますが、発足当時は現指導課長の小高正三や現総務担当常務取締役黒沢庸五と私などが何から何まで陣頭に立ってやっていたわけですから、今から考えれば不満なことだらけだったわけです。
その上、計算外のできごととして、商品等の自社配送を行うという必要が起こってきたのです。
当初、私どもは、その当時の取引先であったキャラバンコーヒーにすべて商品の原材料の供給をお願いしており、われわれ本部は純粋にノウハウのみを提供すべき組織として運営していくつもりでした、
ところが、私どもの加盟店である吉祥寺店の近くにある三浦屋さんというスーパーでキャラバンコーヒーの売店コーナーを設けられたことから話がこじれて、結果、自社配送に踏み切らざるを得なくなったのです。
それはどういういことかといいますと、私どもは現在でも当時でも、私どもぽえむ独自のオリジナルブランドのコーヒー豆を発売しており、その加工に関しては、他の得意先のものとは別個に特別注文で行っておりました。
今でも、他の店で売っているコーヒー豆より高い値段がついていますが、これは原材豆、加工方法等すべてに関して品質第一に考えているから、必然的にそうなるわけですが、それを三浦屋さんでは、全く同じコーヒーを安く売っているという風に説明されたようなのです。
その結果、吉祥寺店、店長が顧客から詰問され、それが全加盟店で真相はどうなのだという問題にまで発展し、とうとう最後にはキャラバンコーヒーの工場から直納してもらい、自社配送するということで当座のケリをつけたのですが、結局、この問題は尾を引き、キャラバンコーヒーとの取引きを解消するまでの事態に発展したのでした。
さて、そのようないきさつがあって自社配送を始めたのですが、これが経済的には大きな誤算であったのです。

消費者米価とコーヒー二杯半分の値段


1975年8月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年8月
珈琲共和国1975年8月

 過日、私のところへ日本経済新聞のN記者から電話がかかってきました。
 その要件は「よくたかがコーヒー一杯分の金額」という比喩をきくが、そのことについてどう思うか、ということでした。
 その電話を受けて正直な話、私はまた消費者米価の話かとウンザリし腹立だしくもありました。
 新聞が伝えるところによりますと、消費者米価の値上げ分は「コーヒー二杯半分を節約したらよい」とのことですが、これで一体われわれは何杯分のコーヒーを節約させられたでしょうか。
 政府や米価審議会の方々は、一日に何杯もコーヒーを召し上がっているのでしょうが、われわれ庶民というものは、一日に一回喫茶店でコーヒーを飲むというのが精一杯というところですから、こう何年も続けて節約させられれば一体月に何回コーヒーが飲めるのでしょうか。
 そのささやかな楽しみさえも奪ってシャーシャーとしているお歴々の無神経さには腹が立つより呆れてしまいます。
 そもそも、われわれ庶民がコーヒーを喫茶店で飲むということは、無駄な飲み物をただ飲むというのとは大分意味が違うと思います。
 まず、わが国で喫茶店という業態が異常発達した背景は、住宅やオフィスを含めた住全体の貧しさからきているものです。
 政府や米価審議会の委員の方達は御住居も立派で、オフィスにも個室をお持ちでしょうが、庶民というものは、家に帰ればよくて3DKの団地住まい、会社では窮屈なオフィス以外にせいぜい息抜きをするのは、ビルの屋上か喫茶店ぐらいのものなのです。
 ですから、その喫茶店で飲むコーヒー代を節約するというのは、ごくささやかな憩いの時間とスペースを購うことを止めろということと同じことでしょう。
 そんな楽しみさえも庶民に与えることのできない為政者は、無能という以外表現の仕様がないと思います。
 どうもわが国の官僚や政治家や学識経験者の方達は、即物主義でいらっしゃるらしくて、形のある物を食べるということに御熱心で、庶民が「文化であるとか、ゆとりであるとか、教養であるとか」形のないものを食べるということには無関心なようですが、それでは「文化国家ニッポン」の看板が泣いてしまうでしょう。
 そんな話を、私は日本経済新聞社のN記者に話したところ、喫茶店の業者で貴方のように「コーヒー一杯の価値」をとらえている人は他にいないでしょう、といわれましたが、確かに業者には見当たらないかもしれません。
 しかし、業者には自覚がなくても、喫茶店を利用する庶民には動機があり、その動機によって喫茶店の営業が成り立っているという歴然たる事実があるのです。
 その動機こそ、ささやかなる安息を、自分達が購うことのできる範囲のお金で得たいという強い欲求なのです。
 こういうことは、コーヒー代ばかりではありません。かつてはタバコ代が比喩に使われたこともあります。また、パチンコ代だってそういえるでしょう。
 このようなささやかな庶民の楽しみを無駄ということで片付けようとするならば、腹の足しにもならない「モナ・リザ」なんかも公衆浴場のタキギにすべきでしょうし、海洋博なんかも無駄の筆頭、また、国民休暇村なんかもやめて養豚場にでもすればよいということになります。
 とにかく、米価をあげるならあげるでもう少し理論的につじつまの合う理由を国民に提示して説明すべきで、いいかげんに「コーヒー二杯半分の値上げ」などといいのがれをしようとするからおかしなことになってくるのです。
 とにかく、政治家の口からスラリと、たかがコーヒー代などという言葉が出るのではなくて、コーヒー一杯にすぎないことでも十分の配慮がなされるような世の中になってもらいたいものですね。

珈琲屋風雲録 第一話


1975年7月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年7月
珈琲共和国1975年7月

 現在、社団法人日本フランチャイズチェーン協会の正社員は28社、準会員9社である。
 その中で、コーヒー業界からは正社員で日珈販が、準会員でダイタン商事が加盟を認められているだけである。
 規模や歴史は別として、わが国の公共的な組織から一応フランチャイズチェーンの本部として適格であると認められたのは、この2社だけであるということになる。

ぽえむ珈琲専門店へ
 業界誌の広告などをみると、沢山の企業がコーヒー店のフランチャイズチェーンの加盟店を募集しているが、これらは客観的にみるとフランチャイザーとして適格でないということになる。
 善意に考えてみて、アメリカなどでフランチャイズの団体が山師の集まりという風にみられた時期もあるので、それで協会を敬遠しているとみれないこともないが、それならフランチャイズなどという言葉を使って加盟店募集をしない方がよいと思う。
 悪意に考えて、協会に入るといい加減なことができないから入らないのだとも考えたくなるが、協会自体だってまだこれからなのだから、どしどし加盟してみんなの手でフランチャイズを立派なものにしたいものである。
 さて、私は何も協会のPRのために筆をとっているのではない。なぜ、ぽえむがフランチャイズというものを始めたのかということを書きたいのである。
 つまり、あの永島慎二さんの漫画に出てくる時のようなアットホームなぽえむを捨てて、珈琲専門店のチェーン化などという大企業的な臭いのすることをオッパジメタのかということを知ってもらいたいのである。

最初の2年は給料もなく
 私は、最近人に会うごとに「随分儲かっていそうですね」とか「そんなに儲けてどうするのですか」などといわれる。
 だから、大半の人々は私が儲けるためにコーヒー専門店のフランチャイズを始めたと思っているようである。
 しかしそれは違う。
 確かにぽえむの各店はどれも繁盛し、よく儲かっている。だが、間違ってほしくないのは、繁盛している店のオーナーは私ではないし、儲かっているのは私ではなくその店のオーナーなのである。
 実をいうと、私も阿佐ヶ谷西店、下高井戸店、吉祥寺店の3店をぽえむでやらしていただいてるので、この3店分に関しては儲けさせていただいている。
 だが、本部が儲かっているかというと、それは間違いである。
 今だからいえるが、日珈販という会社を作ったお蔭で、私が個人的に損したお金は1500万円。そして日珈販の赤字がトータルで1400万円ほどになるから、日珈販に注ぎ込んだお金が約3000万円ということになる。
 しかも、日珈販を作って約2年間は、私は一銭も給料をもらっていないのだから、それも計算するとえらい損になる。
 幸い去年から日珈販も少少なりとも黒字になりはじめて来ており、多少なりとも給料を払っていただくようになったので、告白することもできるのだが、取引先や銀行や、そして女房などには聞かせられない話だったのである。

業界への怒りがFC化に至る
 それでは、一体なぜ私が得にもならないことを始めたのだろうか。
 名誉欲であろうか。それとも自己顕示欲であろうか。
 それも確かにないとはいえないことはない。
 しかし、それだけではこんな高い代償を払ってまでやろうとはしなかっただろう。
 私がチェーン化してやろうという気になった本当の理由は、怒りである。腹が立って仕方がなかったからである。
 では、一体何に腹が立ったのであろうか。
 直接の対象となったのは、コーヒー業界の仕組みに対してである。
 喫茶店のオヤジ連中をたぶらかしてヌクヌクと儲けている焙煎業者。そして焙煎業者がそんな商法をとらざるを得ないように仕向けている喫茶店のオヤジ連中。この両方に腹が立ったからである。
 そして、その対象を通じて、業界のご都合で何事もケリが付き、消費者は常に業界の都合のよいものを押しつけられている、この日本の産業界の仕組みに怒りを感じたからである。
 そして、その怒りをさらにかきたてたのは、いくら正しくてもいくら論理をつくしても、経済力という暴力のもとに零細な業者の声は無視されるということへの怒りであった。
 その怒りがエネルギーとなって発展して来たのが、この日珈販という組織であり、その組織を効果的に動かすための手段として導入したのがフランチャイズシステムであったのである。
 だから、私が、このぽえむチェーンを作るにあたって考えて来たことは、金がないものがどうしたら巨大な資本をもった企業と太刀打ちできるだろうかということなのである。
 ところが、実際に始めてみると、これがまた、とほうもなく資金の要する仕事だったのであった。

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