みんなの珈琲学2


1976年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1976年3月
珈琲共和国1976年3月

《問》ぽえむの主張にムジュンはないか?《新メニュー》焙煎度の違う豆のミックス

前略
いつもぽえむのコーヒーを美味しく飲ませて頂いています。残念なことに、今月一日よりメニュー改定と同時に飲食の値段も上がってしまい、ついに二五〇円のアラカルトは姿を消してしまいました。商品券の額(千円)はずっと変わらないナァなどと、ふと思っています。
ところで本日ペンをとったのは、新登場のスペシァルミックスの事で少し伺いたいのです。
本日お送り頂いた”珈琲共和国”や新メニューには「焙煎度の違うコーヒー豆を数種類配合云々」と書かれています。でも、従来のぽえむでは「ブレンドコーヒーは焙煎度の同じものを使うべきだ。さもないと味にバラツキが出てしまう」という姿勢ではなかったでしょうか?だからこそ、売店でもストレートの「豆を配合して売ることを禁止」していた(共和国No.21 P7)のだと思います。この説明をして頂きたいと思います。「抽出法に多少の配慮がいる」ということだけではちょっとわかりかねるのです。現に、今まで何度かぽえむで飲んでみましたが、何となく毎度味が違うような気がします。
決してこれはスペシァルミックスを止めろと言っているのではなく、なぜこういうものが出てきたのかをお尋ねしているのです。もちろんぽえむのことですから”鮮度の差---を無視してブレンド公式だけに頼って(共和国No.37 P7)”いるのではないと思いますが・・・。

杉並区阿佐ヶ谷南2-5-32
かめだたつき

《答え》スペシァルブレンドはコーヒー党の醍醐味追求!

お便り本当にありがとうございました。
ご質問の主旨たいへんよくわかります。
こんなことを申し上げると失礼かもしれませんが、加盟店の従業員や日珈販のスタッフに対する演習問題として、きわめて適切な発問があったと喜んでいる次第です。

■視点の違う二つの問題
さて、この演習問題の模範解答ですが、第一の問題点は、「焙煎度の同じものを使うべきで、さもないと味にムラ、バラツキが出る」ということと、「ストレートコーヒーを配合して売ることを禁止している」ということを、混同して考えていらっしゃる点にあると思うのです。
この二つは、全く視点が違うのです。
前者は、焙煎度の同じコーヒー豆を使うことによって「誰が淹れても同じ味のコーヒーができる」ということを目的に、ジャーマンロースト、フレンチロースト、アメリカンローストなどのコーヒーが造られているという意味で、ストレートコーヒーを配合して売るな、ということとは無関係です。
後者の、ストレートコーヒーを配合して売るな、ということは、「ストレートコーヒーは配合して用いられるために焙煎されたものではなく、ストレートの個性が強調されるように焙煎されたもの」であるため、単に配合比率で計算しても計算通りの味が出ないから、ぽえむとして責任が持てないということで、配合して売ることを禁止しているのであって、両者は、別々のものについて述べているのです。
このことは、ご指摘いただいた「珈琲共和国」(No.21 P37)をもう一度よく読み返していただくと、おわかりいただけるだろうと思います。

■スペシァルミックスの味のフラツキ
さて、問題のスペシァルミックスですが、ご指摘どおり、味のフラツキは多少あると思います。
それは、焙煎度の違うコーヒー豆を配合すると、焙煎度の強いものと弱いものでコーヒー豆の成分の抽出具合に差がありますから、抽出に要した時間の差が、そのまま味のバラツキとなって出てくるのです。
ただ、店の従業員が、本部のマニュアルに従って忠実に抽出したならば、多少のフラツキがあっても、美味しいコーヒーのワク内に納まるはずのものなのです。

■スペシァルブレンド誕生の舞台裏
ぽえむを、私と家内の二人で営業していたころ、そして、ぽえむのコーヒーが美味しいと評判をとりはじめたころは、もっと複雑な配合のコーヒーを提供しておりました。
すると、私と家内との間で淹れるコーヒーの味にどうしても差異ができ、「マスターの淹れてくれるコーヒーじゃないと飲まない」というお客様がいたりして困ったものです。
私も不死身ではありませんから、年がら年中店でコーヒーを淹れるわけにもいかず、そこで工夫して、誰が淹れても責任の持てる味の出るコーヒーとして開発したのが、ジャーマンローストの代表されるぽえむのコーヒーだったんのです。
しかし、味覚というものはバラエティのあるものですから、もっと幅の広い美味しさも探求しようとすると、単一な焙煎豆を用いるのはどうしても限度があります。
そこで、もう一度コーヒーの美味しさを追求しようという目的で開発したのがスペシァルブレンドなのです。

■コーヒー党の真の醍醐味
それともう一つ、あまり誰でも簡単に淹れられるコーヒーばかりでは、コーヒーを大切にする心が失われます。
一つくらい意地の悪いコーヒーがあって、従業員の技能でコーヒーの味に差ができて、お客様から文句の一つぐらい言われるものがあってもかえって面白いのではないかと思うのです。
私も、ぽえむの各店にお邪魔したときは、必ずスペシァルブレンドでその店の技量を計りたいと思っていますが、貴方もひとつ、そのようなことをおやりになってみてはいかがでしょうか。
その結果でもお知らせ下されば、楽しいな、と思っています。

みんなの珈琲学1


1976年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1976年2月
珈琲共和国1976年2月

コーヒー代はまだまだ上がるか?
-不気味な海外相場の動き
前月号の年頭所感で、今年は一般の珈琲についていえば安いコーヒーが飲めそうだ、ということを書きました。
その筆の乾きもそこそこだというのに、ぽえむの店で飲ませるコーヒー代が値上がりしようというのですから、ぽえむファンの皆様もがっかりされたと思います。
そのがっかりしたところで、またも追いうちをかけるようですが、まあ2月は日数が少なく早く過ぎるようですので、悪いニュースをお届けしたいと思います。
-○-○-○-
実は、世界のコーヒー市場がまたもや急上昇しつつあるのです。
前回のブラジル霜害の時は、事態が非常にドラマティックだったのでマスコミなども随分取り上げたのですが、今回の値上がりはそれをはるかに超える規模でありながら、たいしたニュースにはなっておりません。
それは、前回の霜害騒ぎが意外にあっさりと冷却したので、今回の相場上昇も多分にタカをくくっている様子が見えるからです。
しかし、霜害の時はどちらかというと、国際相場の上昇よりも国内の上げの方がひどかったのですが、今度の場合は、国内、国外で完全に逆ザヤになっているため、ちょっとばかり自体は深刻になりそうです。
業界では、今のところたいした動きは見せていませんが、生豆問屋筋の観測では、国内500社といわれる焙煎業者(加工卸業者)のうち、200社位がこの原料豆高騰で行き詰まるのではないかと行っています。
ひと頃の相場なら3ヶ月分くらいストックする位のコーヒー豆を買えたのですが、こう高くなると焙煎業者の資金力では1ヶ月半分位が限度とやらで、この高値相場が続くと、再びコーヒー豆の値上げという事態になりそうです。
そして、前回はコーヒーの端境期にあったため、年内分等を手当したむきもありましたが、今回はどこも急騰後だっただけに値下がりの期待が強く、また資金繰り上からもストックが少ないので、すぐコストに響きそうです。
どうやら今回の値上がりは生産国の政策によるものらしく、10月1日に発足する新国際コーヒー協定にからんで、生産国が来年度の輸出割当量を確保するために、9月末現在の在庫量を増やす政策に出ているためではないかと思います。
商社の情報によると、ブラジルは3年前の3.4倍、コロムビア2.5倍から3倍、増量剤に使われるアイボリーコーストのロブスター種などは5倍位という値上がりぶりで、ペルーなどオファー停止という強硬ぶりです。
毎度申し上げるように、喫茶店で飲ませるコーヒー代はサービス料金が大半ですから、コーヒー豆が上がったからといってすぐ値上げするというものではありませんが、私鉄運賃に続き郵便料金、そして秋には国鉄運賃と値上がりが続いていますので、このままでいくと、ぽえむもまた値上げしなければならなく
なるのではないか、といやな予感にかられるのです。
前回の値上がりの場合は、加盟店の利幅を少なくすることによって、店頭販売価格の値上がりを回避することが出来たのですが、今度上がれば店頭価格を値上げしなければならなくなります。
せっかくコーヒーが安くて美味しい飲み物であることが定着しはじめた今、再び値上げということは、我々業者としても大変につらいことになりそうです。
だが、コーヒーが完全な輸入食品である以上、我々はどうすることも出来ないのですから、その気持は無念の一語につきます。
ぽえむでは、今後原料豆の計画的発注など安定供給の体勢を確立していくつもりですが、その前途も決して楽観できないようです。

珈琲屋風雲録 第七話


1976年1月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1976年1月
珈琲共和国1976年1月

山内企画と日珈販
その生い立ちの記

話は少し横道へそれますが、私は今、山内企画という会社と日本珈琲販売共同機構(日珈販)という会社の社長をしています。

~親としての山内企画~
山内企画は、その出資金の大半を私と家内が保有しており、一部を創成期からの同志で現在日珈販の総務担当をしている黒沢庸五君と、日本珈琲貿易さんが保有しています。そしてその会社の仕事というのは、ぽえむの下高井戸店、阿佐ケ谷西、吉祥寺各店を日珈販もフランチャイズ店として経営してしているいわばプライベートな会社です。
ですから、会社の役員も私と家内とそれに黒沢君というパパママストア的規模の会社で、その社風も極めてファミリーな、そしてその経営方針もファミリーな会社なのです。
そのプライベートな会社に日本珈琲貿易さんが出資しているのは少々おかしいのですが、それは、日珈販の創立当時は山内企画が日珈販の株式を全部保有しており、事実上小会社でもあったので、山内企画に出資することは日珈販に出資することと同じであるという考えに立ったからだと思います。そして、そのような考えに至ったのは、当時日珈販の経済基盤が弱くて山内企画におんぶしているような状態だったので、日本珈琲販売共同機構に投資するよりは山内企画に金を出したほうが投資金の保全という事を考えたらリスクが少ない、と考えたからなのでした。それはどちらかというとキャラバンさんの方にその意向が強く、日珈貿さんはその考えに乗ったというのが真相のようです。
私は、山内企画の成立基盤というものが、極めてプライベートな型(例えば、吉祥寺店は私の姉の店を山内企画が経営だけ引き受けているとか、下高井戸店は家内の実家が家内に貸しているものをやはり経営を任されている)の上に成り立っているものですから、山内企画はあくまでプライベートな会社の域を出ないので、日珈販は公共性の強い企業として育てたいと考えておりました。
私は、キャラバンさんにも、日珈貿さんにもそのことを何度か説明をしたのですが、現在に至っても山内企画と日珈販の区別がよく判っていらっしゃらない様子です。
もっとも、最初ぽえむチェーンは山内企画の中にその本部をおいて加盟参加を呼びかけ、永福町店さんが加盟された時点で日珈販という新会社を作って、チェーンの本部機構を移管しましたので、自然そのような混同が起こってしまったのだと思われます。

~親としての日珈販~
しかし、創立当時はともかく、現在では山内企画が日珈販の筆頭株主であることと、私が社長を兼務している他は、全く別の会社として動いており、株主の数も増え、山内企画の持ち株も過半数を割っております。
また、取締役その他のスタッフも山内企画とは無縁な者がほとんどで、社員の意識構造も山内企画なんてものはフランチャイジーの一つにしか当らない、というのが最近の実情なのですが、業界の方や、加盟店の方にも、まだまだ山内企画と日珈販が同じものだと思ってらっしゃる方が多くて困ってしまいます。
このような混乱起こってしまったのも、原因を糺せば、私の強引なやり方に起因するのでしょうが、そのような無茶なやり方でもしない限り、今の日珈販は創り上げられなかったと思います。
ですから、今となっていろいろ問題を残すようなやり方を今の時点で批判することは出来たとしても、それは出来たからいえるのであって、堅実でオーソドックズなやり方なんていうものでやっていたら、日珈販などという新しいユニークな会社は出来なかっただろうと思いますので、私は私なりに最善を尽くしたと思います。
ただ、個人的には、キャラバンさんから山内企画の持分を買いとった銀行借入金の返済や、山内企画が日珈販の肩代わりをした借入金の返済など、あと2年余りは借金の返済に追われるかと思うと、全くうんざりするというのが、本音なのです。

珈琲屋風雲録 第六話


1975年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年12月
珈琲共和国1975年12月

メリタ普及の意味するもの

メリタの感謝状
私事になって恐縮ですが、去る10月21日、私は東京・六本木にあるメリタジャパン社に招かれて、メリタ本社の永年にわたるメリタ製品販売の功績に対して、副社長並びに鈴木真メリタジャパン社長連名の感謝状とメリタ社主からの記念品をいただきました。
この記念品は、メリタ社がベルリンに新しく建設した工場で一番最初にすいたコーヒーフィルター用の瀘紙に、古いベルリンの市街図を印刷したもので、たいへん価値のあるものです。
私は、メリタ製品が日本珈琲貿易社によってわが国に導入されて以来、そのすぐれた機能に惚れ込んで、他のコーヒー器具には目もくれず、一筋にメリタの普及に心を傾けてきましたから、今回感謝状をいただいたことは、その努力が報いられたものとたいへん嬉しく思っています。
私は、メリタが家庭用コーヒーを普及させるのには最もすぐれたコーヒー器具だと考えておりますし、またわが国のコーヒー業界を一部の業者の独占物から、まともな商売に改革させるためには、家庭用コーヒーの普及以外に方法がないと考えておりますので、メリタから金をもらっているのではないかと陰口を叩かれるほどメリタの肩を持ち、メリタの優秀性について業界誌などに書きつづけてきたのです。
掛値無しに考えても、私がメリタの優秀性についてマスコミに書いたり書かせたりしたものを宣伝広告費として計算すれば、1億円以上になるでしょう。
ですから、私やキャラバンコーヒー社、そして日本珈琲貿易社などの努力がなかったら、こんなに早くメリタ社が日本へ進出できなかったといっても過言ではないと思います。

日珈販オーナーは珈琲業者にあらず?
ところで、それにしてはメリタ社の私に対する態度はつれないものでした。つまり、私がぽえむというコーヒー専門店の本部のオーナーで、焙煎業者でないために、メリタ社では私を無視してきたのです。
もっともこれはメリタ社が悪いのではなく、コーヒー業界のタブー(商社や生豆問屋や焙煎業者のみが仲間うちの商売をする)を慮ったもので、もしメリタ社がおおっぴらに私共と直接取引でもしようものなら、製品ボイコットをしかねないような空気がコーヒー業界全体を支配しているからなのですが、私共にすれば、メリタ普及の功労者を無視してニワカメリタ教信者を大事にするやり方は気に入りませんでしたし、少なくともわが国のコーヒー業界を革新してくれるパワーの一つだと信じていただけにがっかりしたというのが偽りのない気持でした。
しかし、今回メリタ社が私に感謝状と記念品を下さったおかげで、なんとなくそのモヤモヤした気分も吹っ飛んでしまいましたのでまた大いにはり切ってメリタ製品を売りまくろうと思っています。

メリタ普及の真意
さて、このメリタ製品を私に会わせてくれた日本珈琲貿易の武田社長ですが、過日メリタ主催の勉強会『丘上会』で「メリタの普及こそわが国のレギュラーコーヒーの普及を促進するものであり、ひいてはわが国珈琲業界の発展に寄与するものであると信じてメリタの導入を行なった」そして「今回メリタの輸入総代理店をメリタジャパンにゆずったのも、その方がより広く多くの人たちにメリタを使ってもらうことができ、その方がより業界のためになると考えたからである」と話されたそうですが、私も全く同感です。私はアウトサイダーなので丘上会には招かれませんでしたので直接全部のご意見を拝聴することはできませんでしたが、日頃の武田社長の言動から、十分にその真意を推察することができました。

必要な先見性と決断力
このような先見性と決断力を兼ね備えた武田社長あってのことでわが社と日本珈琲貿易社のジョイントベンチャーの話は進行したのですが、現実の問題としてはなかなかスムーズにはいかなかったのです。
まず第一にトップがいくら先見性に基づいた決断を下しても、カンジンの現場は業界のタブーという鎖にガンジガラメに縛りあげられていて動きがつかなかったというわけで、お互いに株を持ち合うという形式上の関係ができても、一向に両者の間柄は親密の度合を深めていくというようなわけにはいかなかったのです。
それでもまだ、日本珈琲貿易さんがメリタの総代理店である場合はメリタの販売についての利害関係がありましたから、まだまだ提携の理由もありましたが、今日のように日本珈琲貿易さんが一代理店となり、私共の買っている特約店が他の代理店から仕入れているなどということになってしまうと、日本珈琲貿易さんが私共と直取引をしないかぎり何のメリットもないということになってしまいますが、これも私共の方から働きかけても駄目なようですから、今やお手上げといった状態なのです。
私は、今やもう焙煎業者はメーカーと問屋に機能分化する時期に来ており、そして分化して考えれば私共チェーン店の本部も焙煎業者も大して変わりないと思うのですが、日本珈琲貿易さんをはじめ、石光商事さん、ワタルさんなどの生豆問屋さんには、そういうタブーに挑戦する勇気がなさそうです。
そうなると、ますますUCCさんあたりのようにユニークで決断力のある企業の方が、シェアを伸ばしていくのではないかと考えたりしているのです。

珈琲通Mさんのお話


1975年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年12月
珈琲共和国1975年12月

私の友人にMさんという食通をもって自認している人がいます。ご多聞にもれずMさんは、フランス料理はあそこ、和食ならこことごひいきの店は決まっていて、めったな店へご招待しようものなら大恥をかくという大変なお方なのです。
そのMさんが大の苦手としている人物が一人だけあります。それが私なのです。
私がまだ阿佐ヶ谷西店でコーヒーを毎日淹れていた5年半ほど前、Mさんは常連さんとして私の店に毎日足を運んで下さいました。
Mさんはある有名な大学の教授で、食通ぶりをオーバーに主張される以外には全くの好人物で、私も家内も、そして店の常連さんもすぐ仲良しになったのですが、ただ一点だけ食通(珈琲通)を振回されることが、我々の悩みの種でした。ご自分が召し上がるコーヒーについていろいろおっしゃるのはよいのですが、他の人のコーヒーの飲み方、そのメニューの選び方にまで一々文句をつけるのですから他の常連さんたちはたまったものではありません。陰で「M公害」などと言っていた間はよかったのですが、顔見知りがふえ、新密度が増すにつれてその博識ぶりはますます猛威をふるい、しまいにはMさんがいるとあとで来るといって帰る人まで出てきたのです。
そうなると、私も営業にかかわるので、申し訳ないけれどMさんの珈琲通の鼻をペシャンコにする必要があると判断し、M公害撤去作戦に乗り出したのでした。
都合のよいことに、Mさんは珈琲通としてブルーマウンテンNo.1しか飲まないと称していましたから、当分の間毎日ニセモノのブルーマウンテンを飲ませて珈琲通としての自惚れをコテンパンにやっつけてやろうと思いました。
それから10日間ばかり、私はMさんにニセモノのブルーマウンテンを提供しました。あんまり違いのあるものではすぐバレるのでメキシコ、コスタリカ、フォンデュラスなどアラビカ種の水洗式コーヒーを数種類選んで、毎日ニセ・ブルーマウンテンを飲ませたのです。
そうとは知らずMさんは「さすがブルーマウンテンNo.1の味は違うなア」などと言いながら、さも美味しそうにコーヒーを飲んでいきます。正直な話、あんまり率直に美味しがられるので本当は我々のたくらみを知っていて、トボケているのではないかとも思いました。家内などは、もういい加減にしたらと言い出したり、Mさんが店に入ってくると急にふき出して、当時住居としていた2階へ駆け上がったり、人をだますのも楽ではないなという思いもしました。そして、いよいよ我々がMさんに真実を告げる日が来ました。
ところが、いざとなると「貴方がこの10日間、ブルーマウンテンだと美味しがっていたコーヒーは全部ニセモノだ」などとは言えそうにもありません。何しろ相手は率直にホンモノだと信じているのですから……。
しかし、そうは言ってはおれません。断固実行しなければ、我々はもちろん常連一同もM公害から解放されないのですから。
×      ×      ×
Mさんは私の話をじっと聞いていました。この10日間ニセモノばかり飲ませたことも、みんながMさんのコーヒーに関するウンチクをM公害と称して迷惑に感じていることも、またM公害さえなければMさんはとても良い友人だと話していることも……。Mさんは一言も口をはさまず私の話を聞いていました。
最後に私は、今までみんなニセモノだったからこの10日間のコーヒー代を返すとお金を差し出しました。するとMさんは急に「それはいけない!!」と大きな声で言って、お金を私に押しもどしました。「僕はブルーマウンテンだと思って飲んでいたんだ!!そしてとても美味しかった。満足してるんだ!!だから、それはそれでいいんだ!!」
そして、てれ臭そうな笑いを浮かべながら「本当のことをいうと僕は何も判らないんだよ、コーヒーの事は……。でもいつのまにか珈琲通にさせられてね。ひっこみがつかなくなってね」というと、大きく伸びをして「マスター、ジャーマンをくれよ!!」と言ったのです。
それ以来、カレはジャーマン党になりました。「ジャーマンなら安いし、美味しいものね」。
×      ×      ×
2.、3日前、私は新宿でバッタリMさんに会いました。そして、カレの行きつけのコーヒー専門店へ連れていかれました。ところが、そこでMさんは珈琲通ぶりを発揮しているではありませんか。私が変な顔をしているとMさんがウインクしながら言いました。「新しいバーテンが入るとね、ここのマスターとグルで教育するのさ。ところでマスターを紹介するよ」
指さす方向を見て私はびっくりしました。そのマスターこそ、私と一緒にMさんをたぶらかす企みをした当時の大学生の常連さんだったのです。せ

珈琲屋風雲録 第五話


1975年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年11月
珈琲共和国1975年11月

業界に旋風おこる
メリタ取扱いがきっかけ——-
私共と日本珈琲貿易さんがお近づきになったのは、メリタ製品の取扱いがきっかけでした。
ある日、私のところへキャラバンコーヒーの当時の城南営業所長であった沢田邦彦君(現営業第二部長)と日本珈琲貿易の鈴木正章さん(現キタヤマコーヒー)が連れ立って来られて、今度メリタの日本総代理店としてメリタの商品を輸入するから使ってくれないかと言います。当時ぽえむではカリタ製品を使っておりましたし、カリタさんからは開店当初少しシーリングの甘いフィルターペーパーをたくさん無償でいただいた義理もあったので私は気乗りがしなかったのですが、鈴木さんが非常にメリタ製品普及に情熱を持っておられたのと、ちょうどその頃使っていたデミタスカップの口にカリタの101型が合わず抽出したコーヒーが洩れて困っていましたので100型(現1×1型)という1人用のものを使わせていただくことにしました。
使ってみるとペーパーの質はメリタの方がよく、プラスティックのフィルターの無機質も、当初心配したような客からの反発もなく、軽くて使いやすく、カップのフチを傷つけるようなこともないので、次第次第に全面的に採用することにしました。
そんなことがご縁で、私共と日本珈琲貿易さんとはキャラバンコーヒーさんを中にはさんで親しくなりました。
最近ではメリタもすっかり有名になりましたが、当時メリタを真面目に取り上げようと考えたのは、わが社の他に、キャラバンコーヒーさんと京都のオガワコーヒーさん位のものでしたから、自然日本珈琲貿易さんとわが社はメリタを通じて親密の度合いを深めていったのです。ですから当時の私共としてはメリタの輸入総代理店としてメリタ商品の販売を伸ばそうとする日本珈琲貿易さんと、メリタによるコーヒーの抽出とメリタ商品の販売ネットを創ろうとするわが社が提携しようといっても、決して不思議ではなかったのです。

コーヒー業界の商習慣——
しかし、その当時も現在もわが国のコーヒー業界は商社・生豆問屋・焙煎業者の結束は固く、喫茶店の経営者や一般消費者には絶対に手の内を見せないというのを商習慣にしていますので、私共のような喫茶店業者と生豆問屋の日本珈琲貿易さんが、たとえキャラバンコーヒーさんという焙煎業者が仲介してとはいえ、直接に接触するということは大変なことで、このことは業界内部で、当の日本珈琲貿易さんはもとより仲介したキャラバンコーヒーさんへも風当たりが強かったようです。
私が考えるところ、両者ともに業界では力のある会社ですからウルサク言われた位ですんだのでしょうが、これが弱小業者だったら軽くて私共へのお出入り差し止め、重ければ業界の村八分ということになったでしょう。
私にいわせると、本来商売というものは相手にその商品の内容をキチンと話をして、その内容にふさわしい値段で売り渡すのが正しいあたりまえの取引の仕方なのですが、コーヒー業界では、喫茶店などの経営者に情報を与えずして無知におとしいれ、その無知につけこんで法外な値段でコーヒーを売りつける商法があたりまえでしたから、そのようなセクト主義、秘密主義を貫く必要があったのでしょう。
ある焙煎業者がブラジル4、コロンビア3、モカマタリ3のブレンドだと称しているコーヒーが、実はブラジルのIBCといわれる格下品とアイボリー・コーストのロブスタ種やペルーの安物しか配合されていないなどということは業界では珍しくありませんでしたから、零細な規模の業界でなかったらとっくの昔に公正取引委員会のヤリ玉にあがっていたでしょう。私はそのような事実を焙煎業者の退職者から聞き出し、マスコミなどに暴露しましたから、私に対する業界の反発はたいへんなものでした。
いくら業界から反発されようと、私には私の考えを支持して私の店でコーヒーを飲んでくれる顧客がいますから全然平気でしたが、私への情報提供者というヌレギヌをかけられた日本珈琲貿易さんやキャラバンコーヒーさんはとんだ迷惑だったであろうと思います。
そんなことですので、当時日本珈琲貿易の武田佳次社長の先見性と決断と勇気がなかったら、とうていそんなことはできなかったでしょう。

メリタのPRする6gコーヒーは本当に安上がりか?


1975年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年11月
珈琲共和国1975年11月

最近、コーヒー業界の話題になっていることの一つに「メリタの6gコーヒー」があります。
今までのわが国コーヒー業界の常識としては、コーヒーのカップ1杯あたりの標準使用量は10gということで、コーヒー専門店などでは12gから15gも使用するところがあります。
私共ぽえむでも、ジャーマンロースト1杯あたり12gというのが基本ですから業界の常識とは大して変わっていません。
ところが、今度メリタでインスタントコーヒーより安いということで6gコーヒーの宣伝を始めたものですから、近年喫茶店のコーヒーの消費量が年を追うごとに落ち込み始めているコーヒーの卸業者(焙煎業者)が、これ以上コーヒー消費量が減ってはたまらないとカンカンになって怒り狂っているようです。
7月号の本誌でも6gコーヒーを取り上げたところいつも本誌を目の敵にしている焙煎業者の方から、攻撃の仕方がてぬるいではないかと妙な励ましの言葉をいただき、当惑させていただきました。
私はこの6gコーヒーについては、7月号でも述べたとおり、あくまでもコーヒーを飲む本人の好みであって、6g使って淹れようが2g使おうが、それは本人の勝手だと思います。
ですから、メリタが6gコーヒーをPRしているからといって、メリタを使って淹れているぽえむのコーヒーを6gに減らす気は全くありません。
ぽえむはぽえむの味として研究し、創りあげてきたコーヒーの美味しさを絶対に崩す気はありません。
しかし、コーヒーを飲む当人が、自分は6gしか使わない薄いコーヒーがよいというならば、それに反対する気も全くありません。
そんなことより、私は6gコーヒーの方が安上がりだというメリタの主張も、6gコーヒーが普及したらコーヒーの消費用が減るという焙煎業者の主張も、どちらも間違っていると思います。
なぜならば、私が見たところではコーヒー好きな人ほど薄いコーヒーを好む傾向があるからです。そして、薄いコーヒーほどお腹にたまらないので何杯もお代わりできるからなのです。ということは、薄いコーヒーだとついつい飲みすぎて安上がりどころか買って来たコーヒーがたちまち底をつくということになってしまいそうです。ですから、私は焙煎業者の方たちが心配するようにコーヒーの消費量が減るどころか、かえって増えるのではないかと思うのです。
ただし、これはあくまでも家庭用のコーヒーの話であって、コーヒー専門店や喫茶店などではふところの都合でコーヒー代のお代わりがすすむというわけにはいきません。
やはり高いお金をとってコーヒーを提供するからには、1杯で充分に満足していただけるだけの中味をもったコーヒーを提供すべきでしょう。
むしろ6gコーヒーで気になるのは、極細挽き(ファイングラインド)にしろということの方です。
メリタの生まれ故郷の西ドイツのように良質のコーヒーが輸入されているところなら、いくら細かくなっても問題はないでしょうが、わが国で売られているようなアフリカ産のロブスター種や安物のアラビカ種のたくさん入ったコーヒーを細かく挽いて、それに含まれている成分を充分に抽出したら、そんなことになるでしょうか。
私は、そのためにせっかくメリタで淹れたコーヒーがインスタントコーヒーよりまずくなって、再びレギュラーコーヒー党をインスタントコーヒー党に追いやる方が心配です。
実のところ、私はたいへん薄いコーヒーが好きですが、たいがい濃いコーヒーを湯で割ったり、ちょっぴりぜいたくをするときは多量のコーヒーを粗挽きにしてさっと手早く淹れて飲んだりします。
まあそれがいちばんコーヒーの美味しい飲み方でしょう。
でも、もしもメリタがPRするように6gコーヒーをファイングラインドで淹れて、そして美味しいコーヒーが飲めるものならそれにこしたことはありません。
私も、そんな美味しい良質なコーヒーがフンダンにある国に、日本がなってもらいたいと思います。

珈琲屋風雲録 第四話


1975年10月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年10月
珈琲共和国1975年10月

-理解されなかったフランチャイズシステム-
▶ホラ吹き?眉ツバ?◀
最近はわが国でもフランチャイズシステムという言葉が盛んに使われていますが、私がキャラバンコーヒーさんに珈琲専門店のフランチャイズチェーンの展開を共同でやろうともちかけた三年半前は、まだまだ言葉自体も普及しておらず、フランチャイズチェーンと称する企業なども、マルチ商法まがいのものや見込み客の数だけで販売権を切売りする山師まがいのものが多く、ごく一部の企業を除いては、良い方で商品の卸し屋といった具合でしたから、私たちが現在行っているようなチェーン展開のあり方など、誰も想像できなかっただろうと思います。
ですから、私がフランチャイズチェーンの将来性を説き、今ぽえむチェーンがあるような姿を未来像として具体的に話をしても、まるで絵空事か大ボラを聞くような気しかしなかったのではないかと推察します。
キャラバンさんの方でも一応は私の顔を立てて、役員会や営業所長を含めて会議を何回か聞いてくださったのですが、「どうも山内の話は眉ツバものだ」というのが本音だったのではないでしょうか。
そのうちに、私の持前の気の短さ「説明してもわからない相手と一緒に仕事をしても仕方がない」と、ジョイントベンチャーを断わってしまいました。
正直な話、私の最も信頼すべき日珈販の社員たちにしても「ホラ話」だと思っていたというのですから、そんな話をもってジョイントベンチャーを頼みにいった方がむりなのかもしれません。

▶助け舟現わる‥◀
ところで、私という人間は得な性分といえようか、無茶苦茶な人間なのでかえって友人や取引先の人に恵まれるというのか、必ず助け舟が現われます。
そのときも救世主が現われたのですが、それがこともあろうにキャラバンコーヒーの永田勇作社長だったのです。
永田社長という人は、社外的には意外な位目立たない人ですが、社内や得意先からは頼りにされている人で、一見ヨワヨワしそうにみえる外見ながら外柔内剛の人柄は、若いときから社内でもボス!ボス!と慕われています。
その永田社長が、意地を張ってジョイントベンチャーを断わって、その実は困りきっている私を助けてくれたのです。
たとえば支払いを手形にしてくれたり、手形のサイトを次から次へと伸ばしてくれたり、また日珈販でなく山内企画という私個人的な会社に、投資でも貸付でもよいからといって200万円ばかり融通してくれたりしました。
私は口先では「日珈販に投資しないと今に後悔するぞ」などと言っていましたが、とても感謝しておりました。
そのようないきさつがあったので、日珈販はキャラバンコーヒーの子会社であるかのようにいわれてきましたが、心情的にはキャラバンコーヒーと日珈販は密接な関係にありましたが、会社対会社の関係は全く無関係という妙なヤヤコしい関係にあったわけです。
しかし、このような関係も、ドトールコーヒーさんと取引きをするにあたり、私の家内がキャラバンさんの持分を買取りましたので、現在は完全に解消されています。

さて、そんな具合で強力なパートナーもなく発足した日珈販の前途は全く絶望的なもので、超楽天的といえようか、無茶苦茶のカタマリといえようか、とにかく意気のみ高い山内大社長さんのホラだけが鳴りわたっているという有様だったのです。
そのような情勢のとき、どう思ったのか日本珈琲貿易の武田太郎重役から「自社も出資したい」という話が持ち込まれたのです。

ブラジル霜害ウラオモテ


1975年10月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年10月
珈琲共和国1975年10月

①コーヒーで乾杯!

「ブラジル霜害によるコーヒー豆の値上がり……」というニュースが新聞や週刊誌などで大きくとりあげられていますが、ブラジルに数年間生活した私としてはその記事を読んで思わずニヤリとした次第です。
というのは、石油ショック、大豆禁輸等々、このところ資源国ナショナリズムが大いに気勢を上げているのを見て、ブラジルは、一体いつこの流れに乗っかるつもりだろうかと他人事ながら心配していたからなのです。資源国はアメリカを除き、殆どが開発途上国家群で占められています。
中近東諸国が石油の出し惜しみでボロ儲けしているのを、これら開発途上国家群がどんな気持で眺めており、ヤキモキしていたか、それを想像するといささか悲喜劇じみて参るわけです。そんなとき「霜害で値上がり」のニュース、ヤレヤレこれでやっとブラジルも儲け口を見出したか……と、そこはブラジル贔屓をもって任じる小生、思わず愛すべきブラジルのために値上がり前のコーヒーで乾杯してしまったという次第なのです。

②コーヒーはギャンブル?

ブラジルでは農業を「ギャンブル」であると規定しています。特にコーヒー豆生産の賭博性は昔からブラジル人の喜憂の種でした。
ブラジルコーヒーの主産地といえばサンパウロ州とパラナ州、このあたりは高度が海抜千メートル前後とあって、七、八月の冬季に霜の降ることは決して珍しくはありません。もし霜が降らないと・・・大豊作。コーヒー豆は暴落し、その売値はトラックの運搬量さえも出ない・・・というわけです。だから昔からそんな大豊作の年には、政府の指導で山積みされたコーヒー豆を焼いたり海洋に投棄したり、それはそれは悲しい苦労をしていました。
そこにパラナ州の「霜害」です。どんなにかコーヒー生産者たちは喜んだことか。きっとサンバにのって踊り狂いたいような気持だったでしょう。とにかくブラジルのこと、「霜害で値上げ」はあまりにも単純すぎる理由です。私に言わせれば、むしろ過剰生産が不要になっただけでも儲けもの・・・といった最初のイメージでした。
ブラジルは資源国としてコーヒーのほかに鉱物資源がありますが、後者については余程政治情勢に変化が生じない限り、不作という理由が起こりません。
ブラジルで生産されるコーヒー豆はすべて「ブラジル珈琲公団」によって管理され、組織的かつ計画的に売買されています。その点では中近東の石油とほぼ同様で、国際的大資本の石油メジャーならぬコーヒーメジャーといったものが存在しない以上、そのコントロールは石油よりはるかに簡単と見なければなりません。「霜による不作=値上げ」というのはあまりにも図式的すぎるようです。とにかく資源ナショナリズムは遂に珈琲の世界にまで波及したわけです。日本の珈琲業者の皆さん、それに喫茶店業界の皆さん、皆さんのすべてが値上げの理由を握ってヤレヤレということにもなりましょう。

③嘆きの日系珈琲史

今から七十五年前、最初の日本人移民が笠度丸でブラジルに渡って、配置されたのは珈琲畑でした。テント小屋にも等しいバラックに雑居させられ、奴隷にも等しい待遇の下で働かされた彼らは、夜になると自分たちの運命を呪い嘆いたと語られています。そんな生活の中で彼らの希望は≪いつの日か祖国日本に錦を飾って帰国する≫ことしかありませんでした。しかし、それは日本の敗戦ですっかり夢と果てたのでした。
ブラジルで、私は多くの日系の老人から昔のコーヒー園入植時の辛い思い出を聞かされました。それはこの短い文章ではとても書き尽くせない内容です。いつか私はこの珈琲共和国に、それらの話を書きたいと思っています。
一杯の香り高い珈琲を啜るとき、わたしはいつもあのブラジルの日系老人たちから聞かされた昔話を想い浮かべるのです。真白な湯気が一瞬とぎれたカップの中のコーヒー色の面に、当時の日系移民たちの経た苦しみの地獄絵図が描かれているように思えてならないのです。よほど彼らの話が私の心の奥底深く印象づけられているのでしょう。

④ビーバ・カフェ!

日系移民の社会的地位は大きく向上し、かつては奴隷として入植した珈琲園の経営者層となっている人も少なくはありません。私は、地球の反対側から遠くブラジルの日系の人々のイメージを想い浮かべるとき、今度のコーヒー豆値上げはどうか彼らに最も厚い恵みの機会となりますように、と願わずにはいられません。とにかく商社や政府という大組織だけへの恵みの機会となることについては、お断りです。
あの珈琲の茶色の液体には、言語では表現できないほどの悲しくもニガい人間の歴史が秘められているのですから……。
(山下規嘉)

珈琲屋風雲録 第三話


1975年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年9月
珈琲共和国1975年9月

出入り業者にお叱りを受ける
▶最初の誤算◀
日珈販というフランチャイズ本部を設立するとき、私共は、商品の製造や配送などはやらずに、商品(メニューを含む)の販売一本槍で進む方針を固めていました。
日珈販発足当時は、珈琲豆の元卸原価も低く、自社焙煎でもやれば結構いい儲けにになる状勢にあったのですが、私はそのようにボロイ商売が長続きするわけがないし、又、製造工場の設備投資やその償却等を考えてたら決して割に合う商売ではないと考えておりましたし、生豆の買付や加工技術の修得などそう簡単にはいかないと考えておりましたので、製造に手をつけるのは一切タブーだと考えておりました。
ある生豆問屋などから、資金の面倒はみるから自社焙煎をやれとすすめられたのですが、私はあくまで販売一筋で通すつもりでしたので、そのようなお話は全部お断わりして参りました。
同様に、配送に関しても焙煎業者の方達が大変な苦労をされているのを知っていましたし、配送センターや倉庫、車輌の問題と、手間やコストのかかることは一切やりたくないと思っていたのです。
そして、そのような仕事に費やすエネルギーを、知識集約、ノウハウの開発に振向けることによって、シンクタンクとしてのフランチャイズ本部の完成を目指していたのです。
ところが、特に敬遠していた配送という業務を、キャラバンコーヒーの得意先とぽえむの加盟店とのトラブルが原因で始めざるを得ない羽目になってしまったのですから、大誤算もいいところでした。
▶やればやるだけ損◀
幸い、配送センター兼事務所として、私の家内の実家の持家がちょうどおソバ屋さんに貸してあったのが戻って来たので権利金・敷金なしで借りられたので助かりましたが、車輌費とか配送関係の人件費とか、その後の経費の増加は加盟店の少ないチェーン本部として頭の痛い問題でした。
その上、本部の商品資材の取扱い高も少なく、スケールメリットを生かして安く仕入れるような態勢じゃありませんでしたので、商品や資材を扱えば扱うほど損をするといったような状態でした。
コスト分だけのマージンを本部から供給する品物にかけると、ちょうどマージン分だけ市価より高くなってしまうというのが実情だったので、損をしてもいたしかたがなかったのです。
おまけに、加盟金も当時は5万円とベラボウに安かったので、開店があると開店に費やした分だけ赤字になるという大変な経営だったのです。
その上、やっと配送業務になれて来て、そろそろ経済性ということも追求しようとしていた矢先に、オイルショックにぶっつかり、正直に安く仕入れた品物は安く売ったところ、品物を売れば元値よりも高い値段で品物を仕入れるという逆ザヤ現象で、アッというまに数百万円の赤字をかかえる結果となってしまいました。
ちょうどその当時でしたが、社長の私と経理担当役員の黒沢庸五の二人が、キャラバンコーヒーの永田浩平会長と日本珈琲貿易の武田太郎取締役に、経営者としては無謀かつ失格であるとお叱りを受けたことがありました。
考えてみれば出入業者から文句をいわれているのですから割の合わない話なのですが、相手方にすれば、売った品物の代金がとれるかとれないかの境目みたいなものですから、文句の十や二十もいいたかったのは無理もないと思います。
▶反骨がエネルギー◀
私は私なりの目算もあり、あるスケールに達すれば会社もペイすると考えておりましたのでシャクにもさわったのですが、現実に儲かっていないものを偉そうな口を利いても仕方がないと思いましたし「何クソ」という反抗心が私の場合常に仕事のエネルギーに転化されて来ていますので、今となってみれば感謝している次第なのです。
元来、私に限らず土佐人の言うことは、他人から見ると大ボラ吹きに見えるらしく、阿佐ヶ谷に店を開いたときから、私の家内をはじめみんなにホラ吹き扱いをされているので私はもうなれっこになっているのですが、事業の計画などについて相手に説明するときなどは相手が本気にしないので困ってしまいます。
私には、その事業の計画についてビジョンがハッキリしており、どの時点ではどうなり、どの時点でどの位の赤字だがどこまで行けばペイするというようなことがわかっていて、それをキチンと説明しようとしても相手がまともにとらないのには参ります。
私が、コーヒー豆の挽き売りを始めたときも、いくらコーヒーの消費が家庭用に移っていくといっても、そしてそれが5、6年以内にブームになるといっても誰も本気で聞いてくれませんでした。
又、コーヒー専門店が素人にでもできる商売だということでも、私は4年ほど前、ブームが来るずっと前に柴田書店発行の「喫茶店経営」という」雑誌に書いています。
近頃の業界誌などみますと、私が数年前に書いたことをさも新しい考えのように書いてあるのをよく見かけますが、もし本当に新しい考え方だとか商法だとか思っているのなら私の書いたものを読んでいないわけで、ずいぶん不勉強な人だと思います。
それはさておき、私がフランチャイズという商法が将来わが国でも盛んになると思い、展開を計ろうとしたわけですが、その時パートナーとなってもらおうと考えていたキャラバンコーヒーさんが日本珈琲貿易さんが本気にしてくれなかったのには全く困りましたし、かつ大変な誤算でもあったのでした。

このサイトは(株)日本珈琲販売共同機構が過去に発行した機関誌のアーカイブを中心としたサイトです。