「コーヒー党宣言」休筆の弁


1975年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-4-150-240
 今から3年前、昭和47年4月号に筆を起こして以来この「コーヒー党宣言」も36回を重ねることになりましたが、一応今回を持って休筆したいと思います。
-外された期待-
 休筆の理由は色々ありますが、まず第一の理由は、同一人物が同一のテーマで同一の手法で文章を書き続けていると、どうしてもマンネリになり勝ちであるということです。
 少なくとも私がこの筆を起こしたときは、この文章を書きすすめていくと同時に、コーヒー業界も時代の流れに従って新しい展開を遂げると信じていましたし多少短兵急ながらも、私自身の精神力、気力も充実しておりました。
 しかし、この数号の間、私は新しい稿の筆をとるたびに前の稿を読み返しているのですが、この3年間、私が大きな期待を寄せたほどの変革が起こらず、私の論旨も同じ場所をグルグルと堂々めぐりしているだけだという有様なのです。
-コーヒー業界は本当に伸びているのか-
 この3年間、我が国の経済はもとより世界の経済も大きく変革を遂げたにもかかわらず、我が国のコーヒー業界という最も近代化の遅れた業界でなおかつ遅々として変革が進まない不可思議さもさることながら、私自身その能力の無さには何度思い返しても腹立たしさを禁じざるを得ません。
 結局、この3年間に私が経験した現実は、コーヒー業界諸悪の根源であると思っていた焙煎業者たちが、実はこの誰が仕組んだのかわからないコーヒー業界の泥沼の中で、ジリジリと落ち込んでいく渕の中から必死に脱出を試みてもがいてはいるものの、もがけばもがくほど渕の渦へ吸い込まれる力が大きくなることも知らず、そして死の瞬間すら予期していない愚かしい姿をみせている弱者にすぎないことを知らされたという空しさにほかならなかったということなのです。
 “コーヒー業界は伸びている。ブームを呼んでいる食品業界の中でも成長株の第一にも推せる商品だ”などという声も聞かされますが、我が国で消費されるコーヒーの60パーセントがインスタントコーヒーでありさらにその残りの40パーセントのうち大手3社と呼ばれる焙煎業者のシェアが45パーセントと見込まれると、全体の消費量のわずか20パーセントそこそこを350社もの焙煎業者が過当競争を続けているようなことでは、近代化も革新もあったものではないという気がします。
 しかも、その零細業者のほとんどが、大手業者相手に同じような販売量での競争をしているということになると、徳川幕府成立前の戦国時代をみる思いがしてなりません。
 おそらくこのままでいくと、戦国時代そのままにお互いの陣取り争いに疲れきった頃、信長が鉄砲という新しい兵器を使ってほかを制した如く、新しい経営戦略を持った企業がコーヒー業界に登場して、アッという間にコーヒー業界を制してしまうということも考えられます。
-業界の体質改善が急務-
 結局、今後のコーヒー業界は、おそらく自壊作用とそして新勢力の登場という歴史の必然性の上に立ってその運命を切り開いていくでしょうが、私は自分のエゴと、私の主宰する珈琲専門店チェーン「ぽえむ」の未来のために、クールに突き放して現実を見ていきたいと思います。
 3年間にわたった筆を休めるに当たり、私が感じることは、コーヒー業界という特殊な業界が本当に革新されるためには、一般消費者や、珈琲店の経営者や、焙煎業者の考え方を変えるだけでは駄目だということです。
 もっとコーヒーという業界全体の理念や、仕組みや、商習慣のようなものを、自発的に変えることが必要なようです。
 いいかえれば、コーヒー業界をスポイルしていたのは、「コーヒーに関する神話」でなく、コーヒーという商品の商売のされ方にあったということで、商品のされ方が変わらない限り、このコーヒーという商品のあり方は変わらないようです。
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 私は、これからもう一度「珈琲店のマスター」という原点に帰って、この商品の在り方を、末端消費者の立場から追求していきたいと思います。
 永い間、本欄のご愛読ありがとうございました。
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(追伸)
 やる気はまだまだ充分です。乞御期待。