コーヒー専門店のフランチャイズの本物は日珈販のぽえむチェーンだけである


1974年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-11-150-240
 最近、コーヒー業界でも、フランチャイズ方式によるコーヒー専門店の展開が盛んなようです。
 フランチャイズ方式ですと、資金面や人材確保の面での苦労がなくて、販売網を拡大することができますので、どの企業でも導入に積極的になるのでしょう。しかし、実際に始めてみると大変な苦労が伴います。

●FC本部は常に先を見る●
 日珈販も、日珈販というフランチャイズ専業の会社を設立して以来三年になりますが、フランチャイズ方式を押しすすめて行けば行くほど奥が深く、次から次へと問題が提起されてきます。
 たとえばマニュアル一つにしても、作成当時はよかったとしても、三年経過するとかなり用をなさないものとなってしまいますし、本部の指導能力にしても年々高度なものが要求されます。
 加盟店になられる方は、最初は素人(たとえ喫茶店をやっていた人でも、ぽえむについては素人)ですから、我々も指導するのに骨が折れません。
 しかし、少したって仕事の内容が判りはじめると、何しろ先方は、自分で他の商売をやって来たりした経験豊かな人達ばかりですので、うかうかしていると本部の指導員よりも実力をつけてしまいます。
 しかし、それでは本部の役目が務まりませんので、本部としてはそれらの加盟店の要求に答えるべく、先手先手と勉強していく必要があるわけです。

●FC方式の厳しい基準●
 それにもっとも重要なことは、加盟店が骨身を削って集めた資金を店に投資させる以上、必ず商売を成功させ、かつ、その成功を永続きさせなければいけないと思います。
 私が、コーヒー専門店のフランチャイズの加盟店募集広告なんかを見ていますと、十分に直営店でデータを得た上で募集しているのだろうかと思われるチェーンがあります。
 日珈販の加盟している社団法人・日本フランチャイズチェーン協会での加盟資格は、正会員でFC方式による営業をはじめて二年以上経過していること、十店舗以上のFCがあること、FC方式でうたってあることが実際に実現可能なことを証明するため、直営店で実際に行なっていること。加盟店の離脱率が二十パーセント以下であることなど厳しい基準が設けられています。
 その他、通産省令の定めによって、フランチャイズを行なう者は加盟を希望する者に対し、過去の実績や予想される営業成績、とり交わされる契約の内容などについて具体的に示すことが義務付けられています。
 私は常々疑問に思うのですが、これらフランチャイズチェーンの募集を行なっている者が、果たしてフランチャイズというものをよく理解しているのでしょうか。単に、FCをやればコーヒーがたくさん売れるだろうぐらいにしか考えないでやっているのではないかと思います。
 それに、一番不思議に思うことは、FC方式を唱えるコーヒー専門店のチェーンが、その展開の手法としていずれもサイホンによる抽出を行なっているということです。
 確かに、サイホンを使ったコーヒー専門店というものは時流にマッチしたものであり、現時点ではよい商売かもしれません。

●FCチェーンは運命共同体●
 しかし、年々、喫茶店におけるコーヒーの消費量が減っているということを考えれば、また、今後家庭用のコーヒーが業界の死命を制するであろう、ということが常識化しているコーヒー業界にあって、店でコーヒーを飲むということに主眼をおいたコーヒー専門店のFCをやるということは、合点のいかぬことなのです。
 先にも述べたように、加盟なさる方は少なからぬ資金を投下します。
 昨今の状勢では、この投下した資金が簡単に回収できるほど、コーヒー専門店は儲からないはずです。
 だとすると、数年たった今の型のコーヒー専門店がすたれたとしたら、その時いったいFCの本部は何をするのでしょう。
 おそらく、何の手の打ちようもないだろうと思います。
 そのことをよくご承知だから、大方のFCの本部は、加盟金やロイヤリティを徴収していないようです。つまり、最初から逃げ腰なのです。
 FCチェーンは、よく本部と加盟店の運命共同体だといいますが、こんな考えの本部のチェーンに加盟したら、それこそ運命共同体も何もあったものじゃありません。
 そんなわけで、当分の間は、コーヒー業界で唯一の社団法人・日本フランチャイズチェーン協会正会員である日珈販が、コーヒー業界で唯一の本物のフランチャイズであると胸を張らしていただきましょう。

喫茶店のコーヒー代について


1974年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-11-150-240
 だいぶん旧聞に属することですが、先頃、米価の値上げを答申した米価審議会の会場へ入ろうとする渡辺農林政務次官と消費者代表とのやりとりをNHKのテレビニュースで見ましたが、その中で、渡辺次官は「値上げ値上げというが、たかだかコーヒー一杯の値段じゃないか」というようなことをいいました。
 どういうわけか、何か値上げなどということがあると、「コーヒー代」がひき合いに出されるようです。
 その人達の意見では、どうやらコーヒー代なるものは、実にムダなクダラナイ出費のように聞こえるのですが、本当にそうなのでしょうか。
 先日、私は、あるデパートから頼まれて「コーヒーはゆとりの文化のバロメーター」なる一文を書きました。内容は、コーヒーの消費量をみてみると、スウェーデン等の北欧三国が世界の上位を占め、アメリカ、西ドイツは中位、日本は最下位グループにランクされている。これは、北欧三国のように社会保障が完備され、国民生活にゆとりのある国の人々はコーヒーをたくさん飲み、いくら物質文明が盛んであっても、精神にゆとりのない国ではコーヒーの飲まれる機会は少ないということが言えます。
 だから、早く日本も、ゆっくりとコーヒータイムを楽しむ人が多くなるような、心の分野で豊かな生活を送ることのできる国になりたいというようなことでした。
 考えてみれば、日本で喫茶店というものが、他の国に見られない形で繁盛しているのも、いわば自分の家庭で得られないゆとりの一刻を、家の外に求めようとすることで成り立っているのではないかと思います。
 渡辺次官のように、多分立派なお住居(ご本人はそう思っていないかもしれませんが)に住める身分の方には判らないでしょうが、日本国民の大半は、ゆとりの一刻を楽しむため、セセコマシイ喫茶店の片隅に身を置かなくてはならないのが現状なのです。
 そのささやかな楽しみすら、ガス料金が上がるとコーヒー一杯分、お米が上がってコーヒー一杯分、電気で一杯、地下鉄が上がって一杯と、節約を強制されてはたまったものではありません。
 渡辺次官ドノ、今すぐに日本国民全体に、ゆっくりとコーヒーを楽しめるような、ゆったりとした住居を与えてくれるような政治をしてくれとは申しませんが、毎日のコーヒーの一杯ぐらい飲ませていただけるような政治はしていただきたいとお願い申し上げます。
 ところで、たかが一杯のコーヒー代とおっしゃるこのコーヒーのお値段、一杯二百円~二百五十円では少し高いと思いませんか。
 一日一杯飲めば一ヶ月に六千円から七千五百円、出費の多くなった庶民のフトコロにはズシンと響く金額です。少しはなんとかならないだろうかと考えたくなるのが人情です。
 正直な話、喫茶店のコーヒーの原料代は二十パーセントそこそこ。あとは三十パーセントが人件費、家賃と借家保証金の償却が十パーセント、水道高熱費だけでも五パーセント、消耗品等が五パーセント、店舗の改装費の償却が五パーセント、その他の諸経費が十パーセント、残りの十五パーセントで銀行からの借金の利息を払ったり、お客様に少しでも良い雰囲気でコーヒーを楽しんでいただこうと、店の装飾や展示した絵画などにお金をかければほとんど残りません。その店のマスターやママさんが自分でコーヒーを淹れたり運んだりすれば、それだけが残るといった勘定です。
 お客も高いコーヒー代を払い、店もたいして儲からん、全く妙な話です。
 ネェ、渡辺次官ドノ、
「たかが一杯のコーヒー代ぐらい」もう少しなんとかならんもんでしょうかネェ?