コーヒー党宣言 サービスにならないサービス


1974年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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≪料理の美味さを壊すレストランのコーヒー≫

最近、あちらこちらの雑誌に寄稿したり、座談会に引っ張り出されたり、ゼミの講師をやらされたりするせいか、私もすっかりコーヒーのオーソリティーにされてしまった。
 自分では、単なるコーヒー好きの男が、自分達コーヒー党が好むコーヒーを自分達の手で作って供給しているのだくらいにしか思っていないのだが、他からみると大変な仕事にみえるらしい。
 コーヒーなんていうものは毎度言うように単なる農産物の加工品にすぎないのだから、品質の良い原料をその原料の持ち味を殺さないように加工しさえすれば良いのだから、全く難しいことは少しもない。
 ただ今のコーヒー業界のように、品質でコーヒー業界のように、品質でコーヒーを競わずに値段で競争しているのでは、いくら立派な能書きをとなえても無理な算段である。
 このところ、私もおつきあいがふえていろいろな方とお話をする機会が多いが、やはり職業柄飲食業の方が圧倒的に多い。
 それらの方とお話をして一番困るのは、“うちの店のコーヒーはどうですか”と聞かれることである。
 大方の店は、私にすればコーヒーとは認めることの出来ないような代物が多いのだが、まさかそうは言えないので私共の店とは考え方が違いますのでというようなことを言ってゴマカシテしまうことにしている。
 《骨折り損のくたびれ儲け》
 一流のレストランとか、コーヒーショップとかで食事をしていていつも思うのだが、どうして日本のレストランなどはデザートのコーヒーに無神経なのだろうか。
 せっかくいい気分になって、美味しい食事をした余韻を味わっていると、ヒドイ味のコーヒーが出てきてその味を全部ブチ壊してくれる。
 だから、私はデザートのコーヒーを飲まないことにしているのだが、知りあいのレストラン等へ行ったときなどは、いかにも自分の店のコーヒーしか飲まないようで嫌味なので我慢して飲ましてもらうが、これでそのお店が私に美味しい食事を提供してくださった努力は全部パァになってしまう。
 特に最近では、アメリカ式のコーヒーショップなどでコーヒーのお代わりサービスをやっているが、あのコーヒーなんかもたいてい自動抽出機で何杯か淹れておいてホットプレートに乗せっぱなしだから、タンニンが酸化してしまって飲めたものではない。
 私に言わせればサービスをしたつもりが、せっかくの料理の味を台なしにしているだけのことで、骨折り損のくたびれ儲け以外何ものでもない。
 なにも、我々ぽえむで提供しているように一杯ずつ注文の度にコーヒーを淹れろとは言わないし、事実そんな事は不可能だが、同じ自動抽出機を使って大量だてをしてホットプレートで保存しても、コーヒー豆の品質や加工方法を考えれば、もっと美味しいコーヒーが提供できるのである。
 私はその方法を知っているし、いつでもタダで教えてあげる。
《ゾッとするようなコーヒーでは》
 これから我が国の飲食産業も大きく伸びるだろうしそれに伴って日本人がレストランやコーヒーショップやカフェテラスといったところで食事をする機会も多くなるだろう。
そして食事にコーヒーを飲むチャンスもふえるに違いない。
そんなときにゾッとするようなコーヒーを提供して平気でいられるようであると、我々コーヒー党としてはいささかゾッとせざるを得ないようである。
最近では立派なレストランチェーンなどもでき、そこの経営者のお言葉なども実にご立派なことを述べられるのだが、せっかく作りあげた美味しい料理をヒドイコーヒーでブチ壊して平気でいるような神経では、何を食わされるか判らないというのが、私共庶民的コーヒー党の心情である。
たかがコーヒーといわずに、ひとつ本気でコーヒーに取り組んでもらいたい。
そうでないと、「九仭の功を一簣に虧く」ことになってしまう。