珈琲屋風雲録 第一話


1975年7月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年7月
珈琲共和国1975年7月

 現在、社団法人日本フランチャイズチェーン協会の正社員は28社、準会員9社である。
 その中で、コーヒー業界からは正社員で日珈販が、準会員でダイタン商事が加盟を認められているだけである。
 規模や歴史は別として、わが国の公共的な組織から一応フランチャイズチェーンの本部として適格であると認められたのは、この2社だけであるということになる。

ぽえむ珈琲専門店へ
 業界誌の広告などをみると、沢山の企業がコーヒー店のフランチャイズチェーンの加盟店を募集しているが、これらは客観的にみるとフランチャイザーとして適格でないということになる。
 善意に考えてみて、アメリカなどでフランチャイズの団体が山師の集まりという風にみられた時期もあるので、それで協会を敬遠しているとみれないこともないが、それならフランチャイズなどという言葉を使って加盟店募集をしない方がよいと思う。
 悪意に考えて、協会に入るといい加減なことができないから入らないのだとも考えたくなるが、協会自体だってまだこれからなのだから、どしどし加盟してみんなの手でフランチャイズを立派なものにしたいものである。
 さて、私は何も協会のPRのために筆をとっているのではない。なぜ、ぽえむがフランチャイズというものを始めたのかということを書きたいのである。
 つまり、あの永島慎二さんの漫画に出てくる時のようなアットホームなぽえむを捨てて、珈琲専門店のチェーン化などという大企業的な臭いのすることをオッパジメタのかということを知ってもらいたいのである。

最初の2年は給料もなく
 私は、最近人に会うごとに「随分儲かっていそうですね」とか「そんなに儲けてどうするのですか」などといわれる。
 だから、大半の人々は私が儲けるためにコーヒー専門店のフランチャイズを始めたと思っているようである。
 しかしそれは違う。
 確かにぽえむの各店はどれも繁盛し、よく儲かっている。だが、間違ってほしくないのは、繁盛している店のオーナーは私ではないし、儲かっているのは私ではなくその店のオーナーなのである。
 実をいうと、私も阿佐ヶ谷西店、下高井戸店、吉祥寺店の3店をぽえむでやらしていただいてるので、この3店分に関しては儲けさせていただいている。
 だが、本部が儲かっているかというと、それは間違いである。
 今だからいえるが、日珈販という会社を作ったお蔭で、私が個人的に損したお金は1500万円。そして日珈販の赤字がトータルで1400万円ほどになるから、日珈販に注ぎ込んだお金が約3000万円ということになる。
 しかも、日珈販を作って約2年間は、私は一銭も給料をもらっていないのだから、それも計算するとえらい損になる。
 幸い去年から日珈販も少少なりとも黒字になりはじめて来ており、多少なりとも給料を払っていただくようになったので、告白することもできるのだが、取引先や銀行や、そして女房などには聞かせられない話だったのである。

業界への怒りがFC化に至る
 それでは、一体なぜ私が得にもならないことを始めたのだろうか。
 名誉欲であろうか。それとも自己顕示欲であろうか。
 それも確かにないとはいえないことはない。
 しかし、それだけではこんな高い代償を払ってまでやろうとはしなかっただろう。
 私がチェーン化してやろうという気になった本当の理由は、怒りである。腹が立って仕方がなかったからである。
 では、一体何に腹が立ったのであろうか。
 直接の対象となったのは、コーヒー業界の仕組みに対してである。
 喫茶店のオヤジ連中をたぶらかしてヌクヌクと儲けている焙煎業者。そして焙煎業者がそんな商法をとらざるを得ないように仕向けている喫茶店のオヤジ連中。この両方に腹が立ったからである。
 そして、その対象を通じて、業界のご都合で何事もケリが付き、消費者は常に業界の都合のよいものを押しつけられている、この日本の産業界の仕組みに怒りを感じたからである。
 そして、その怒りをさらにかきたてたのは、いくら正しくてもいくら論理をつくしても、経済力という暴力のもとに零細な業者の声は無視されるということへの怒りであった。
 その怒りがエネルギーとなって発展して来たのが、この日珈販という組織であり、その組織を効果的に動かすための手段として導入したのがフランチャイズシステムであったのである。
 だから、私が、このぽえむチェーンを作るにあたって考えて来たことは、金がないものがどうしたら巨大な資本をもった企業と太刀打ちできるだろうかということなのである。
 ところが、実際に始めてみると、これがまた、とほうもなく資金の要する仕事だったのであった。