コーヒー専門店のコーヒーは本当に美味しいのか?
1975年5月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
最近、町にコーヒー専門店という看板がやたらと目につくようになりました。
どの店も茶色の木やレンガや白壁を配した画一的な造作で、カウンターにはコーヒーサイホンを並べ、ブレンドコーヒーのほかに何種類かのストレートコーヒーを並べて、従業員の殆どは男子であるというのが、今様コーヒー専門店のパターンのようです。
最初のうちは、この種の店の数も少なかったので、コーヒー専門店の看板が上がっている店なら、一応コーヒーを注文してもひどいものを飲まされる心配はないものと思っていました。
しかし、こうメチャクチャにコーヒー専門店がふえてしまうと、何となく安っぽい感じがして、本当にコーヒー専門店なら安心してコーヒーが飲めるのだろうかという気持ちになってしまいます。
ところで、普通、専門店といえば、一般には広く大衆に普及した商品を販売している店で、特に商品を限定して奥行の深い品揃えをしている店で、ありふれた品物でなく、特に個性的な品物を欲しいという客に対して、そのような要求に応える店であるか、または、商品を限定することにより、安く販売する能力を持つ店であるかということになります。
このような尺度にたってコーヒー専門店を考えてみますと、ぽえむのように原料の生豆からその加工法・商品管理・そして販売方法まで厳しく管理して、その販売をしているコーヒー豆が他店と明白に差があるような店はまずないといってよく、高品質型の専門店は実質的にはぽえむ以外に存在しないということになります。
また、量販型の専門店にしても、メーカーが単に直売方式をとっているから、少しは安く売られているという程度で、本格的なコーヒーの量販店は存在していません。
考えてみれば、大衆店に対しての専門店であるべきなのに、コーヒーの世界では、大衆店がなく専門店が存在し、かつ、この店で売っているコーヒー豆も、一般の喫茶店で売っているコーヒーの原料であるコーヒー豆も、全く差がないというのが現実です。
ひと昔前ならば、コーヒーの抽出技術が違うなどといってごまかせたでしょうが、昨今のように「コーヒーの抽出法に関する神話」が崩壊しつつある現実の上にたって考えれば、このようないい加減な理由だけでは、コーヒー党をごまかせなくなってきています。
しかも、私どもが見て許せないのは、コーヒー専門店の経営者が、安易にコーヒー代が高とれるから専門店にしようというようなことを考えているようですが、私にいわせれば、専門店はそれだけメニューを限定できるのですから、逆にコーヒー代を安くできるはずだと思うのです。
ぽえむもそういう考えから、コーヒー代を最低200円で押さえているわけなのですが、日本で一番良質のコーヒー豆を使い、一杯ずつ手で淹れてもこの値段で売れることを立証できたことに、もう一つ意義があると考えています。
こう考えていくと、ゴタゴタした道具立てやコーヒーカップに凝ったりして、客にコビを売り、法外なコーヒー代をとる店のコーヒーなんて、その根性からしてどんな味がするだろうという気がしてきます。