日珈販創立3周年を迎えて コーヒー業界全体の発展のために尽したい


1974年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-12-150-240
 日珈販もこの12月1日で創立3周年を迎えました。
 珈琲共和国も同じく満3年、一度合併号がありましたので第36号となったわけです。この「コーヒー党宣言」も、途中、「珈琲野郎のコーヒー党宣言」とタイトルを変えたこともありましたが、通算して32回目になりました。

『主義主張を貫く珈琲共和国』
 日珈販も最初は3店舗でスタートしたのですが、来たる3日にオープンする駒岡店で29店舗にまで発展して参りました。そして、本部で取り扱うコーヒー豆の量も月間5トンを越え、全国350数社といわれるコーヒー卸売業者の中に入っても、100位までにはランクされる規模となって参りました。
 このように事業としては発展してきたのですが、この「コーヒー党宣言」の論旨からみると、わが国のコーヒー業界の現状は大きく進歩したとはいえないようです。
 正直なところ、書いている私もこのところ毎回のネタにつまって来ているというのが事実です。私の友人などからも「毎回よくも飽きずに同じテーマを書いているもんだ」などとひやかされますが、私も負けずに「主張が変わらない新聞は珈琲共和国と赤旗だけだ。それだけ理論体系がしっかりしているんだ」などとやりかえしていますが、実のところは少々ウンザリしているというのが本音でしょう。
 このことを客観的に見てみれば、コーヒー業界というものが、依然として3年前に問題提起したことを、今もって解決し得ないということになります。
 この3年間、わが国のコーヒー輸入量は40パーセント近く増えています。それだけ、商売のスケールも大きくなったということで、業界のかかえる問題も次から次へと起こって来ているはずです。それが未だに初歩的な問題を解決できないでいるということは困ったものです。
 私も口先では他社がモタモタしていてくれれば、それだけわが社は楽にチェーン展開をすることができるなどとウソブイテいますが、そんなこといっていては、業界全体が衰退してしまって、元も子もなくなるでしょう。
 本号山下規嘉さんの文にも出ておりますが、コーヒーとは本来日本茶の如き飲み物で、わが国のように特別視されること自体、おかしいことは自明の理です。
『儲け主義よりも品質の向上を』
 過日、フォード大統領来日の際、随伴した記者団のために開設されたホテル・オークラのプレスセンターでも、記者用のスナックでコーヒー代を有料にしようとする日本側と無料を主張する記者団とで話し合った結果、国際慣例としてコーヒー代は無料であるという結論に達したそうですが、ここらあたりが本筋でしょう。
 ところが、わが国のレギュラーコーヒー業界は旧態然として業務用中心で、これからは家庭用コーヒーの時代と口先で唱えても、いっこうに実行に移す気配はありません。こんな状態では、昭和50年の念書期限切れと同時にその活動を開始するのではないかと見られている、マックスウェルハウスコーヒー(味の素ゼネラルフーヅ)あたりに、この数十年間、コツコツと努力して積み上げて来たコーヒーのマーケットをさらわれてしまうのではないでしょうか。
 そうならないためには、喫茶店経営者をはじめ、焙煎業者、生豆問屋、商社等が従来の儲け第一主義の商法をやめて、品質向上に努めない限り、資力も経験も数段上の外資系にやられてしまうのではないでしょうか。

『ぽえむの繁栄は大衆からの支持』
 私どもの「ぽえむ」のようなちっぽけな企業が、そんな大きなことを自力でやろうとしたってどうにもならないことは百も承知ですが、我々が家庭用レギュラーコーヒーの販売に品質第一主義で立ち向かい、わずか20数店で月間5トン以上も売る事実は事実として受け止めて、業界の皆様方のサンプルとして役立てば幸いだと思っています。
 巷には、コーヒー専門店が次々と増えています。そのお蔭で確かにコーヒー愛飲家の数も増え、コーヒーの消費も年々増えています。しかし、良質の原料豆の確保とか、品質の良い物を売るための努力とか、一般消費者へのコーヒーに対する誤解解消へのPRとか、根本的な問題と取り組まない限り、今のコーヒー専門店ブームも単なるあだ花に終わりそうです。
 私は3年間、こんなことばかり書いて来たために随分と業界からも憎まれ、いじわるもされましたが、結局は大衆から支持されて今日に至りました。
 また、この「ぽえむ」の繁栄ということが、コーヒー業界へのコーヒー愛飲家からの回答だとも思っています。
 この事実を業界の方たちが冷静に受け止めてくれることを期待するとともに、私も今後いっそう主義主張を曲げることなく、業界の発展に尽したいと思います。

なぜ美味しくない家庭で飲むコーヒー


1974年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-12-150-240
 私の友人にとてもコーヒーの味にウルサイ男がいます。自他ともに許すコーヒー通だそうで、彼の勤め先に私が訪ねたりすると、近くのコーヒー専門店へひっぱっていかれ、専門家の私がスッカリお株をとられるようなコーヒーに関する知識をブチあげられたりします。
 その彼のお住居へ、先日、急に用ができておじゃまいたしました。
 私どもの同年代ではなかなかやり手の彼の住居は、わが家のようなマンション住いではなく、一戸建の豪邸でした。そして、かねてから美人の噂の高い奥様がシズシズとコーヒーを持って現れたのですが、そこでユカイな事件が起こったのです。
 そのコーヒーがインスタントコーヒーだったのです。
 日頃コーヒー通と威張っている彼ですから、その時の慌てようは気の毒なぐらいでした。
 彼は色々と弁解するのですが、結論をいえば家ではインスタントコーヒーで我慢しているということなのです。私はその彼の弁解を聞きながら、逆に、彼の舌は自分が今まで考えていたより、もっとコーヒーに関して正確な味覚を持っているように思えたのです。
 それはどういうことかといいますと、彼は奥さんに命じていろいろなコーヒー器具を買いこみ、いろいとなコーヒー売場からコーヒー豆を買って来て、いろいろと試してみたが、結局、現在飲んでいる輸入品のフリーズドライタイプのインスタントコーヒーに勝るものがなかったということなのです。
 実をいうと、私もこのような考えの持主なのです。正直なところ、今ブームのコーヒー専門店で出しているコーヒーなんていうものは、ごく一部を除いてただコーヒーの卸屋さんの持って来た豆をサイホンで淹れて出すといった程度のものでしかありません。
 「ぽえむ」のようにコーヒーの原料生豆の買付けから、加工方法にまで焙煎業者をコントロールしているところは殆ど皆無といっていいと思います。
 ですから、お客様はコーヒー専門店の持つムードや演出に酔わされて、そこで出されるコーヒーが美味しいと思いこまされてしまいますが、本当は、コーヒーの味そのものは大して美味しいコーヒーではないのです。それにわが国のコーヒー業界が品質なんかお客様に判りっこないという考えに立って、いたずらに粗悪な安値の原料豆ばかり買いあさっている限り、美味しいコーヒーが製造されるわけがありません。
 私は馬鹿の一つ覚えのようにいっているのですが、そんなことをしていると今にコーヒーそのものを飲む人が減ってしまいます。
 コーヒー愛好者の方たちがはそれと知らず、家庭で淹れても美味しくないコーヒーの原因を自分の淹れ方の悪いせいだと思いこまされて、大して美味しくもないコーヒーに高いお金を払っているわけです。
 悪い豆を使って、美味しいコーヒーが淹れられるわけがありません。
 私の友人も「ぽえむ」のコーヒーとペーパーフィルターのセットを一式プレゼントしたところ、自宅でも本物のコーヒーが飲めると大喜びでした。
 そんなことを考えあわせると、わが国のコーヒー市場で良質の豆が扱われるようになると、コーヒー党の皆さんはいつでもどこでも美味しいコーヒーが飲めるし、コーヒーの消費も増えて、業者も儲かると思うのですが、いかがでしょう。
 業者は、喫茶店のオヤジさんたちがコーヒー豆の値段を値切るからだといいますが、真相はどうなんでしょう。どちらにせよ、コーヒー党の皆さんがムードや演出に惑わされず、本当においしいコーヒーを選ぶことが一番大切のようです。