「(株)日本珈琲販売共同機構 機関誌 アーカイブ」カテゴリーアーカイブ

1971年設立 (株)日本珈琲販売共同機構 設立者 山内豊之が執筆した機関誌のアーカイブです。

コーヒー党宣言 今やコーヒーもインフレの味・・・・・・・


1974年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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日珈販発足以来初の値上げに想う
日珈販の主賓するぽえむチェーンでは2月1日より喫茶室で飲んでいただくコーヒーの標準価格を150円から180円に値上げさせていただきました。
 昭和46年12月1日に150円の標準価格を設定して以来2年2ヵ月日珈販にとっては発足以来初めての値上げです
 物価が狂ったように上昇し、世の中が殺伐としていく中で、せめてコーヒー代位値上げしないで済ませたいと思っていたのですが、このインフレではどうしようもありませんでした。

=コーヒーの原価の意味=

 我々コーヒー店を営むものが値上げをしようとすると、皆さん方は、コーヒー代なんて原価は1割そこそこしかかからないのだから儲けすぎているといわれます。
 確かにコーヒーの原材料費は1割は少しオーバーにしても2割まではかかりません。しかし、原材料費がコーヒーの原価なのでしょうか。
 コーヒー店を経営して一番かかるのは人件費です。今のように物価が高くなりますと、我々が最低で生活していける月収額は、皆さん方と同じようにたまにはコーヒーの一杯も飲めるような生活をしようとすれば東京では6万円はかかります。
 これを1日分に換算すると2300円位になり、従業員が1日にお相手をするお客様の数が普通で80人までといいますから、コーヒー一杯あたりの人件費は忙しい店で30円弱から、ややひまな店では50円ということになります。
 次にかかるのが権利金・保証金や建築費の償却や家賃などで、これが合わせて通常一杯当り人件費と同額位かかりますから、30円か50円かかるわけです。
 その他、カップやグラスの消耗代金から冷暖房の費用とか、壁面を飾る絵の代金とか貸植木代、レコード代などを割り振りますと、それ等のものでコーヒー代の85パーセントを占めてしまいます。
 お客様の側から見れば、コーヒー代の原価はコーヒーを作るコーヒーの粉やグラニュー糖やクリームの代金位にお考えになるでしょうが、我々店を経営している側からみれば、原材料費にその他の経費を加えたものがコーヒー代の原価になるわけです。

=避けることのできない値上げ=

 ですから、最近のように、コーヒー豆5割高、砂糖10割高、生クリームも10割高、カップやグラス類は15割高、店を借りる権利金や建築費用は天井知らずということになり、おまけに生活物資の値上がりということになれば従業員の給料も上げなければならず、結果としてそのツケは必然的にお客様のコーヒー代へまわっていくことになるのです。
 我々の店ではこの2年2か月の間、それ等コストの値上がりに伴う利益の減少は、お客様の数の増加による売り上げ増でカバーしてきました。
 しかし、われわれコーヒー店という商売は、座席数に限度のある商売です。むやみやたらとお客様を詰め込むわけにはいきません。また、コーヒーを飲み終わったお客様をすぐに追い立てるようなこともできませんから、客数増加による売り上げ増も自然と限度があります。
 となると、コーヒー店がその店の経営を維持するために必要な利益を確保するためには、値上げ以外に方法がなくなるわけなのです。
 私も且つては、一杯のコーヒーで何時間も喫茶店でねばっているような青年でしたから皆さんの気持ちはよくわかるのですが、今回の値上げはどうしても避けることができないものでした。

=インフレで固まったコーヒー=

 考えてみれば、我々はコーヒーというインフレでかためた飲み物を売っているようなものです。
 店はインフレを売り、客はインフレを飲み干す。考えるだけでコーヒーの苦さが増すような気がします。我々はコーヒーという飲み物の中にある種の夢をもって接してきました。そのコーヒーがインフレの味がするとは、全く情ない世の中になったものですね。

コーヒー党宣言 もう一度考えてみたい ぽえむの役割


1974年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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 私が家内と2人で始めたパパ・ママストアだったぽえむも7年4ヵ月の間に21店舗のチェーンストアにまで発展しました。
 私がまだカウンターの中でコーヒーを淹れていた当時ですと、お客様のお一人お一人から直接にいろいろご意見をお聞かせ戴けたのですが、最近ではそのような機会も少なくなってしまいました。
 私共のように不特定多数のお客様を相手にしている場合では、このようにお客様から離れてしまうことは大変危険なことなので、なるべく機会を設けてお客様とお話することに心掛けてはいるのですが、その場合でも古くからの馴染みのお客様がお相手になってしまいます。

≫目安箱を開いてみると…≪
 そこで、最近私共のお店をお引立て下さるような方のご意見など是非うかがってみたいと思い、ぽえむの目安箱なる制度を設けましたところ、意外に多くのお便りを戴きました。
その内の一部を本誌に掲載させて戴きましたが、皆さん実に熱心で、非常にありがたく拝見致しました。
概しておほめの言葉が多かったのは“お礼にコーヒー券を差し上げます”ということだったせいのようですが、中には手厳しいご意見も沢山ありました。
その中で、ひどく気になったのは、美味しくなくても良いから安いコーヒーを飲ませてくれというご意見と、値上げをするなとかチェーン店の数を増やすなというご意見でした。
美味しくなくて良いから安いコーヒーを飲ませろというご意見は我々にとって誠にショッキングなもので美味しい品質の良いコーヒーの提供を至上命令とし営業してきた我々としては、全く異質な考え方に意表をつかれた思いがしました。
 値上げをするなというご意見は確かに皆さんの切実な要望でしょうが、前月号でも書いた通り、やむを得ません。
 最近の新聞に出ていましたが、“学生街の80円コーヒーにお店が店じまいした”という記事が載っていました。よく読んでみると80円コーヒーだったのは一階の4席だけで2階の30数席は150円だったようです。
 値上げするなら廃業した方がよいとの店主の弁ですが、私はそうは思いません。
 たとえ値上げをしても頑張るべきだと思います。その店は開店5年目だそうですが、その5年間、その店を引き立ててくれたお客様の心はどうでしょうか。お客様にとっては、自分の大事にしていた店が順調に育っていくのはうれしいことの筈です。それを儲かる時だけやって儲からなくなったら廃業ではムシの良すぎるような気がします。
 180円のコーヒー代をとってもいい加減なコーヒーしか飲まさず、サービスの悪い店が多い今日、お代は世間並でもコーヒーの味やサービスでお客様に奉仕することによって実質的に安いコーヒーを飲んで戴くことも大切だと思います。
 コーヒー代の値上げはやむを得ないでしょうがコーヒーの味やサービスを低下させないよう頑張って下さい、というお便りも戴きましたが、特に急所をつかれた感じでした。
 3番目のチェーン化の問題ですが、お客様の皆様はチェーン化することによって本部が儲けているようにお考えのようですが、これは違います。日珈販の本部は他のフランチャイズと違って、共同組合の本部のような組織になっていますから、儲けるどころか創立以来2年間大きな赤字です。
 日珈販の本部というのは駐留軍基地に何十年も勤めた結果、安い退職金で辞めさせられた人や、公害でいきの良い魚が売れなくなった魚屋さんや、大手のコーヒー焙煎卸業者に馬鹿にされて困っていた喫茶店などが、珈琲店という世界でなんとか生きぬいていけるように、協同組織を作って大商社などの大資本と対抗していこうという目的で作られたものです。

≫要求される変化≪
 ですから、本部自体は店数が増えたからといって儲かる訳ではないのです。
ただ、皆さんがご指摘の通り、昔のぽえむのムードは少しずつ失われていくかも知れませんが、そのかわり多くのぽえむが出来、また多くのお客様も得ました。
 そして、お客様の方も随分と違って来ました。それはとりも直さず、ぽえむというものの機能を、また使命や役割をといったものの変化を要求していることを表わしています。
 私は、今日、現在のぽえむの上にたって、ぽえむの役割というものをもう一度考えなおすべき時が来ているような気がするのです。

コーヒー党宣言 サービスにならないサービス


1974年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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≪料理の美味さを壊すレストランのコーヒー≫

最近、あちらこちらの雑誌に寄稿したり、座談会に引っ張り出されたり、ゼミの講師をやらされたりするせいか、私もすっかりコーヒーのオーソリティーにされてしまった。
 自分では、単なるコーヒー好きの男が、自分達コーヒー党が好むコーヒーを自分達の手で作って供給しているのだくらいにしか思っていないのだが、他からみると大変な仕事にみえるらしい。
 コーヒーなんていうものは毎度言うように単なる農産物の加工品にすぎないのだから、品質の良い原料をその原料の持ち味を殺さないように加工しさえすれば良いのだから、全く難しいことは少しもない。
 ただ今のコーヒー業界のように、品質でコーヒー業界のように、品質でコーヒーを競わずに値段で競争しているのでは、いくら立派な能書きをとなえても無理な算段である。
 このところ、私もおつきあいがふえていろいろな方とお話をする機会が多いが、やはり職業柄飲食業の方が圧倒的に多い。
 それらの方とお話をして一番困るのは、“うちの店のコーヒーはどうですか”と聞かれることである。
 大方の店は、私にすればコーヒーとは認めることの出来ないような代物が多いのだが、まさかそうは言えないので私共の店とは考え方が違いますのでというようなことを言ってゴマカシテしまうことにしている。
 《骨折り損のくたびれ儲け》
 一流のレストランとか、コーヒーショップとかで食事をしていていつも思うのだが、どうして日本のレストランなどはデザートのコーヒーに無神経なのだろうか。
 せっかくいい気分になって、美味しい食事をした余韻を味わっていると、ヒドイ味のコーヒーが出てきてその味を全部ブチ壊してくれる。
 だから、私はデザートのコーヒーを飲まないことにしているのだが、知りあいのレストラン等へ行ったときなどは、いかにも自分の店のコーヒーしか飲まないようで嫌味なので我慢して飲ましてもらうが、これでそのお店が私に美味しい食事を提供してくださった努力は全部パァになってしまう。
 特に最近では、アメリカ式のコーヒーショップなどでコーヒーのお代わりサービスをやっているが、あのコーヒーなんかもたいてい自動抽出機で何杯か淹れておいてホットプレートに乗せっぱなしだから、タンニンが酸化してしまって飲めたものではない。
 私に言わせればサービスをしたつもりが、せっかくの料理の味を台なしにしているだけのことで、骨折り損のくたびれ儲け以外何ものでもない。
 なにも、我々ぽえむで提供しているように一杯ずつ注文の度にコーヒーを淹れろとは言わないし、事実そんな事は不可能だが、同じ自動抽出機を使って大量だてをしてホットプレートで保存しても、コーヒー豆の品質や加工方法を考えれば、もっと美味しいコーヒーが提供できるのである。
 私はその方法を知っているし、いつでもタダで教えてあげる。
《ゾッとするようなコーヒーでは》
 これから我が国の飲食産業も大きく伸びるだろうしそれに伴って日本人がレストランやコーヒーショップやカフェテラスといったところで食事をする機会も多くなるだろう。
そして食事にコーヒーを飲むチャンスもふえるに違いない。
そんなときにゾッとするようなコーヒーを提供して平気でいられるようであると、我々コーヒー党としてはいささかゾッとせざるを得ないようである。
最近では立派なレストランチェーンなどもでき、そこの経営者のお言葉なども実にご立派なことを述べられるのだが、せっかく作りあげた美味しい料理をヒドイコーヒーでブチ壊して平気でいるような神経では、何を食わされるか判らないというのが、私共庶民的コーヒー党の心情である。
たかがコーヒーといわずに、ひとつ本気でコーヒーに取り組んでもらいたい。
そうでないと、「九仭の功を一簣に虧く」ことになってしまう。

コーヒー党宣言  コーヒー豆にもJAS規格を


1974年5月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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業界の改造には まず正当なルールの確立から

 従来喫茶店などで飲まれる特殊な飲み物であると考えられてきたコーヒーも、最近では一般の家庭にどんどん普及し、日本茶のようにとはいかないまでも、きわめてポピュラーな飲み物となってきました。
不明朗な☆プライスカード ところが、このポピュラーな飲み物となったコーヒーの販売方法について、私は非常に合点のいかない点があります。
それは、家庭用のコーヒーの最大の供給源であるデパートの売場などで、コーヒーの種類と値段を提示してあるプライスカードに、そのコーヒーの品質に関する表示が正当にされていないということです。
率直にいって、私自身もついこの間までそのことに気がつかなかったのです。
私の主宰しているぽえむチェーンでは今年の2月からメニューを改訂しましたが、それを行なうについてコーヒー以外のメニューとして生ジュースを加えようと考えました。
 そこでメニューに対応するマニュアルを作ることになって、いろいろ指定材料を調べたところが、ジュースの分野にはJAS規格により100パーセント天然果汁でなければジュースと呼べないという規定があり、グァバのように水を加えて浸出しなければならないようなものは、100パーセント果汁を原料としてもネクターと呼ばなければならないなどという厳しい規制のあることを知りました。
そこで、ぽえむのメニューでは天然果汁という表現をとった次第です。
それに比べて、コーヒー豆の小売に関してはJAS規格のような制約はありません。ですから、40パーセント以上ウガンダやアイボリーコーストなどの粗悪品を混入して、申し訳程度のコロンビアを混ぜてコロンビアミックスとして売っても何らの規制を受けないわけなのです。
私共のように、年中コーヒー豆を見て暮らしている者にとっては、デパートやスーパーのコーヒー豆売場でチョット見れば、プライスカードの表示と中身の違いなどはすぐにわかります。ブルーマウンテンと称してメキシコ産のアラビカ種を売ったり、サルバドルが安いとなるとコロンビアのケースにペルーが入っていたりすることは、この業界では珍しくありません。
私は、いつもこのようにコーヒー業界の内部のことをあからさまにするので、コーヒー業界の人たちからは憎まれて意地悪をされたり、悪いデマを飛ばされたり、コーヒー商工組合には加盟させてもらえそうになかったり、年中村八分にされています。
しかし、いくら村八分にしたところで、所詮はコーヒーを選ぶのは消費者ですから、消費者をあざむくような商売が永続きするわけがありません。
コーヒー豆の☆正しい表示を このことは、必ずしもコーヒー業界の人間が全部いいかげんだというのではなくて、親しくしているキャラバンコーヒーの人たちやドトールコーヒーの鳥羽社長、第一コーヒーの高橋専務、京都ワールドコーヒーの西村社長、それにユニカフェの大武重役など、みんなコーヒー業界をりっぱなものにするべく真剣に考えています。
このような流れも次第次第に大きくなってきているのですから、業者や通産省のお歴々も、少しは私のいうことに耳を傾けて、コーヒーにもJAS規格を適用する位のことはしてもよいと思います。
 お恥ずかしいことながら私共ぽえむで発売しておりますブレンドコーヒーも、配合されているコーヒー名が表示されておりません。これはたいへん不都合なことなので、早速加盟店にブレンドに配合されているコーヒー豆の品種を表示するように指示いたします。
もっとも配合比率については、コーヒー豆の荷口によって味に差があるため一定には表示できませんが、JAS規格に則って配合率の高いものから記入することにしたいと思います。
私は、もしこの表示が業界へも広がり、JAS規格の適用までいけば、コーヒー業界はより健全なものとなり、より健全なものとなり、よりいっそう発展すると思うのです。

コーヒー党宣言 今のコーヒー業界は藩閥政治 コーヒー党の手で討幕運動を


1974年6月1日コーヒー党の機関紙「珈琲共和国」より
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 連日、私は幕末の奇妙な殿様山内豊信(容堂公)の甥の孫ということで、NHKの「この人と語ろう」という番組の司馬遼太郎さんのお話相手としてテレビ出演しました。
 ご覧になった方もあろうかと存じますが、このときの出演者が表向きは10人の中堅サラリーマンということで、私のようなサラリーマン脱落者は出演者の中では刺身のツマ、つまり容堂公とかかわりあいのある人物というだけでひっぱり出されたのだ、ということがすぐお判りかと存じます。
 しかし、そのおかげで私はこれを契機に食わずぎらいであった司馬文学を読むようになりました。
 そこで大変面白いことに気づいたのは、司馬さんが好んで書かれる幕末にコーヒー業界というものが実によく似ているということです。
 幕末政治というのは、いわば政治というものをすべて武士階級で独占するために都合のよい政治でした。
 今のコーヒー業界というものが実はこの幕府政治のように、コーヒー(政治)というものをコーヒー業界の都合のよいように操れるようにできているのです。

■山内晋作灰土に立つ■

 いわば封建時代における藩が焙煎業者です。その家来であるのが喫茶店のオヤジ連中です。さしあたりバーテンさんたちは足軽といった役柄でしょう。
 ここまでが武士階級であり、政治(コーヒー)にかかわりあうことのできる連中で、それ以下の町人や農民たちは黙って時の政治に従って(コーヒーを飲む)さえいればよく、余計なことは考えるなといったわけだったのです。
 つまり武士階級(コーヒー業界)に都合のよいやり方さえやっていればことが足りたのです。
 しかし、やがて武士階級は次第に町人階級に経済の実権を握られ、武士の政治のやり方ではやれなくなってきました。
 同様、今のコーヒー業界も原料豆の高騰や経済の増大や町人階級である家庭でのコーヒー消費の伸びなどによって業界の都合だけではコーヒー業界が成立っていかなくなりました。
 そこへもって、味の素ゼネラルフーズやメリタ・ジャパンといったオロシヤの船や黒船がやって来たので、当然、維新の気運が増大してきたわけです。
 コーヒー業界の坂本竜馬兼高杉晋作のつもりでいる私もにわかに忙しくなって参りまして、あるときは竜馬、またあるときは晋作という大活躍を続けているわけですが、誠に不思議なことに、あたかも幕末のごとく討幕の気運は大いに高まっていくのです。
 私の説得で、日本で指折りの流通業がコーヒー業界に進出しそうな気配を見せてきました。これは晋作流にいえば、日本が外国と戦い敗れることによって、その灰土の中から新しい日本を作ろうと考えたように、現在日本のコーヒー業界の第一人者である上島コーヒー本社の数十倍、数百倍の能力、資本力を持った企業をコーヒー業界へ参入させることにより、今のコーヒー業界をたたき潰して、その灰土の中から新しく正しいコーヒー業界を作ろうという考えと同じものです。

■ぽえむ人民軍は珈琲維新へ■

 一方、山内竜馬の方は、薩長連合ともいうべき業界の大同団結に走りまわっていますが、これもうまくいきそうなのです。
 現在、互いに販売網を競い合っている者同士が、コーヒー業界革命のために、外敵、即ち外国系資本や新規参入企業に対抗しようというもので、今まで対立関係にあったものが手を握り合うということができそうなのです。
 明治維新が、吉田松陰という青年の、当時としてはとんでもない発想に端を発し、坂本竜馬・高杉晋作の手を経て、まさかと思われるような革命が成立したように、今やコーヒー業界は珈琲維新・珈琲元年に向かって徐々に走り始めて吉田松陰という青年の、当時としてはとんでもない発想に端を発し、坂本竜馬・高杉晋作の手を経て、まさかと思われるような革命が成立したように、今やコーヒー業界は珈琲維新・珈琲元年に向かって徐々に走り始めています。
 明治維新が成立したのは時代の流れでした。時代の要求でした。
 これと同様なことがコーヒー業界でもいえます。
 コーヒー業界の人達が私のいうことを何のたわごとと馬鹿にしていると、幕末に長州藩の正規軍が、数十分の一の人数しかいない、しかも百姓で組織された奇兵隊に敗北、そして、それが契機となって討幕という大きな事態へ発展していったように、私の率いるぽえむチェーンといった素人で組織された軍隊が、従来の焙煎業者という正規軍に局地戦で勝ち、それが革命軍の士気を高め、参加者を増やし、また連合の気運を生んで業界革命へと動いていくことも不可能なことではありません。
 さて、このノストラダムスの大予言に匹敵するがごとき予言が当るかどうかは来年あたりのお楽しみとして、最後に私がいいたいことは、明治維新が結局藩閥政治を生み、そして、それが今日の日本のごときものを作りあげた失敗は、政治の当事者である人民が維新に参加しなかったからだと思います。
 ですから、このコーヒー維新については、ぜひ当事者であるコーヒー党の皆さんの積極的な参加をぜひとも得たいのです。