サイホンコーヒーについて


1974年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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 最近サイホンコーヒーの店という看板をよく見かけます。
 これは恐らく、自分の店はサイホンでコーヒーを淹れているから、他店に比べて美味しいぞ、という意思表示だと思います。
 私もコーヒーにとりつかれるキッカケとなったのが東京渋谷にあるサイホンコーヒーの店のコーヒーに入れあげた結果なのですから、サイホンコーヒーを馬鹿にしたり、粗末にするとバチがあたります。
 ただ、あのサイホンという器械は私のように(?)馬鹿正直な器械で、コーヒー豆の性質を実に正直に出してしまいます。
 言い換えれば、良い点も悪い点もみんなさらけ出してしまうという美点(?)があります。
 品質の良いコーヒー豆を使えば良質のコーヒーが抽出されるし、悪ければこの反対とハッキリと結果の出る器械です。
 私が皆さんにサイホンを使わずペーパーフィルターを使えというのは、ペーパーフィルターであれば、良い面だけを引っ張り出して、悪い面はそのままそっとしておくという機能があるからです。
 良い面=美味しさの要素=カフェオール、カフェイン、カラメルなどは十分抽出させておいて、悪い面=まずさの要素=タンニン(ピロガロール酸)などは抽出を押さえるようにすれば、少々コーヒーの質が悪くても美味しいコーヒーが得られる訳です。
 その点サイホンですと、コーヒー豆の成分をほとんどみんな抽出してしまいますから、よほどコーヒー豆の質が良くなければ、美味しいコーヒーは得られません。
 ところで、世界のコーヒー事情は年々品質の低下の方角へ向かっていっています。
 ブラジルではポンド・ヌーブという大量に採れる品種が作付面積の大半を占め、ブルボン種といったような本来のブラジルコーヒーはすたれています。
 他の国でも同様で、品種が病虫害や霜害に強く、多収穫であるというふうに改良(?)された結果、味の方は低下する一方であるというのが現状です。
 こうなって来ると、我々コーヒー党の者でも対応策を考えなければならなくなる訳ですが、焙煎等でカバーできない点は、調理段階でサイホンのような馬鹿正直な器械は敬遠するといったふうな自衛策が必要になってくると思います。
 街角に立つサイホンコーヒーの看板、その善意と信頼を裏切る世界のコーヒー業界の動き。
 こんなことをしているとコーヒーという飲物そのものが大衆にソッポを向かれるぞ、という危機感。
 私は一人のコーヒー愛好家として、十数年前に飲んだ渋谷のサイホンコーヒーの味を想い出しながら、複雑な感情が胸の中をよぎるのです。
(山内豊之)