喫茶店のコーヒー代について
1974年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
だいぶん旧聞に属することですが、先頃、米価の値上げを答申した米価審議会の会場へ入ろうとする渡辺農林政務次官と消費者代表とのやりとりをNHKのテレビニュースで見ましたが、その中で、渡辺次官は「値上げ値上げというが、たかだかコーヒー一杯の値段じゃないか」というようなことをいいました。
どういうわけか、何か値上げなどということがあると、「コーヒー代」がひき合いに出されるようです。
その人達の意見では、どうやらコーヒー代なるものは、実にムダなクダラナイ出費のように聞こえるのですが、本当にそうなのでしょうか。
先日、私は、あるデパートから頼まれて「コーヒーはゆとりの文化のバロメーター」なる一文を書きました。内容は、コーヒーの消費量をみてみると、スウェーデン等の北欧三国が世界の上位を占め、アメリカ、西ドイツは中位、日本は最下位グループにランクされている。これは、北欧三国のように社会保障が完備され、国民生活にゆとりのある国の人々はコーヒーをたくさん飲み、いくら物質文明が盛んであっても、精神にゆとりのない国ではコーヒーの飲まれる機会は少ないということが言えます。
だから、早く日本も、ゆっくりとコーヒータイムを楽しむ人が多くなるような、心の分野で豊かな生活を送ることのできる国になりたいというようなことでした。
考えてみれば、日本で喫茶店というものが、他の国に見られない形で繁盛しているのも、いわば自分の家庭で得られないゆとりの一刻を、家の外に求めようとすることで成り立っているのではないかと思います。
渡辺次官のように、多分立派なお住居(ご本人はそう思っていないかもしれませんが)に住める身分の方には判らないでしょうが、日本国民の大半は、ゆとりの一刻を楽しむため、セセコマシイ喫茶店の片隅に身を置かなくてはならないのが現状なのです。
そのささやかな楽しみすら、ガス料金が上がるとコーヒー一杯分、お米が上がってコーヒー一杯分、電気で一杯、地下鉄が上がって一杯と、節約を強制されてはたまったものではありません。
渡辺次官ドノ、今すぐに日本国民全体に、ゆっくりとコーヒーを楽しめるような、ゆったりとした住居を与えてくれるような政治をしてくれとは申しませんが、毎日のコーヒーの一杯ぐらい飲ませていただけるような政治はしていただきたいとお願い申し上げます。
ところで、たかが一杯のコーヒー代とおっしゃるこのコーヒーのお値段、一杯二百円~二百五十円では少し高いと思いませんか。
一日一杯飲めば一ヶ月に六千円から七千五百円、出費の多くなった庶民のフトコロにはズシンと響く金額です。少しはなんとかならないだろうかと考えたくなるのが人情です。
正直な話、喫茶店のコーヒーの原料代は二十パーセントそこそこ。あとは三十パーセントが人件費、家賃と借家保証金の償却が十パーセント、水道高熱費だけでも五パーセント、消耗品等が五パーセント、店舗の改装費の償却が五パーセント、その他の諸経費が十パーセント、残りの十五パーセントで銀行からの借金の利息を払ったり、お客様に少しでも良い雰囲気でコーヒーを楽しんでいただこうと、店の装飾や展示した絵画などにお金をかければほとんど残りません。その店のマスターやママさんが自分でコーヒーを淹れたり運んだりすれば、それだけが残るといった勘定です。
お客も高いコーヒー代を払い、店もたいして儲からん、全く妙な話です。
ネェ、渡辺次官ドノ、
「たかが一杯のコーヒー代ぐらい」もう少しなんとかならんもんでしょうかネェ?