「(株)日本珈琲販売共同機構 機関誌 アーカイブ」カテゴリーアーカイブ

1971年設立 (株)日本珈琲販売共同機構 設立者 山内豊之が執筆した機関誌のアーカイブです。

コーヒーは毒か 薬か?


1975年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-3-150-240
われわれコーヒー党にとって何となく気がかりなのは、コーヒーは健康に害があるのではないだろうか、ということです。特にコーヒーは胃に悪いのではないだろうかという心配は常々つきまとう問題です。
 そこで、今月はコーヒーと健康について述べてみたいと思います。
 まず、コーヒー有害説で取り上げられるのは、コーヒーの成分であるカフェインなのですが、正直な話、カフェイン自体有害な証拠は全くありません。
 カフェインは神経を刺激して気分をよくしたり、頭の働きを高めるのに役立つほか、利尿作用で新陳代謝をよくするなど、健康に役立つ成分です。
 ただ、胃腸の働きをよくするため、空腹時に飲みますと胃液の分泌などを増進させるので、胃の中の酸度が高くなり、胸やけなどの原因となります。
 ですから空腹時には飲まないようにすべきですし、逆にディナーの際に最後に出されるコーヒーは消化増進剤だと思ってお飲みになる方がよいでしょう。
 次にタンニンですが、タンニンは胃壁を収れんさせる作用がありますので、満腹感が起こり食欲を低下させます。食事の前に飲まない方が賢明です。ただし、アメリカなどでは食前にコーヒーを飲ませて食欲を減退させ、食べすぎによる肥満を治療しているそうですから、ものは使いようです。
 そのほか、特に有害な成分ではありませんが、リンゴやみかんなどにも含まれていると同じような植物性の酸味が味覚を刺激して、胃液の分泌を促しますので、食事の関係で酸性度の高い日本人には、食後のコーヒーもそういった理由で害になるかもしれません。
 これはコーヒーに限らず他の酸味のある食べ物(たとえば梅干し)などにもいえることですから、胃酸過多ぎみの方は、その点を心得られる必要がありましょう。
 話しはそれますが、ぽえむのジャーマンローストが非常に評判がいいのは、カフェインやタンニンや酸味を押えるロースティングをしているからで、いかにも日本人向きのコーヒーといえましょう。
 また、コーヒー―本来の成分とは違うのですが、コーヒーが長時間空気中に放置されたり、煮沸されて酸化したものは、特にその酸味が消化液の分泌を促進して胃の中の酸度が高進するようです。わが国の喫茶店などでは何十杯分ものコーヒーを淹れだめしておいて、沸かし直して出す店が多いのですが、そういうコーヒーを飲まされてきたことがコーヒーが胃に悪いという説の原因になっているのではないでしょうか。
 むしろコーヒーを好意的にみれば、前述の効能のほかに、先月号に述べた精神的な効果や、コーヒーが体内でカリウムやカルシウムのアルカリ性ミネラルに変化し、体内のリン酸や硫酸などを中和して体液を弱アルカリ性に保つ作用を持っています。
 ですから、酸性食品をとることの多い日本人は、酢の物や牛乳、ワインなどと並んでアルカリ性食品の雄であるコーヒーをたくさん飲む必要がありそうです。
 ただ、ポルト(甘いブドウ酒)や砂糖入りのコーヒーはその糖分が強力な酸性食品ですがら、糖分をとりすぎないよう、出来ればブラックでコーヒーを飲むことをおすすめいたします。
 最後にもう一つ、コーヒーを飲む上での注意を付加しますと、高血圧の方は、カフェインが心臓の働きを強めますので注意が必要です。しかし、、心臓の力が弱ったときには逆に強心剤の働きをするので、飲ませた方がよいという医者もいます。それと、飲酒時は血管が開いていますから、コーヒーで血液の流れをよくすると早く酔いがさめますので、二日酔いの予防になります。
 とにかく、コーヒーにしろ何にしろ、使い方によって毒にも薬にもなる、ということが結論となるでしょう。

商社・生豆問屋は目先の損得のみを追求するな


1975年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-3-150-240
  聞くところによると、珈琲を扱っている商社や生豆問屋のセールスマンの間では、日珈販お社長たる私は「コーヒーに関してド素人で、箸にも棒にもかからん代物」だという評判だそうです。

-良質原料豆の確保こそ-
 なぜ、そのような評判が立ったかというと、どうやら昨年日珈販で発売しているコーヒー豆の加工先を変えた際に、加工先に対して原料豆の品質を均一化することを強く要望し、その意を受けて、加工先では出入業者にその旨を要求したことが事の始まりのようです。
 加工先を変更した当初はわれわれが要求した品質の原料豆が比較的在庫が豊富で、われわれの要求を満たすことが出来たのですが、最近ではコーヒーの在庫高こそ豊富であれ、われわれが要求するような品質の原料豆はなかなか入手が困難な状態に追い込まれ、必然的に生豆問屋や商社は供給に苦慮することになりました。
 しかし、われわれ日珈販としては、顧客の要望に応えるために、いい加減な妥協は許しません。
 このように原料事情が悪い時にこそ、良質の原料を確保し、美味しいコーヒーをコーヒー党の皆様にお届けするのが日珈販の使命だと考えていますから、いくら国内の在庫や輸入事情が良質原料豆の供給を困難にしているかたといって、それを認めては、日珈販がぽえむというコーヒー専門店のチェーン店を主宰する意味がありません。
 言い替えれば、われわれコーヒー業者の御都合で、コーヒー愛飲家の方に粗悪なコーヒーを押しつけるようなことは出来ない、ということなのです。

-コーヒー党を無視するな-
 一方、商社や生豆問屋の立場にすれば、長い間滞貨となっている原料豆の山の中から、われわれが要求するコーヒー豆を選ぶなどということになると、たいへんな手間がかかるわけで、まず不可能だといいたいのでしょう。
 それなら、昨年とれた新豆の良質なものを輸入して供給してくれればよいのですが、商社などは大量の在庫をかかえてお手上げといった状態で、在庫を何とか処分しようということで手がいっぱいというのが現状のようです。
 このような情勢にコーヒー業界がおかれていますから、私共の要求というものはない物ねだりに聞こえ、それがあたかも何も知らないで言っているように受け取られるのでしょう。
 誤解のないように言っておきたいのですが、われわれは何も知らないどころか、商社や生豆問屋のセールスマンたちよりもはるかに多くの情報をつかんでいます。
 たとえば、ある共同焙煎工場では最近缶入りのコーヒーを発売しましたが、これに使用するコーヒー豆を工場の構成母体である生豆問屋が産地から直輸入し、原料豆の特徴を生かしたコーヒー作りを行っていますが、これなど、やる気になれば出来るということの見本だと思います。
 私共も直輸入したコーヒー豆を一部使わせていただくことに内定し、ジャーマンローストの原料として使用させていただくことになりました。
 また、現在産地ではコーヒー豆がダブつき気味で値段も下がり気味なのに、わが国では在庫が硬直化して品質も滞貨のまま劣化していっているということも、十分承知しているのです。
 しかし、前にも述べたとおり、それを仕方がないと認めていては、せっかくレギュラーコーヒーに向きつつあるコーヒー愛飲家の気持が、原料豆の悪さが原因となって、手間をかけてレギュラーコーヒーを淹れてみたがインスタントコーヒーと大して違わないということで、再びレギュラーコーヒーに背を向けてしまったとしたら、いったいコーヒー業界の先行きはどうなるのでしょう。
 すでにコーヒー業界において焙煎業者たちは、飲食店におけるコーヒー消費量の低下という現実に直面して、その意識を変えつつあります。
 その前に立ちふさがってコーヒー業界を破滅に導こうとしているのが、今の商社や生豆問屋ではないでしょうか。

-問屋の名にふさわしい機能を-
 特に生豆問屋なんか、ただの商社の輸入したものを右から左へ動かしてサヤを取っているだけなら、その存在意義がありません。ユーザーも少しロットが大きくなれば商社と直取引をした方が、ペーパーマージン分だけ安く買えます。
 わが国古来の商業の知恵として発達してきた問屋制度は、その得意先の必要とする品物を取り揃えるという機能をもってこそ、問屋の存在価値が認められるのではないでしょうか。
 私は、今、国内で滞貨となっているコーヒー豆なんか、インスタントコーヒーの原料にでも安く叩き売って、良質なコーヒー豆を輸入し、コーヒー愛飲家に美味しいコーヒーを供給した方が、将来、現在の損失をはるかに大きく上回る利益に結びつくと考えるのですが、いかがでしょう。

コーヒーの色はコーヒーブラウンか?ワインカラーか?


1975年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-4-150-240
 日珈販で出している「コーヒーの楽しみ方10章」の第7章に「上等のコーヒーは、必ず上等の赤ブドー酒のように赤みを帯びて澄み切った透明な色をしています。珈琲ブラウンなどといって、コーヒーは褐色のように思われていますが、あれは濁ったときの色です」と書いてありますが、それについてある読者の方から、コーヒーはあくまでコーヒー色をしているからコーヒーブラウンが正しくて、赤ブドー酒の色はワインカラーであり、コーヒーがワインカラーというのはおかしい。現に、自分がいつも飲んでいるコーヒーはコーヒーブラウンであり、とても美味しいコーヒーであるというお便りを頂きました。
 そこで今回は、ひとつ、コーヒーの色について少々科学的に考えてみたいと思います。
 まず、コーヒーという飲物が、珈琲の木の果実の中にある種子を焙煎したものであることは皆さんご承知のことだと思います。
 ですから、コーヒーの色といっても、本来コーヒーが有しているという色ではなくて、種子が焦げた結果として褐色、或いはワインカラーの色がつくというのであることも明白な事実です。
 とすると、コーヒーブラウンかワインカラーかという論争の焦点は、ロースティングの度合いによって変わってくることになり、話がかみ合わなくなってしまいます。
 ただいえることは、ワインカラーにしろコハク色にしろ、不透明になってくると、白っぽく見えてみて、コーヒーブラウンと呼ばれる色に近くなってくるのは事実です。
 コーヒーの成分に関する科学的な考察を述べた本によりますと、その不透明となる原因については、次のようなことが考えられると書いてあります。
 第一は、コーヒーの種子(コーヒー豆)からコーヒーを抽出する場合、抽出方法が間違っていて、可溶性物質だけでなく不溶性物質の微粒子が液中に混入して、不溶性物質の微粒子が液中に沢山浮かんでいるために、光が反射して液全体が白っぽく見える場合。
 第二は、コーヒー液中に抽出された可溶性物質のうち、蛋白質やタンニンが酸化して不溶性物質に変わり、液中に不溶性微粒子として浮かんでおり、それが光を反射し液を白く見せている場合。
 以上二つの場合が考えられます。
 いずれにせよ、コーヒーの色の透明度が低いということは、美味しさに不要な物質が沢山含まれているということになります。
 こういうことは、コーヒー豆の粉砕の際に微粉が多量に出る場合とか(コーヒーミルが悪い)、コーヒーの粉を細かく挽きすぎた場合に第一の場合として起こり、また、コーヒーを煮沸したり、抽出時間や抽出温度が高すぎた場合に、第二の場合として起こりがちです。
 特に第二の場合は、コーヒーサイホンでコーヒーを淹れる場合に起こり易いので注意が必要です。
 とにかく、コーヒーがワインカラーか?コーヒーブラウンか?は別にして、色が濁って不透明なものは古いか、間違った取扱い法によったコーヒーであるという結論になりそうです。

「コーヒー党宣言」休筆の弁


1975年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-4-150-240
 今から3年前、昭和47年4月号に筆を起こして以来この「コーヒー党宣言」も36回を重ねることになりましたが、一応今回を持って休筆したいと思います。
-外された期待-
 休筆の理由は色々ありますが、まず第一の理由は、同一人物が同一のテーマで同一の手法で文章を書き続けていると、どうしてもマンネリになり勝ちであるということです。
 少なくとも私がこの筆を起こしたときは、この文章を書きすすめていくと同時に、コーヒー業界も時代の流れに従って新しい展開を遂げると信じていましたし多少短兵急ながらも、私自身の精神力、気力も充実しておりました。
 しかし、この数号の間、私は新しい稿の筆をとるたびに前の稿を読み返しているのですが、この3年間、私が大きな期待を寄せたほどの変革が起こらず、私の論旨も同じ場所をグルグルと堂々めぐりしているだけだという有様なのです。
-コーヒー業界は本当に伸びているのか-
 この3年間、我が国の経済はもとより世界の経済も大きく変革を遂げたにもかかわらず、我が国のコーヒー業界という最も近代化の遅れた業界でなおかつ遅々として変革が進まない不可思議さもさることながら、私自身その能力の無さには何度思い返しても腹立たしさを禁じざるを得ません。
 結局、この3年間に私が経験した現実は、コーヒー業界諸悪の根源であると思っていた焙煎業者たちが、実はこの誰が仕組んだのかわからないコーヒー業界の泥沼の中で、ジリジリと落ち込んでいく渕の中から必死に脱出を試みてもがいてはいるものの、もがけばもがくほど渕の渦へ吸い込まれる力が大きくなることも知らず、そして死の瞬間すら予期していない愚かしい姿をみせている弱者にすぎないことを知らされたという空しさにほかならなかったということなのです。
 “コーヒー業界は伸びている。ブームを呼んでいる食品業界の中でも成長株の第一にも推せる商品だ”などという声も聞かされますが、我が国で消費されるコーヒーの60パーセントがインスタントコーヒーでありさらにその残りの40パーセントのうち大手3社と呼ばれる焙煎業者のシェアが45パーセントと見込まれると、全体の消費量のわずか20パーセントそこそこを350社もの焙煎業者が過当競争を続けているようなことでは、近代化も革新もあったものではないという気がします。
 しかも、その零細業者のほとんどが、大手業者相手に同じような販売量での競争をしているということになると、徳川幕府成立前の戦国時代をみる思いがしてなりません。
 おそらくこのままでいくと、戦国時代そのままにお互いの陣取り争いに疲れきった頃、信長が鉄砲という新しい兵器を使ってほかを制した如く、新しい経営戦略を持った企業がコーヒー業界に登場して、アッという間にコーヒー業界を制してしまうということも考えられます。
-業界の体質改善が急務-
 結局、今後のコーヒー業界は、おそらく自壊作用とそして新勢力の登場という歴史の必然性の上に立ってその運命を切り開いていくでしょうが、私は自分のエゴと、私の主宰する珈琲専門店チェーン「ぽえむ」の未来のために、クールに突き放して現実を見ていきたいと思います。
 3年間にわたった筆を休めるに当たり、私が感じることは、コーヒー業界という特殊な業界が本当に革新されるためには、一般消費者や、珈琲店の経営者や、焙煎業者の考え方を変えるだけでは駄目だということです。
 もっとコーヒーという業界全体の理念や、仕組みや、商習慣のようなものを、自発的に変えることが必要なようです。
 いいかえれば、コーヒー業界をスポイルしていたのは、「コーヒーに関する神話」でなく、コーヒーという商品の商売のされ方にあったということで、商品のされ方が変わらない限り、このコーヒーという商品のあり方は変わらないようです。
       ※
 私は、これからもう一度「珈琲店のマスター」という原点に帰って、この商品の在り方を、末端消費者の立場から追求していきたいと思います。
 永い間、本欄のご愛読ありがとうございました。
       ※
(追伸)
 やる気はまだまだ充分です。乞御期待。

コーヒー専門店のコーヒーは本当に美味しいのか?


1975年5月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
昔ながらの喫茶店
昔ながらの喫茶店

 最近、町にコーヒー専門店という看板がやたらと目につくようになりました。
 どの店も茶色の木やレンガや白壁を配した画一的な造作で、カウンターにはコーヒーサイホンを並べ、ブレンドコーヒーのほかに何種類かのストレートコーヒーを並べて、従業員の殆どは男子であるというのが、今様コーヒー専門店のパターンのようです。
 最初のうちは、この種の店の数も少なかったので、コーヒー専門店の看板が上がっている店なら、一応コーヒーを注文してもひどいものを飲まされる心配はないものと思っていました。 
 しかし、こうメチャクチャにコーヒー専門店がふえてしまうと、何となく安っぽい感じがして、本当にコーヒー専門店なら安心してコーヒーが飲めるのだろうかという気持ちになってしまいます。
 ところで、普通、専門店といえば、一般には広く大衆に普及した商品を販売している店で、特に商品を限定して奥行の深い品揃えをしている店で、ありふれた品物でなく、特に個性的な品物を欲しいという客に対して、そのような要求に応える店であるか、または、商品を限定することにより、安く販売する能力を持つ店であるかということになります。
 このような尺度にたってコーヒー専門店を考えてみますと、ぽえむのように原料の生豆からその加工法・商品管理・そして販売方法まで厳しく管理して、その販売をしているコーヒー豆が他店と明白に差があるような店はまずないといってよく、高品質型の専門店は実質的にはぽえむ以外に存在しないということになります。
 また、量販型の専門店にしても、メーカーが単に直売方式をとっているから、少しは安く売られているという程度で、本格的なコーヒーの量販店は存在していません。
 考えてみれば、大衆店に対しての専門店であるべきなのに、コーヒーの世界では、大衆店がなく専門店が存在し、かつ、この店で売っているコーヒー豆も、一般の喫茶店で売っているコーヒーの原料であるコーヒー豆も、全く差がないというのが現実です。
 ひと昔前ならば、コーヒーの抽出技術が違うなどといってごまかせたでしょうが、昨今のように「コーヒーの抽出法に関する神話」が崩壊しつつある現実の上にたって考えれば、このようないい加減な理由だけでは、コーヒー党をごまかせなくなってきています。
 しかも、私どもが見て許せないのは、コーヒー専門店の経営者が、安易にコーヒー代が高とれるから専門店にしようというようなことを考えているようですが、私にいわせれば、専門店はそれだけメニューを限定できるのですから、逆にコーヒー代を安くできるはずだと思うのです。
 ぽえむもそういう考えから、コーヒー代を最低200円で押さえているわけなのですが、日本で一番良質のコーヒー豆を使い、一杯ずつ手で淹れてもこの値段で売れることを立証できたことに、もう一つ意義があると考えています。
 こう考えていくと、ゴタゴタした道具立てやコーヒーカップに凝ったりして、客にコビを売り、法外なコーヒー代をとる店のコーヒーなんて、その根性からしてどんな味がするだろうという気がしてきます。