「(株)日本珈琲販売共同機構 機関誌 アーカイブ」カテゴリーアーカイブ

1971年設立 (株)日本珈琲販売共同機構 設立者 山内豊之が執筆した機関誌のアーカイブです。

東京の珈琲屋と地方の珈琲屋


1975年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年6月
珈琲共和国1975年6月

 先月、私は郷里の高知へ帰りました。
 朝、羽田を発ち、翌日の夕方には高知を離れるという急ぎの旅でしたから、久し振りの郷里の雰囲気を味わうわけにはいきませんでしたが、それでも高知のコーヒーの味だけはホテルの喫茶店など4、5店で楽しませてもらいました。
 高知というところは、日本でも有名な酒飲みの県で、かく申す私も上京するまでは典型的な左党であったのです。しかし、その反面、喫茶店の数は人口に比例して多く、昭和46年の通産省の統計では、人口一人当たりの一年間に喫茶店で使用するお金の額は名古屋、神戸に次いで3番目という記録が残っています。
 もっとも、喫茶店のメニューも、東京あたりの店と違ってコーヒー中心というのでなく、アイスクリームやかき氷など幅広い飲物が用意されているようです。
 私は今回2年ぶりに行ったのですが、それでも最近ではコーヒー専門店などもできているようで、私もそのような店を利用させてもらいました。
 さて、その感想なのですが、一口にいって、コーヒーの味はまったくいただけませんでしたが(まず濃過ぎて、酸が強くて、渋い、昔ながらの喫茶店のコーヒーの味),そのサービスの良さは東京の喫茶店では味わえない人情深豊かさがありました。
 マナー自体はあまり良くないのですが、それは無知や土地の習慣から来ているもので、私どもの方で誤解しない限り十分従業員の思いやりが感じられる応対でした。
 地方で私が旅をするたびに感じることは、ことコーヒーに関しては、一歩東京を離れるとガックリ格差があるということです。最近では、地方のちょっとした町へ行くと、地価や工事代の高い東京ではめったにお目にかかれないような立派な珈琲店があったりします。
 しかし、コーヒーの味ときたらその店が鳴物入りで宣伝したり、その店の経営者が自信たっぷりであったりするわりには、いい加減なものが多いので困ります。
 私は、東京にいるときはそれほどコーヒーを飲みたいとは思いませんが、東京を離れるとも猛烈にコーヒーが飲みたくなるクセがあります。そんなとき、なるべくコーヒーの美味しそうな店を探して入るのですが、大かた見かけ倒しの珈琲店で、どうしても最後まで飲みきれず、飲み残すケースが多くなります。すると、逆に余計にコーヒーが飲みたくなり、また店を探すということで、またまた失望の繰返しを味わうということが少なくないのですが、どうもこれにはたまりません。そしてコーヒーの味についていえば、東京へも聞こえているような有名な珈琲店のコーヒーほどうまくないようです。
 結局、地方へ行きますと、東京地区のようにコーヒー豆の卸売業者間の競争が激しくなく、大手業者がその地方の市場の大半を占有し、その残りを地方の業者が押さえて、事実上の独占的販売体制ができているケースが多く、そのためコーヒーの味で競合する余地が残されていなくて、インテリアだとか、単なる名声で勝負するほかにないからだと思います。
 結局、高知への旅の間で一番美味しかったのは、従兄の奥さんに淹れてもらったネスカフェのゴールドブレンドだったのですが、私はそこで改めて、なぜわが国のコーヒーの60パーセント以上もが、インスタントコーヒーで占有されているのかわかった気がしました。
 高知にも、私の従兄の子供達など東京で何年かの生活を送った人達がいて、ぽえむのコーヒーを愛飲してくれており(東京の知人に送ってもらっている)、なぜ、郷里の高知へぽえむを出さないのかと責められたのですが、そのような体験を通じて私は、なぜぽえむのコーヒーが地方でウケたのかがわかりました。
 それは、地方におけるコーヒーの販売体制があまりにも寡占化されており、客が味を選ぶ自由さがないからだと思います。そういった意味で、私はコーヒーの美味しさを伝えるチャンスを大衆に与えるという意味でも、ぽえむの地方出店を促進する必要があると、感じました。

珈琲屋風雲録 -前口上-


1975年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年6月
珈琲共和国1975年6月

 昨年、私は「実録珈琲店経営」という本を出版しました。
 ご承知の通りこの本は、私が阿佐谷に小さな喫茶店(現ぽえむ阿佐谷西店)を出店してから、現在のぽえむチェーンが成立するまでの過程を書いたものでした。いわば市井の平凡な一般の男が、ささやかな成功を得るまでどのような体験をしたかということで、どちらかといえば自然の成り行きをそのまま述べたという本であったわけです。

-日珈販誕生
その役割り-

 さて、私は今から3年半ほど前、阿佐谷西店・阿佐谷東店・下高井戸店・永福町店の4点を出発点として、資本金50万円の会社を作りコーヒー専門店の本格的なフランチャイズチェーンの創造に着手しました。
 この会社が㈱日本珈琲販売共同機構(略称・日珈販)で、現在30店舗の加盟店を有し、社団法人日本フランチャイズチェーン正会員としては、わが国コーヒー業界でただ一社の存在ではあるのですが、何しろ資金のないものが始めたものですから、売上高などもまだまだ年商5億円程度と、100億円のフードサービスチェーンが続々と生まれつつある今日では小さな会社でしかありません。
 しかし、日珈販の業界に果たす役割は、企業の大小にかかわりなく重要な位置を占めています。
 大変重要であるからこそ私の個人的な企業で負担した金額をこめて、優に3千万円を超える赤字を出しながらもこの企業を育ててきたし、また育てる情熱を持ち続けることができたのですが、それに比してなぜ重要なのかが業界やその関連業界にはわかっていないような気がします。
 私がぽえむという一珈琲屋を創った場合では、かなり自然発生的に成り行きまかせで、その時々の流れにのせてきたという面がありますが、この日珈販という会社創りにあたっては、最初から日珈販という会社の在るべき在り方を予測し、また追及し、その設計図に基づいて業務を行ってきたという本質的な違いがあったのです。

-事実を書けば
波乱が起きる-

 そこで、私は昨年「実録珈琲店経営」を書きおえたときから、本当に皆さんに読んでもらいたいのは、この続きなのだという気持が強く働いてきました。
 すぐに筆を取りたいとも思ったのですが、いろいろ事情もあってなかなか筆を起こすにいたりませんでした。
 なぜならば、私の書くことはすべて事実や現実に基づいていますから、こうして現在商売をしている私どもに全く影響がないとはいえません。否、まともにかかわりあってくる問題ばかりだからです。
 まず第一に、日珈販・ぽえむを信頼してぽえむチェーンに加盟した加盟店の皆さん方の商売が、日珈販本部が業界から圧迫されることによって結果的に阻害される恐れがあること。
 第二に、日珈販に商品を供給している業者に圧力がかかる事。
 第三に、日珈販のスタッフが業界からシャットアウトされるために業務に障害が発生したりする恐れがあったこと。
 第四に、ただでさえも苦しかった日珈販の資金繰りを圧迫されるような事態が発生するような危険性があったことなどです。
 しかし、最近では少々情勢も変化し、飲食業界のコーヒー需要が落ち込み、家庭用の消費が伸びるなど、業界の志向が転換しつつあることや、味の素ゼネラルフーズやサントリーの業界参入などの動きもあって、今までのような業界を特殊部落化し、業界内だけのルールで商売をしていくというやり方が、もう長続きしないことがハッキリしてきたため、私どもアウトサイダーに対する締付けが弱まってきました。

-有能なスタッフ
威力を発揮-

 また、日珈販自体も本年度に予想される本部年商は2億5千万円と、その業績を伸ばしてきており、数年後には東京地区における焙煎業者の中堅と肩を並べることができると思います。
 この内容も、他の焙煎業者と違って、売り渡し先は加盟店と決まっておりますので、商品数は少なく、売り上げ代金の回収も確実なので、効率的な経営ができるものですから、急速成長をしてもガタがくるようなことは全くありません。
 そもそも日珈販の赤字経営の原因は、有能な人材確保のための人件費負担にあったのですから、今日ペイラインに達してくると、ますますその威力を発揮します。
 今後は本部の商品取り扱い高の増加に従って、さらにスケールメリットを追及できるようになると思いますので、かねてからの懸案であった資金難も次第に解消して、いっそうスケールメリットを生かす商品取り扱いもできるでしょうから、本部の力も増大するばかりだと思います。
 そんなわけで、少々の圧力には屈しないだけの力が日珈販についてきたのですが、そうなってくると私の書きたい欲望が押さえきれなくなってきました。
 とはいうものの、私の周辺にはいろいろ書かれては商売にさしつかえる方も多いので、全く生の形で書くことはできません。
 そこで「珈琲屋風雲録」といった読み物として書いていきたいと思いますので、一つ識ある方は字の裏の裏までお読みとりいただきたいと存じます。

珈琲屋風雲録-前口上-


1975年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年6月
珈琲共和国1975年6月

 昨年、私は「実録珈琲店経営」という本を出版しました。
 ご承知の通りこの本は、私が阿佐谷に小さな喫茶店(現ぽえむ阿佐谷西店)を出店してから、現在のぽえむチェーンが成立するまでの過程を書いたものでした。いわば市井の平凡な一般の男が、ささやかな成功を得るまでどのような体験をしたかということで、どちらかといえば自然の成り行きをそのまま述べたという本であったわけです。
日珈販誕生
その役割り
 さて、私は今から3年半ほど前、阿佐谷西店・阿佐谷東店・下高井戸店・永福町店の4点を出発点として、資本金50万円の会社を作りコーヒー専門店の本格的なフランチャイズチェーンの創造に着手しました。
 この会社が㈱日本珈琲販売共同機構(略称・日珈販)で、現在30店舗の加盟店を有し、社団法人日本フランチャイズチェーン正会員としては、わが国コーヒー業界でただ一社の存在ではあるのですが、何しろ資金のないものが始めたものですから、売上高などもまだまだ年商5億円程度と、100億円のフードサービスチェーンが続々と生まれつつある今日では小さな会社でしかありません。
 しかし、日珈販の業界に果たす役割は、企業の大小にかかわりなく重要な位置を占めています。
 大変重要であるからこそ私の個人的な企業で負担した金額をこめて、優に3千万円を超える赤字を出しながらもこの企業を育ててきたし、また育てる情熱を持ち続けることができたのですが、それに比してなぜ重要なのかが業界やその関連業界にはわかっていないような気がします。
 私がぽえむという一珈琲屋を創った場合では、かなり自然発生的に成り行きまかせで、その時々の流れにのせてきたという面がありますが、この日珈販という会社創りにあたっては、最初から日珈販という会社の在るべき在り方を予測し、また追及し、その設計図に基づいて業務を行ってきたという本質的な違いがあったのです。
事実を書けば
波乱が起きる
 そこで、私は昨年「実録珈琲店経営」を書きおえたときから、本当に皆さんに読んでもらいたいのは、この続きなのだという気持が強く働いてきました。
 すぐに筆を取りたいとも思ったのですが、いろいろ事情もあってなかなか筆を起こすにいたりませんでした。
 なぜならば、私の書くことはすべて事実や現実に基づいていますから、こうして現在商売をしている私どもに全く影響がないとはいえません。否、まともにかかわりあってくる問題ばかりだからです。
 まず第一に、日珈販・ぽえむを信頼してぽえむチェーンに加盟した加盟店の皆さん方の商売が、日珈販本部が業界から圧迫されることによって結果的に阻害される恐れがあること。
 第二に、日珈販に商品を供給している業者に圧力がかかる事。
 第三に、日珈販のスタッフが業界からシャットアウトされるために業務に障害が発生したりする恐れがあったこと。
 第四に、ただでさえも苦しかった日珈販の資金繰りを圧迫されるような事態が発生するような危険性があったことなどです。
 しかし、最近では少々情勢も変化し、飲食業界のコーヒー需要が落ち込み、家庭用の消費が伸びるなど、業界の志向が転換しつつあることや、味の素ゼネラルフーズやサントリーの業界参入などの動きもあって、今までのような業界を特殊部落化し、業界内だけのルールで商売をしていくというやり方が、もう長続きしないことがハッキリしてきたため、私どもアウトサイダーに対する締付けが弱まってきました。
有能なスタッフ
威力を発揮
また、日珈販自体も本年度に予想される本部年商は2億5千万円と、その業績を伸ばしてきており、数年後には東京地区における焙煎業者の中堅と肩を並べることができると思います。
この内容も、他の焙煎業者と違って、売り渡し先は加盟店と決まっておりますので、商品数は少なく、売り上げ代金の回収も確実なので、効率的な経営ができるものですから、急速成長をしてもガタがくるようなことは全くありません。
そもそも日珈販の赤字経営の原因は、有能な人材確保のための人件費負担にあったのですから、今日ペイラインに達してくると、ますますその威力を発揮します。
今後は本部の商品取り扱い高の増加に従って、さらにスケールメリットを追及できるようになると思いますので、かねてからの懸案であった資金難も次第に解消して、いっそうスケールメリットを生かす商品取り扱いもできるでしょうから、本部の力も増大するばかりだと思います。
そんなわけで、少々の圧力には屈しないだけの力が日珈販についてきたのですが、そうなってくると私の書きたい欲望が押さえきれなくなってきました。
とはいうものの、私の周辺にはいろいろ書かれては商売にさしつかえる方も多いので、全く生の形で書くことはできません。
そこで「珈琲屋風雲録」といった読み物として書いていきたいと思いますので、一つ識ある方は字の裏の裏までお読みとりいただきたいと存じます。


珈琲屋風雲録 第一話


1975年7月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年7月
珈琲共和国1975年7月

 現在、社団法人日本フランチャイズチェーン協会の正社員は28社、準会員9社である。
 その中で、コーヒー業界からは正社員で日珈販が、準会員でダイタン商事が加盟を認められているだけである。
 規模や歴史は別として、わが国の公共的な組織から一応フランチャイズチェーンの本部として適格であると認められたのは、この2社だけであるということになる。

ぽえむ珈琲専門店へ
 業界誌の広告などをみると、沢山の企業がコーヒー店のフランチャイズチェーンの加盟店を募集しているが、これらは客観的にみるとフランチャイザーとして適格でないということになる。
 善意に考えてみて、アメリカなどでフランチャイズの団体が山師の集まりという風にみられた時期もあるので、それで協会を敬遠しているとみれないこともないが、それならフランチャイズなどという言葉を使って加盟店募集をしない方がよいと思う。
 悪意に考えて、協会に入るといい加減なことができないから入らないのだとも考えたくなるが、協会自体だってまだこれからなのだから、どしどし加盟してみんなの手でフランチャイズを立派なものにしたいものである。
 さて、私は何も協会のPRのために筆をとっているのではない。なぜ、ぽえむがフランチャイズというものを始めたのかということを書きたいのである。
 つまり、あの永島慎二さんの漫画に出てくる時のようなアットホームなぽえむを捨てて、珈琲専門店のチェーン化などという大企業的な臭いのすることをオッパジメタのかということを知ってもらいたいのである。

最初の2年は給料もなく
 私は、最近人に会うごとに「随分儲かっていそうですね」とか「そんなに儲けてどうするのですか」などといわれる。
 だから、大半の人々は私が儲けるためにコーヒー専門店のフランチャイズを始めたと思っているようである。
 しかしそれは違う。
 確かにぽえむの各店はどれも繁盛し、よく儲かっている。だが、間違ってほしくないのは、繁盛している店のオーナーは私ではないし、儲かっているのは私ではなくその店のオーナーなのである。
 実をいうと、私も阿佐ヶ谷西店、下高井戸店、吉祥寺店の3店をぽえむでやらしていただいてるので、この3店分に関しては儲けさせていただいている。
 だが、本部が儲かっているかというと、それは間違いである。
 今だからいえるが、日珈販という会社を作ったお蔭で、私が個人的に損したお金は1500万円。そして日珈販の赤字がトータルで1400万円ほどになるから、日珈販に注ぎ込んだお金が約3000万円ということになる。
 しかも、日珈販を作って約2年間は、私は一銭も給料をもらっていないのだから、それも計算するとえらい損になる。
 幸い去年から日珈販も少少なりとも黒字になりはじめて来ており、多少なりとも給料を払っていただくようになったので、告白することもできるのだが、取引先や銀行や、そして女房などには聞かせられない話だったのである。

業界への怒りがFC化に至る
 それでは、一体なぜ私が得にもならないことを始めたのだろうか。
 名誉欲であろうか。それとも自己顕示欲であろうか。
 それも確かにないとはいえないことはない。
 しかし、それだけではこんな高い代償を払ってまでやろうとはしなかっただろう。
 私がチェーン化してやろうという気になった本当の理由は、怒りである。腹が立って仕方がなかったからである。
 では、一体何に腹が立ったのであろうか。
 直接の対象となったのは、コーヒー業界の仕組みに対してである。
 喫茶店のオヤジ連中をたぶらかしてヌクヌクと儲けている焙煎業者。そして焙煎業者がそんな商法をとらざるを得ないように仕向けている喫茶店のオヤジ連中。この両方に腹が立ったからである。
 そして、その対象を通じて、業界のご都合で何事もケリが付き、消費者は常に業界の都合のよいものを押しつけられている、この日本の産業界の仕組みに怒りを感じたからである。
 そして、その怒りをさらにかきたてたのは、いくら正しくてもいくら論理をつくしても、経済力という暴力のもとに零細な業者の声は無視されるということへの怒りであった。
 その怒りがエネルギーとなって発展して来たのが、この日珈販という組織であり、その組織を効果的に動かすための手段として導入したのがフランチャイズシステムであったのである。
 だから、私が、このぽえむチェーンを作るにあたって考えて来たことは、金がないものがどうしたら巨大な資本をもった企業と太刀打ちできるだろうかということなのである。
 ところが、実際に始めてみると、これがまた、とほうもなく資金の要する仕事だったのであった。

消費者米価とコーヒー二杯半分の値段


1975年8月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年8月
珈琲共和国1975年8月

 過日、私のところへ日本経済新聞のN記者から電話がかかってきました。
 その要件は「よくたかがコーヒー一杯分の金額」という比喩をきくが、そのことについてどう思うか、ということでした。
 その電話を受けて正直な話、私はまた消費者米価の話かとウンザリし腹立だしくもありました。
 新聞が伝えるところによりますと、消費者米価の値上げ分は「コーヒー二杯半分を節約したらよい」とのことですが、これで一体われわれは何杯分のコーヒーを節約させられたでしょうか。
 政府や米価審議会の方々は、一日に何杯もコーヒーを召し上がっているのでしょうが、われわれ庶民というものは、一日に一回喫茶店でコーヒーを飲むというのが精一杯というところですから、こう何年も続けて節約させられれば一体月に何回コーヒーが飲めるのでしょうか。
 そのささやかな楽しみさえも奪ってシャーシャーとしているお歴々の無神経さには腹が立つより呆れてしまいます。
 そもそも、われわれ庶民がコーヒーを喫茶店で飲むということは、無駄な飲み物をただ飲むというのとは大分意味が違うと思います。
 まず、わが国で喫茶店という業態が異常発達した背景は、住宅やオフィスを含めた住全体の貧しさからきているものです。
 政府や米価審議会の委員の方達は御住居も立派で、オフィスにも個室をお持ちでしょうが、庶民というものは、家に帰ればよくて3DKの団地住まい、会社では窮屈なオフィス以外にせいぜい息抜きをするのは、ビルの屋上か喫茶店ぐらいのものなのです。
 ですから、その喫茶店で飲むコーヒー代を節約するというのは、ごくささやかな憩いの時間とスペースを購うことを止めろということと同じことでしょう。
 そんな楽しみさえも庶民に与えることのできない為政者は、無能という以外表現の仕様がないと思います。
 どうもわが国の官僚や政治家や学識経験者の方達は、即物主義でいらっしゃるらしくて、形のある物を食べるということに御熱心で、庶民が「文化であるとか、ゆとりであるとか、教養であるとか」形のないものを食べるということには無関心なようですが、それでは「文化国家ニッポン」の看板が泣いてしまうでしょう。
 そんな話を、私は日本経済新聞社のN記者に話したところ、喫茶店の業者で貴方のように「コーヒー一杯の価値」をとらえている人は他にいないでしょう、といわれましたが、確かに業者には見当たらないかもしれません。
 しかし、業者には自覚がなくても、喫茶店を利用する庶民には動機があり、その動機によって喫茶店の営業が成り立っているという歴然たる事実があるのです。
 その動機こそ、ささやかなる安息を、自分達が購うことのできる範囲のお金で得たいという強い欲求なのです。
 こういうことは、コーヒー代ばかりではありません。かつてはタバコ代が比喩に使われたこともあります。また、パチンコ代だってそういえるでしょう。
 このようなささやかな庶民の楽しみを無駄ということで片付けようとするならば、腹の足しにもならない「モナ・リザ」なんかも公衆浴場のタキギにすべきでしょうし、海洋博なんかも無駄の筆頭、また、国民休暇村なんかもやめて養豚場にでもすればよいということになります。
 とにかく、米価をあげるならあげるでもう少し理論的につじつまの合う理由を国民に提示して説明すべきで、いいかげんに「コーヒー二杯半分の値上げ」などといいのがれをしようとするからおかしなことになってくるのです。
 とにかく、政治家の口からスラリと、たかがコーヒー代などという言葉が出るのではなくて、コーヒー一杯にすぎないことでも十分の配慮がなされるような世の中になってもらいたいものですね。