「(株)日本珈琲販売共同機構 機関誌 アーカイブ」カテゴリーアーカイブ

1971年設立 (株)日本珈琲販売共同機構 設立者 山内豊之が執筆した機関誌のアーカイブです。

コーヒー豆の値上がりは品質改善のキッカケ?-劣等品相場の日本市場-


1972年11月1日コーヒー党の機関紙「珈琲共和国」より
kyowakoku1972-11
 前月号で、コーヒーの輸出入取引にはコーヒー協定というものがあり、わが国はその協定の中で新市場指定という優遇措置を受けていることを述べた。そしてその恩恵も最近のわが国を取囲む国際状勢やコーヒー協定の自体の不条理から、来年10月には完全に失われることが必至になったことも述べた。また、これに関連してわが国のコーヒー豆輸入価格が大幅に値上がりしつつあることも述べた。
 さて、正直な話コーヒー豆の値段が上がろうがどうしようが、我々のコーヒー代さえ上がらなければ良いわけであるが、どうもこれを値上げの材料にしようという動きが、既にコーヒー豆卸価格の値上げが行われた北九州市の喫茶店あたりにはあるようである。
 喫茶店のコーヒー代というものは、その材料原価の占める割合が、味を売物の店で18パーセント、インテリアやサービスを売物の店では6パーセントなどというのもある位だから、コーヒー豆の卸値が上がったからって大して影響はない。
だから、コーヒー豆卸価格の値上げを理由にする値上げは単なる口実である。つまり何もコーヒー豆が上がらなくたって、公共料金が上がったとか人件費が高くなったとか、角さんの日本列島改造論のおかげで地価が高騰し家賃が上がったとか色々な理由で値上げの必要があるわけなのである。
 だから、コーヒー豆輸入価格の値上がりによって本当の影響を受けるのは、我らコーヒー党が家庭で飲むコーヒーなのである。
 話は新市場の問題にもどるが、この恩典によってわが国ではすべてのコーヒー豆を安い価格で輸入できたのかというと、そうではない。コーヒー協定ができた当時は世界的にコーヒーの生産が過剰であり、ブラジルなどはコーヒー相場の暴落でその国家経済に手痛い被害を被ったりした。だから、生産国側としても何とかコーヒーを消費してもらわねば困るし、そういった建前から生まれたコーヒー協定であり新市場制度であったのである。ところが最近では、過去の苦い経験に懲りたブラジルの脱コーヒー化政策の推進や、それに加えての霜害によって生産量が大幅に減少しており、世界的に見てコーヒー市場は、その主導権が消費国から生産国へ移りつつあるのである。従って、良質の値段の高いものなら何もワザワザ日本へ安い価格で売らなくてもヨーロッパ等伝統的市場国へ売れるわけで、よほどの劣等品でない限り我々へ新市場制度適用の低価格では売らないわけである。つまりこの恩典に浴していたのは劣等品ばかりであり、わが国のコーヒー輸入価格が安かったのは、劣等品を安く輸入しそれを良質のものに混入していたからなのである。
 世界的に舌がウルサイと自他共に認めてきた日本人が、コーヒーは日本のものが一番うまいとウヌボレていた日本人が、実が劣等品のコーヒーをタップリと飲まされてトクトクと能書を語っていたとは全くサマにならない話なのである。
 だから、値上げといっても実の話は品質相応の値段になるというだけの話であって、劣等品のコーヒーを混入することによって原価を安くし暴利を得ていた焙煎業者のウマミがなくなるだけの話なのである。
 今回のコーヒー協定をめぐる問題は、見方によってはわが国のコーヒー豆輸入価格における良質品と劣等品の格差をなくし、その結果としてわが国の市場に良質のコーヒー豆がどんどん輸入されて、我らコーヒー党にとっては朗報のキッカケとなるかも知れないのである。そのためには、我々は今後の焙煎業者の動きを二度と惑わされぬよう注意深く見守る必要があろう。


コーヒーの味より演出が売り物!! ―ブームを呼ぶコーヒー専門店―


1972年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年12月
 最近、コーヒー専門店と称する喫茶店が目立って増えている。日珈販の本部へも、毎日コーヒー専門店を新しく始めたいという方とか、コーヒー専門店に転業したいとかいう方の相談の電話や来訪がある。この調子だと今後もますますコーヒー専門店という店が増えていくであろう。
 我々コーヒー党にとって、コーヒー専門店が増えること自体は歓迎すべきであるが、日珈販に相談にこられる方たちのお話を伺ったり、コーヒー専門店と称する店の実体を見たりしていると、果たして歓迎すべきものかと考え込まざるを得ない。
 結論を言えば、コーヒー専門店と現在もてはやされている店の実体が、コーヒー専門店ではないからなのである。つまり、専門店なら専門店として、専門のノウハウを持たなければならないのに、それを持ち合わせている店は皆無に近いと思う。
 たとえば、コーヒー豆の品質に関していえば、一口飲めばアフリカ産のロブスター種という劣等品が多量に混入されているのがわかるもの。生豆の段階で腐りかけているために焙煎後も腐敗臭が鼻をつくもの、豆の芯まで火が通らず生の大豆のような味のするもの、豆の古いもの、あるいは今どき手焙き等やっている業者なんか一軒もないのに焙煎業者の口車にのせられて手焙きだと宣伝(飲めば熱風焙煎とすぐわかる)するもの等、業者の言いなりで品質管理の能力に欠けるものが大半である。
 またコーヒーの調理についていえば、ペーパーフィルターやサイホンで抽出されたコーヒーは、変化がネル布のドリップ法で抽出されたものより非常に早いという初歩的な常識すら無視して、ペーパーを使った自動抽出機で抽出したコーヒーをその保温プレートの上に放置したり、サイホンでまとめて抽出したものを、アルコールランプであぶりっ放しにしたりして平気である。これらのコーヒーは抽出後5分以内に提供すべきであること位、コーヒー専門店の看板をかかげる以上、絶対に知ってもらいたいと思う。筆者があるコーヒーの美味しいことで高名なコーヒー専門店でコーヒーを注文したところ、目の前で自動抽出機で抽出したコーヒーをアルミの鍋で沸かし直して提供されたことがある。このときなど同業者としてまさに顔から火の出る思いであった。また余談ではあるが、コーヒー専門店と称する店の中で、サイホンコーヒーを売り物にする店が非常に多い。ところが、これらの店の方たちが本当にサイホンというものを知っているのだろうかと思う場合が多い。
たとえばサイホンで淹れたコーヒーが濁るのは何故か、とか、サイホンには生豆のときに配合して煎り上げたコーヒーの方が味が安定するのは何故か、とかいうことに専門的に答えられるのだろうか。ヒドイ店になるとフラスコに水を注いでいるが、これなんかはサイホンの湯が上昇するのは、フラスコに密閉された空気の圧力が上昇して湯を押し上げるのだというサイホンの原理すら知らないということである。
 以上のように考えてみると、コーヒー専門店と称する店の本質がコーヒー専門店でなく、タダの喫茶店にすぎないということがわかってくるのだが、それでは最近のコーヒー専門店のハヤリ方はいったい何に起因するのだろうか。
 それは一口に言って、コーヒー専門店の持つムードが客にうけているのである。
いかにもコーヒー屋らしいという色彩やインテリアが現代人の好みに合ったということなのである。コーヒーが美味いからそこに行くのではなく、ムードに惹かれて店に行き、専門店のコーヒーだから美味いと錯覚するだけのことなのである。それが現在のコーヒー専門店ブームの本質である。

コーヒー野郎のコーヒー党宣言  本物のコーヒー飲みになろう!!


1973年1月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1973年1月
 あけましておめでとうございます。
 昨年中は御愛読をいただきましてありがとうございました。今年も引続きよろしくお願い申上げます。
 さて本号からこの欄はコーヒー野郎のコーヒー党宣言とタイトルを変え、私山内豊之が歯に衣を着せないでズバリズバリと書かせていただくことになりましたが、口を開けば角が立ち、人の嫌がることをズケズケ言わぬと気の済まぬ私のことゆえ、イチイチひっかかる論法も多いかと存じますが、その節はドシドシ編集部なり日珈販の本部なりに御意見をお寄せいただきたいと存じます。紙面の許す限り本誌に掲載し、チョウチョウハッシと大いに論議を戦わせたいと思っています。特に、焙煎業者やコーヒー専門店を経営なさっていらっしゃる方の御意見を歓迎いたします。
☆ ☆ ☆ ☆
昨年12月6日付の日経流通新聞に興味深い記事が載っていました。芦田典介さん(トラベル・システムズ・インターナショナル)のレポートです。
 コーヒー天国のアメリカで若者達のコーヒーの飲用が減り、ソフトドリンクにとって代わられようとしているということなんです。
 その原因はまったくコーヒーそのものにあるのではなくパーコレーターとインスタントコーヒーの普及にあるのだそうです。前者には美味しいコーヒーを淹れる能力が全くないし、後者は本物の味にはほど遠い代物だということで、アメリカ人達はコーヒーの本当の美味しさを忘れてしまったということです。その結果ソフトドリンクの方へ移ってしまいつつあるのだということです。慌てたコーヒー会社では、学校やさまざまの集会に指導員を派遣して正しいコーヒーの淹れ方を教えたり、正しいコーヒーの淹れ方をしているレストランなどにゴールデンカップの表彰を行ったりして、美味しいコーヒーのイメージを取戻すのに懸命だそうです。
 最近日本のコーヒー専門店も、サイホンでコーヒーを淹れたり、インテリアや食器に粋を凝らしたりして客を誘引しているようですが、そんなことばかりに気をとられてカンジンのコーヒーの味をおろそかにしていると、アメリカのようにコーヒーが生活に定着している国でさえも前述の如きありさまですから、日本なんかすぐにコーヒーを飽きられてしまいます。しかし、考え方によれば、演出ばかりでコーヒー専門店のイメージを売込んで商売しているような店は、我々のようにコーヒーと心中しようとまで思い込んでいる珈琲野郎と違ってコーヒーが飽きられれば別の業種へ転向すればいいのですから気が楽です。そんな人達から見れば我々のようにコーヒーにムキになっている連中は馬鹿にみえるかも知れませんが、我々コーヒー党にとっては珈琲馬鹿野郎大いに結構といいたいところです。
 先日銀座で今評判のコーヒー専門店でコーヒーを飲みましたところが、色付カップの底が見えるくらい薄いのには驚きました。砂糖とクリームを入れると、まるで駅売りのコーヒー牛乳の薄いのみたいになってしまって閉口しました。コーヒー豆は売っていませんでしたが、恐らく豆で勝負する自信がないのでしょう。
 私は本当のコーヒー専門店の使命は、美味しいコーヒーと品質の良いコーヒー豆を提供することにあるのではないかと思います。
 皆さんも演出は演出として楽しむとしても、本物の味は目先にとらわれることなくジックリと自分の舌で味わってください。それが本物のコーヒー飲みというものです。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒーは粋に飲もう


1973年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
コーヒー値上げの波紋
珈琲共和国1973年2月
 毎度のように申し上げておりました国際コーヒー協定の新市場問題が、いよいよ大詰を迎えて来たようで、そのまえぶれとしてコーヒー豆の卸売価格の値上げが行われようとしています。
 まさに我々コーヒー党にとっては日珈販ニュースの見出しの如くお寒い春としかいいようがありません。
 新市場問題の方は国際コーヒー協定を審議する理事会そのものが空中分解しそうで、新市場の適用除外そのものはまぬかれたとしても、国際コーヒー協定そのものが効力を失いそうなので、新市場もヘチマもなくなってしまいそうです。
 そうなると現実的に国際相場へ移行してしまうので日珈販ニュースに書いてあるように輸入価格が大幅に上がり、結果的には我々の口に入るコーヒーも上がるということになります。
 これがほかの物でしたら高いものは買わないとボイコットするわけですが、コーヒーがなければ夜も日も明けぬ我々コーヒー党にとっては、口惜しく涙にくれながらもインフレムードでとくに軽くなりがちの財布をはたいてコーヒー代を払う結果となってしまうわけです。
個性をなくす共同焙煎
 さて、これからのコーヒー業界ですが値上げのほかに品質の方でもあまり良いニュースがなさそうです。
 一昨年から昨年にかけて東京アライドコーヒーロースターズやユニカフェというコーヒーの共同焙煎工場が誕生しました。この共同焙煎工場の目的は協業化による企業の合理化ということですから、その主旨そのものには反対できません。しかし、聞くところによると大半の焙煎業者がそれに加入しており、小さな業者は自家焙煎を中止すると聞いております。そうなると、今まで小さな焙煎業者が小さな焙煎機で各自煎っていたものが、大きな焙煎機で一ぺんに煎るものですからどこの豆も同じ味になり個性がなくなります。各自配合は変えるでしょうが、煎り方が同じですから似たような味にしかならないようです。
 つまり各焙煎屋さんの個性が失われてしまうわけです。これは、我々コーヒー党にとっては悲しいことです。
 それにもう一つ気に喰わないことは、そこで使われている焙煎機の種類です。大阪にあるユニオンロースターズを除いてはみんなゴットホット社の大型焙煎機を使っています。これは灯油を燃料として6分間で250キロもの豆を煎り上げる性能を持った高性能の焙煎機です。
 私にはその高性能が気に入りません。高性能であるということは、一度に多量の熱風を焙煎機に送り込み早く乾燥させるから早く煎り上がるのです。
 焙煎業者の側からいえば早く煎り上がるということは好ましいことかも知れませんが、我々コーヒー党から見ると熱風を大量に送り込むということはそれだけ成分(アロマ)を飛ばしてしまうわけですから、みんなカラカラのコーヒーになってしまいます。
 コーヒーなんてものは少々煙臭くたってアロマの充分残っているものの方が美味しいにきまっています。コーヒーらしいムードもあります。それがどうやらこの調子でいくと日本中がカラカラコーヒーを飲まされる結果となります。
 アート、木村、UCC等はみんなこの高速焙煎機を採用していますから、コーヒーがカラカラしています。
珈琲野郎の粋な飲み方
 そんな中で手造りの味を作り続けていこうとすると、なみの苦労ではありません。まごころブレンドの加工先キャラバンコーヒーの社長の永田さんに言わせると、ガス代の値上がりは一番こたえるそうです。
 しかし、キャラバンコーヒーとしては、品質が売り物だそうですから、どんなことがあっても手を抜くようなことはしないそうで、これだけはチョッピリうれしいニュースですね。
 珈琲野郎としては、美味しいコーヒーをだれでも気軽にガブガブと飲めるような社会であってほしいと思うわけですが、食品の不足は世界的な問題で、チリーなどではコーヒーも配給制になったということですから悲観的です。
 だけど考えてみれば飲物なんていうものは、余計なことを考えないで気軽に飲めばいいわけです。
 同じようにコーヒー代を使うのなら、美味しい思いをしたらいいにきまっています。日本人は少し能書きが多すぎますね。
 理屈をつけずに飲む、それが粋というものでしょうなどと言っている本人が一番不粋なようですね。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒー党には知る権利がある


1973年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1973年3月

 私がコーヒー党宣言を書きはじめたのが、昨年の四月号でしたからこの号で一年間書き続けたことになります。
 この間に世界的にはベトナムの和平や日本には二度にわたる円に切上げなど、またコーヒー業界ではコーヒーの輸入価格の高騰や共同焙煎工場などの協業化、コーヒー売価の値上げなど話題の多い一年でした。
 そういった動きの中で、私はコーヒー党の立場に立って、コーヒー党として当然知るべき権利を行使しようとすればするほど、コーヒー業界の秘密主義の壁の厚さに驚かされてしまいます。
 私が何か書こうとすると永年取引を重ねてきた相手であっても、まるで貝になったように口を閉じてしまいます。また少しでも彼等コーヒー卸業者達に不利なことでも書こうものなら、その情報を誰が漏らしたかなどという次元の低い詮索ばかりして、自分の誤りを正そうという反省の気配は全くありません。
 まるで沖縄返還交渉における外務省の機密漏洩事件で、政府が国民に嘘をついていたかどうかという点はいつのまにかウヤムヤにしてしまって、西山記者と蓮見事務官に情交があったとかないとかいう話だけがクローズアップされているのと同じことです。
 まして、コーヒー業界における秘密などというものは全く秘密にしておく根拠なんてありません。
 公害企業が害毒を平気でたれ流しておいて、その真偽を確かめようとすると、企業の秘密を楯に調査に応じないのと同様、全く理不尽なことなのです。
 企業の秘密というものは例えばコーヒーの配合の割合とか、焙煎温度の調整の仕方など企業一つ一つが持っている秘密であって、ゴットホットの焙煎機の一般的性能などというのは(カタログ的知識)秘密でもなんでもありません。まして自分の会社の実力をPRしようとするときは、こんなに高性能な設備があるとマスコミなどに発表しておきながら、その欠点を指摘されると企業の秘密を暴露したと怒るのは筋違いです。
 日本の場合はまだ消費者運動が徹底していませんから、コーヒー豆など素人にはよく判らないような商品は適当にゴマカシテ売ることができるでしょうが、アメリカあたりでは間違った宣伝をしたり、宣伝の一部に消費者をあざむくような部分があった場合は、その宣伝に要した費用の三分の一の費用をかけて訂正広告を行うことが義務づけられていてその判定の基準も非常に厳しいそうです。
 広告においてもその位ですから、もし対面販売や品質表示において消費者を偽るような説明を行ったとしたら、その企業は徹底的な糾断を覚悟しなければならないそうです。
 日本のコーヒー業界も、もうこの辺でキワモノ商売から足を洗って、正々堂々と胸を張るような商売をしないと外資系や新興勢力にまたたく間に制圧されてしまいます。自動車のホンダが明治屋と組んでACTコーヒーというレギュラー缶を売り出しましたが、このように従来の業者よりも、資力・企画力に秀れた業者が次々と進出してくることになると、仲間うちでヒソヒソやっているところは、そのうちダメになってしまうでしょう。
 また業務用コーヒーのお得意先だって、今まではいわば水商売のマネージャーマスターの相手だったわけですが、これからは一流企業も飲食業に進出していますから、中途半端な説明なんか通らなくなります。
 私は、私が喫茶店の支配人だった頃、取引先の大手コーヒー会社の課長で現在印刷屋さんとして私のところへ出入りしている田村三郎君とよく話すのですが、「かつて取引のあったコーヒー屋さん達が、さんざんダマシテくれたお陰で私もコーヒー業界に詳しくなった。だから、かつての取引先は私の先生だと感謝しなければいけないのだ」と。
 その度に彼は苦笑いしています。
 だまされるのは、やはりそれだけ本人が不勉強だからです。少なくともプロである以上ダマサレルこと自体恥ずかしいことです。
 もっとも現在の取引先だって結構人をだましてきましたから、もうだまされないつもりでも、もしかしたらやられているかもしれませんが私も大いに勉強して絶対ダマサレないようにしたいと思っています。
 今年の四月で私が喫茶業に足を踏み入れて満十年になります。またコーヒー党宣言も二年目に入りますので来月号以後も一層頑張ってコーヒー党の知る権利を行使すべく書き続けていきたいと思います。