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≪序≫誤れる神話を破壊せよ


1972年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年4月号
わが国におけるコーヒーの消費状況を生豆の輸入量からみてみると40年度には18,650tであったものが、5年後の45年には81,400tと4倍以上にもなってきている。
従来、コーヒーは喫茶店で飲むものと相場が決まっており、家族で楽しむのは余程のマニアと相場が決まっていたのだが、最近では生活様式の洋風化に伴って家庭でも手軽にコーヒーが飲まれるようになってきており、それがコーヒーの消費拡大の原動力となりつつある。
 しかし、残念なことには現在家庭で飲まれるコーヒーの大半はインスタントコーヒーであり、レギュラーコーヒーの占める割合は僅か5パーセント程度にしかすぎない。味の上でこれ程歴然たる差がありながら、何故レギュラーコーヒーが、インスタントコーヒーを押さえることができないのであろうか。
 それは、コーヒーのいれ方には難しいコツがあるとか、サイホンのように面倒な器具を使わなければ、おいしいコーヒーをいれられないという誤った神話を私たちが信じこんでいるからである。
 コーヒーは、単なる農産物である。コーヒーをいれるということは、コーヒーの成分を湯に溶かすだけの単純な作業にしか過ぎないのである。
 私たちは、次号よりその誤れる神話の一つ一つを科学的な根拠に基づきながら打破してゆきたい。
 そして、コーヒーを神格化することによって暴利を得ていた珈琲業者や、知ったかぶりをしていた珈琲評論家の大先生や、それを真に受けて誤った神話をまき散らしたマスコミたちにそのような時代の去ったことを知らしめたいと思うのである。




珈琲の味は産地では決まらない!! コーヒーの味は焙煎によって形成される 


1972年6月15日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年6月号
 ごく最近まで、コーヒー豆を買いたいと思えばデパートの食品売場まで足を伸ばすか、輸入食品の専門店でも探し出さなければならなかったが、このごろでは近所のお茶屋さんの店先や珈琲専門店と称する喫茶店の店頭あたりでも手軽に売られるようになってきている。
 このこと自体はコーヒーの普及という点において我々にとりたいへん喜ばしいことなのではあるが、そのあり方について多少気になる点がないわけでもない。
 そのひとつは、店頭に陳列されたブレンドコーヒーの配合が、ブラジル○%・モカ△%といった具合に産地別に書かれて、それがコーヒーの品質評価の絶対的な資料であるかの如く取り扱われていることであり、もうひとつは、ストレートコーヒーが産地別の分類に基づいて説明されていることであり、さらにその無責任さに怒りさえ覚えるのは、店頭にさも親切そうに張り出された「お好みにより配合いたします」という言葉なのである。
 コーヒーというものは通常産地別に分類され呼称されているが、元来の種類としてはアラビカ・リベリカ・ロブスターの3種である。このうちリベリカ種は絶無に近く、少なくとも日本で市販されているものはアラビカとロブスターの2種である。それにロブスター種はその栽培も東南アジア・アフリカの一部に限られ、その劣悪にして強烈な個性から一括して取り扱われている。したがって我々がモカだのコロンビアだのブラジルだのと騒ぎたてているものはすべて ア ラ ビ カ 種で、モトは同じである。
 コーヒーが産地によって味が変わるのは、気候・風土及び土地の肥沃さの違い等によるものであり、品種が違うわけではない。だから、同じコロンビア産でも高地産と低地産では全く味が違うし、コロンビア産・メキシコ産と産出地が違っても栽培条件が似かよっているものはほとんど同一の味がするわけである。さらに最近では品種改良(改悪?)や栽培法が進歩し、果実の精製法も改善されつつあるので、味の良否は別として、嗜好品としての特性は失われ、均一化しつつあるのが現状である。
  日本の珈琲愛飲家は、自己の愛好するコーヒーの選定に関して産地別の分類やそれに基づいた配合にこだわるようであるが、それはコーヒー業界の現状を知らないコーヒー通たちが、商社や生豆卸業者や焙煎業者の思惑にのって、30年も40年も前の情報をまき散らしているのに踊らされているわけなのである。
 コーヒー豆が味を形成するにあたっては、生豆の品質に左右されることはいうまでもないが、最も大きく影響を与えるのは焙煎なのである。我が国ではコーヒーの焙煎ということが全く重視されておらず、ひどいコーヒー飲みになると、生豆の存在すら知らずにコーヒーの味を論じているありさまである。
 そもそもコーヒーの生豆には、あの香ばしいカオリも快い苦味も全然存在しないのであって、生豆を焙煎加熱することによって初めてあの味が形成されるのである。つまり、生豆中に含まれた脂肪分が高温で変化し、芳香物質カフェオールとなり、糖分は炭化してキャラメル化し、適当な苦味と甘みを形成するのである。だから、産地別にコーヒーを分類して配合しても、産地別にストレートコーヒーを飲み分けても、自分の好みに合わせて産地別の配合を試みても、それは全く無意味であり、自分の好む味なんかとうてい望みようがないのである。
 要するに、珈琲は飲んでおいしければおいしいのであって、いくら頭で飲んでも、舌でなければ味はわからないということなのである。


コーヒーサイホンは味を害する  ドリップこそ最善の抽出方法である


1972年7月15日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年7月
  最近珈琲専門店と称する喫茶店が目立って多くなってきた。その大方はカウンターの上にサイフォンを並べ、メニューにストレートコーヒーを何種類か加え、それで事足れリとしているようである。
 一方専門的な立場からみると、ストレートコーヒーと称して産地別のコーヒーを並べることは、前回で述べたごとく専門的な事柄として取り上げるほどの意味を持たないし、サイフォンというコーヒー器具自体、一応見てくれは美味しいコーヒーが淹れられそうに見えるけれども真実はその逆なのである。
 コーヒーの美味しさの秘密は何かということについては色々研究がなされているようであるが、実際のところこれが決定的な真実だという結果は得られてはいない。しかし、コーヒーに含まれたカフェインが心身を爽やかにし、カフェオールという物質が香りや味を形成し、カラメル質や少量のタンニンがその味を更にひき立てているというのが定説となりつつある。その中で特に大事なのがカフェオールとカラメルが充分含まれるということであり、タンニン含有は少量にとどめることである。
 カフェオール・カラメル及びタンニンは共に高温でよく溶けるが、カフェオール・カラメルは短時間中にほとんど溶出する。それに対しタンニンは、長時間に渡って抽出される。そのような訳で、コーヒーを淹れる、即ちコーヒー末より湯を用いてコーヒーの成分を取り出す場合は、高温な湯を短時間にコーヒー末に接触させることが必須条件であって、長時間に渡って煮るということなどはもってのほかである。ところが、サイフォンという器具はフラスコの中の湯が、フラスコ中の空気の膨張によって圧力がかかり、押し上げられるので、湯が低温であってもロートに上昇してしまうことが多い。
そのため、一番大切なときに好ましくない温度で湯と末が接触してしまうのである。この結果、カフェオール・カラメルの溶出は押さえられてしまう。その上、ロートのお湯は下からの射熱によってその後どんどん上昇し、カフェオールやカラメルの溶出に適する温度になるのだが、そのときは同時にタンニンの溶出もタップリなされてしまう訳なのである。故にサイフォンのコーヒーは見た目も不透明で、上質の赤ブドー酒の色をもって最上というコーヒー本来の色にはほど遠く、味もタンニンが多いために渋みが強くて多量に飲むと吐き気をもよおすのである。
 それに反して、ドリップ法は、湯とコーヒー末の接触温度や時間を手軽にコントロールすることができるので、常に理想的なコーヒーが得られるのである。
 珈琲専門店の本来の機能は、上質の珈琲豆や正しい知識を提供するものであって、決して見てくれやハッタリで客を引くためのものではないのである。すなわち、今、巷間に続々生まれつつある珈琲専門店と称する喫茶店は、純喫茶・音楽喫茶・ヌード喫茶など新手の喫茶店のひとつであって、珈琲専門店とは縁もユカリもないものなのである。


コーヒーの味より演出が売り物!! ―ブームを呼ぶコーヒー専門店―


1972年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年12月
 最近、コーヒー専門店と称する喫茶店が目立って増えている。日珈販の本部へも、毎日コーヒー専門店を新しく始めたいという方とか、コーヒー専門店に転業したいとかいう方の相談の電話や来訪がある。この調子だと今後もますますコーヒー専門店という店が増えていくであろう。
 我々コーヒー党にとって、コーヒー専門店が増えること自体は歓迎すべきであるが、日珈販に相談にこられる方たちのお話を伺ったり、コーヒー専門店と称する店の実体を見たりしていると、果たして歓迎すべきものかと考え込まざるを得ない。
 結論を言えば、コーヒー専門店と現在もてはやされている店の実体が、コーヒー専門店ではないからなのである。つまり、専門店なら専門店として、専門のノウハウを持たなければならないのに、それを持ち合わせている店は皆無に近いと思う。
 たとえば、コーヒー豆の品質に関していえば、一口飲めばアフリカ産のロブスター種という劣等品が多量に混入されているのがわかるもの。生豆の段階で腐りかけているために焙煎後も腐敗臭が鼻をつくもの、豆の芯まで火が通らず生の大豆のような味のするもの、豆の古いもの、あるいは今どき手焙き等やっている業者なんか一軒もないのに焙煎業者の口車にのせられて手焙きだと宣伝(飲めば熱風焙煎とすぐわかる)するもの等、業者の言いなりで品質管理の能力に欠けるものが大半である。
 またコーヒーの調理についていえば、ペーパーフィルターやサイホンで抽出されたコーヒーは、変化がネル布のドリップ法で抽出されたものより非常に早いという初歩的な常識すら無視して、ペーパーを使った自動抽出機で抽出したコーヒーをその保温プレートの上に放置したり、サイホンでまとめて抽出したものを、アルコールランプであぶりっ放しにしたりして平気である。これらのコーヒーは抽出後5分以内に提供すべきであること位、コーヒー専門店の看板をかかげる以上、絶対に知ってもらいたいと思う。筆者があるコーヒーの美味しいことで高名なコーヒー専門店でコーヒーを注文したところ、目の前で自動抽出機で抽出したコーヒーをアルミの鍋で沸かし直して提供されたことがある。このときなど同業者としてまさに顔から火の出る思いであった。また余談ではあるが、コーヒー専門店と称する店の中で、サイホンコーヒーを売り物にする店が非常に多い。ところが、これらの店の方たちが本当にサイホンというものを知っているのだろうかと思う場合が多い。
たとえばサイホンで淹れたコーヒーが濁るのは何故か、とか、サイホンには生豆のときに配合して煎り上げたコーヒーの方が味が安定するのは何故か、とかいうことに専門的に答えられるのだろうか。ヒドイ店になるとフラスコに水を注いでいるが、これなんかはサイホンの湯が上昇するのは、フラスコに密閉された空気の圧力が上昇して湯を押し上げるのだというサイホンの原理すら知らないということである。
 以上のように考えてみると、コーヒー専門店と称する店の本質がコーヒー専門店でなく、タダの喫茶店にすぎないということがわかってくるのだが、それでは最近のコーヒー専門店のハヤリ方はいったい何に起因するのだろうか。
 それは一口に言って、コーヒー専門店の持つムードが客にうけているのである。
いかにもコーヒー屋らしいという色彩やインテリアが現代人の好みに合ったということなのである。コーヒーが美味いからそこに行くのではなく、ムードに惹かれて店に行き、専門店のコーヒーだから美味いと錯覚するだけのことなのである。それが現在のコーヒー専門店ブームの本質である。