珈琲屋風雲録-前口上-


1975年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年6月
珈琲共和国1975年6月

 昨年、私は「実録珈琲店経営」という本を出版しました。
 ご承知の通りこの本は、私が阿佐谷に小さな喫茶店(現ぽえむ阿佐谷西店)を出店してから、現在のぽえむチェーンが成立するまでの過程を書いたものでした。いわば市井の平凡な一般の男が、ささやかな成功を得るまでどのような体験をしたかということで、どちらかといえば自然の成り行きをそのまま述べたという本であったわけです。
日珈販誕生
その役割り
 さて、私は今から3年半ほど前、阿佐谷西店・阿佐谷東店・下高井戸店・永福町店の4点を出発点として、資本金50万円の会社を作りコーヒー専門店の本格的なフランチャイズチェーンの創造に着手しました。
 この会社が㈱日本珈琲販売共同機構(略称・日珈販)で、現在30店舗の加盟店を有し、社団法人日本フランチャイズチェーン正会員としては、わが国コーヒー業界でただ一社の存在ではあるのですが、何しろ資金のないものが始めたものですから、売上高などもまだまだ年商5億円程度と、100億円のフードサービスチェーンが続々と生まれつつある今日では小さな会社でしかありません。
 しかし、日珈販の業界に果たす役割は、企業の大小にかかわりなく重要な位置を占めています。
 大変重要であるからこそ私の個人的な企業で負担した金額をこめて、優に3千万円を超える赤字を出しながらもこの企業を育ててきたし、また育てる情熱を持ち続けることができたのですが、それに比してなぜ重要なのかが業界やその関連業界にはわかっていないような気がします。
 私がぽえむという一珈琲屋を創った場合では、かなり自然発生的に成り行きまかせで、その時々の流れにのせてきたという面がありますが、この日珈販という会社創りにあたっては、最初から日珈販という会社の在るべき在り方を予測し、また追及し、その設計図に基づいて業務を行ってきたという本質的な違いがあったのです。
事実を書けば
波乱が起きる
 そこで、私は昨年「実録珈琲店経営」を書きおえたときから、本当に皆さんに読んでもらいたいのは、この続きなのだという気持が強く働いてきました。
 すぐに筆を取りたいとも思ったのですが、いろいろ事情もあってなかなか筆を起こすにいたりませんでした。
 なぜならば、私の書くことはすべて事実や現実に基づいていますから、こうして現在商売をしている私どもに全く影響がないとはいえません。否、まともにかかわりあってくる問題ばかりだからです。
 まず第一に、日珈販・ぽえむを信頼してぽえむチェーンに加盟した加盟店の皆さん方の商売が、日珈販本部が業界から圧迫されることによって結果的に阻害される恐れがあること。
 第二に、日珈販に商品を供給している業者に圧力がかかる事。
 第三に、日珈販のスタッフが業界からシャットアウトされるために業務に障害が発生したりする恐れがあったこと。
 第四に、ただでさえも苦しかった日珈販の資金繰りを圧迫されるような事態が発生するような危険性があったことなどです。
 しかし、最近では少々情勢も変化し、飲食業界のコーヒー需要が落ち込み、家庭用の消費が伸びるなど、業界の志向が転換しつつあることや、味の素ゼネラルフーズやサントリーの業界参入などの動きもあって、今までのような業界を特殊部落化し、業界内だけのルールで商売をしていくというやり方が、もう長続きしないことがハッキリしてきたため、私どもアウトサイダーに対する締付けが弱まってきました。
有能なスタッフ
威力を発揮
また、日珈販自体も本年度に予想される本部年商は2億5千万円と、その業績を伸ばしてきており、数年後には東京地区における焙煎業者の中堅と肩を並べることができると思います。
この内容も、他の焙煎業者と違って、売り渡し先は加盟店と決まっておりますので、商品数は少なく、売り上げ代金の回収も確実なので、効率的な経営ができるものですから、急速成長をしてもガタがくるようなことは全くありません。
そもそも日珈販の赤字経営の原因は、有能な人材確保のための人件費負担にあったのですから、今日ペイラインに達してくると、ますますその威力を発揮します。
今後は本部の商品取り扱い高の増加に従って、さらにスケールメリットを追及できるようになると思いますので、かねてからの懸案であった資金難も次第に解消して、いっそうスケールメリットを生かす商品取り扱いもできるでしょうから、本部の力も増大するばかりだと思います。
そんなわけで、少々の圧力には屈しないだけの力が日珈販についてきたのですが、そうなってくると私の書きたい欲望が押さえきれなくなってきました。
とはいうものの、私の周辺にはいろいろ書かれては商売にさしつかえる方も多いので、全く生の形で書くことはできません。
そこで「珈琲屋風雲録」といった読み物として書いていきたいと思いますので、一つ識ある方は字の裏の裏までお読みとりいただきたいと存じます。


珈琲屋風雲録 -前口上-


1975年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

珈琲共和国1975年6月
珈琲共和国1975年6月

 昨年、私は「実録珈琲店経営」という本を出版しました。
 ご承知の通りこの本は、私が阿佐谷に小さな喫茶店(現ぽえむ阿佐谷西店)を出店してから、現在のぽえむチェーンが成立するまでの過程を書いたものでした。いわば市井の平凡な一般の男が、ささやかな成功を得るまでどのような体験をしたかということで、どちらかといえば自然の成り行きをそのまま述べたという本であったわけです。

-日珈販誕生
その役割り-

 さて、私は今から3年半ほど前、阿佐谷西店・阿佐谷東店・下高井戸店・永福町店の4点を出発点として、資本金50万円の会社を作りコーヒー専門店の本格的なフランチャイズチェーンの創造に着手しました。
 この会社が㈱日本珈琲販売共同機構(略称・日珈販)で、現在30店舗の加盟店を有し、社団法人日本フランチャイズチェーン正会員としては、わが国コーヒー業界でただ一社の存在ではあるのですが、何しろ資金のないものが始めたものですから、売上高などもまだまだ年商5億円程度と、100億円のフードサービスチェーンが続々と生まれつつある今日では小さな会社でしかありません。
 しかし、日珈販の業界に果たす役割は、企業の大小にかかわりなく重要な位置を占めています。
 大変重要であるからこそ私の個人的な企業で負担した金額をこめて、優に3千万円を超える赤字を出しながらもこの企業を育ててきたし、また育てる情熱を持ち続けることができたのですが、それに比してなぜ重要なのかが業界やその関連業界にはわかっていないような気がします。
 私がぽえむという一珈琲屋を創った場合では、かなり自然発生的に成り行きまかせで、その時々の流れにのせてきたという面がありますが、この日珈販という会社創りにあたっては、最初から日珈販という会社の在るべき在り方を予測し、また追及し、その設計図に基づいて業務を行ってきたという本質的な違いがあったのです。

-事実を書けば
波乱が起きる-

 そこで、私は昨年「実録珈琲店経営」を書きおえたときから、本当に皆さんに読んでもらいたいのは、この続きなのだという気持が強く働いてきました。
 すぐに筆を取りたいとも思ったのですが、いろいろ事情もあってなかなか筆を起こすにいたりませんでした。
 なぜならば、私の書くことはすべて事実や現実に基づいていますから、こうして現在商売をしている私どもに全く影響がないとはいえません。否、まともにかかわりあってくる問題ばかりだからです。
 まず第一に、日珈販・ぽえむを信頼してぽえむチェーンに加盟した加盟店の皆さん方の商売が、日珈販本部が業界から圧迫されることによって結果的に阻害される恐れがあること。
 第二に、日珈販に商品を供給している業者に圧力がかかる事。
 第三に、日珈販のスタッフが業界からシャットアウトされるために業務に障害が発生したりする恐れがあったこと。
 第四に、ただでさえも苦しかった日珈販の資金繰りを圧迫されるような事態が発生するような危険性があったことなどです。
 しかし、最近では少々情勢も変化し、飲食業界のコーヒー需要が落ち込み、家庭用の消費が伸びるなど、業界の志向が転換しつつあることや、味の素ゼネラルフーズやサントリーの業界参入などの動きもあって、今までのような業界を特殊部落化し、業界内だけのルールで商売をしていくというやり方が、もう長続きしないことがハッキリしてきたため、私どもアウトサイダーに対する締付けが弱まってきました。

-有能なスタッフ
威力を発揮-

 また、日珈販自体も本年度に予想される本部年商は2億5千万円と、その業績を伸ばしてきており、数年後には東京地区における焙煎業者の中堅と肩を並べることができると思います。
 この内容も、他の焙煎業者と違って、売り渡し先は加盟店と決まっておりますので、商品数は少なく、売り上げ代金の回収も確実なので、効率的な経営ができるものですから、急速成長をしてもガタがくるようなことは全くありません。
 そもそも日珈販の赤字経営の原因は、有能な人材確保のための人件費負担にあったのですから、今日ペイラインに達してくると、ますますその威力を発揮します。
 今後は本部の商品取り扱い高の増加に従って、さらにスケールメリットを追及できるようになると思いますので、かねてからの懸案であった資金難も次第に解消して、いっそうスケールメリットを生かす商品取り扱いもできるでしょうから、本部の力も増大するばかりだと思います。
 そんなわけで、少々の圧力には屈しないだけの力が日珈販についてきたのですが、そうなってくると私の書きたい欲望が押さえきれなくなってきました。
 とはいうものの、私の周辺にはいろいろ書かれては商売にさしつかえる方も多いので、全く生の形で書くことはできません。
 そこで「珈琲屋風雲録」といった読み物として書いていきたいと思いますので、一つ識ある方は字の裏の裏までお読みとりいただきたいと存じます。

東京の珈琲屋と地方の珈琲屋


1975年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1975年6月
珈琲共和国1975年6月

 先月、私は郷里の高知へ帰りました。
 朝、羽田を発ち、翌日の夕方には高知を離れるという急ぎの旅でしたから、久し振りの郷里の雰囲気を味わうわけにはいきませんでしたが、それでも高知のコーヒーの味だけはホテルの喫茶店など4、5店で楽しませてもらいました。
 高知というところは、日本でも有名な酒飲みの県で、かく申す私も上京するまでは典型的な左党であったのです。しかし、その反面、喫茶店の数は人口に比例して多く、昭和46年の通産省の統計では、人口一人当たりの一年間に喫茶店で使用するお金の額は名古屋、神戸に次いで3番目という記録が残っています。
 もっとも、喫茶店のメニューも、東京あたりの店と違ってコーヒー中心というのでなく、アイスクリームやかき氷など幅広い飲物が用意されているようです。
 私は今回2年ぶりに行ったのですが、それでも最近ではコーヒー専門店などもできているようで、私もそのような店を利用させてもらいました。
 さて、その感想なのですが、一口にいって、コーヒーの味はまったくいただけませんでしたが(まず濃過ぎて、酸が強くて、渋い、昔ながらの喫茶店のコーヒーの味),そのサービスの良さは東京の喫茶店では味わえない人情深豊かさがありました。
 マナー自体はあまり良くないのですが、それは無知や土地の習慣から来ているもので、私どもの方で誤解しない限り十分従業員の思いやりが感じられる応対でした。
 地方で私が旅をするたびに感じることは、ことコーヒーに関しては、一歩東京を離れるとガックリ格差があるということです。最近では、地方のちょっとした町へ行くと、地価や工事代の高い東京ではめったにお目にかかれないような立派な珈琲店があったりします。
 しかし、コーヒーの味ときたらその店が鳴物入りで宣伝したり、その店の経営者が自信たっぷりであったりするわりには、いい加減なものが多いので困ります。
 私は、東京にいるときはそれほどコーヒーを飲みたいとは思いませんが、東京を離れるとも猛烈にコーヒーが飲みたくなるクセがあります。そんなとき、なるべくコーヒーの美味しそうな店を探して入るのですが、大かた見かけ倒しの珈琲店で、どうしても最後まで飲みきれず、飲み残すケースが多くなります。すると、逆に余計にコーヒーが飲みたくなり、また店を探すということで、またまた失望の繰返しを味わうということが少なくないのですが、どうもこれにはたまりません。そしてコーヒーの味についていえば、東京へも聞こえているような有名な珈琲店のコーヒーほどうまくないようです。
 結局、地方へ行きますと、東京地区のようにコーヒー豆の卸売業者間の競争が激しくなく、大手業者がその地方の市場の大半を占有し、その残りを地方の業者が押さえて、事実上の独占的販売体制ができているケースが多く、そのためコーヒーの味で競合する余地が残されていなくて、インテリアだとか、単なる名声で勝負するほかにないからだと思います。
 結局、高知への旅の間で一番美味しかったのは、従兄の奥さんに淹れてもらったネスカフェのゴールドブレンドだったのですが、私はそこで改めて、なぜわが国のコーヒーの60パーセント以上もが、インスタントコーヒーで占有されているのかわかった気がしました。
 高知にも、私の従兄の子供達など東京で何年かの生活を送った人達がいて、ぽえむのコーヒーを愛飲してくれており(東京の知人に送ってもらっている)、なぜ、郷里の高知へぽえむを出さないのかと責められたのですが、そのような体験を通じて私は、なぜぽえむのコーヒーが地方でウケたのかがわかりました。
 それは、地方におけるコーヒーの販売体制があまりにも寡占化されており、客が味を選ぶ自由さがないからだと思います。そういった意味で、私はコーヒーの美味しさを伝えるチャンスを大衆に与えるという意味でも、ぽえむの地方出店を促進する必要があると、感じました。

コーヒー専門店のコーヒーは本当に美味しいのか?


1975年5月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
昔ながらの喫茶店
昔ながらの喫茶店

 最近、町にコーヒー専門店という看板がやたらと目につくようになりました。
 どの店も茶色の木やレンガや白壁を配した画一的な造作で、カウンターにはコーヒーサイホンを並べ、ブレンドコーヒーのほかに何種類かのストレートコーヒーを並べて、従業員の殆どは男子であるというのが、今様コーヒー専門店のパターンのようです。
 最初のうちは、この種の店の数も少なかったので、コーヒー専門店の看板が上がっている店なら、一応コーヒーを注文してもひどいものを飲まされる心配はないものと思っていました。 
 しかし、こうメチャクチャにコーヒー専門店がふえてしまうと、何となく安っぽい感じがして、本当にコーヒー専門店なら安心してコーヒーが飲めるのだろうかという気持ちになってしまいます。
 ところで、普通、専門店といえば、一般には広く大衆に普及した商品を販売している店で、特に商品を限定して奥行の深い品揃えをしている店で、ありふれた品物でなく、特に個性的な品物を欲しいという客に対して、そのような要求に応える店であるか、または、商品を限定することにより、安く販売する能力を持つ店であるかということになります。
 このような尺度にたってコーヒー専門店を考えてみますと、ぽえむのように原料の生豆からその加工法・商品管理・そして販売方法まで厳しく管理して、その販売をしているコーヒー豆が他店と明白に差があるような店はまずないといってよく、高品質型の専門店は実質的にはぽえむ以外に存在しないということになります。
 また、量販型の専門店にしても、メーカーが単に直売方式をとっているから、少しは安く売られているという程度で、本格的なコーヒーの量販店は存在していません。
 考えてみれば、大衆店に対しての専門店であるべきなのに、コーヒーの世界では、大衆店がなく専門店が存在し、かつ、この店で売っているコーヒー豆も、一般の喫茶店で売っているコーヒーの原料であるコーヒー豆も、全く差がないというのが現実です。
 ひと昔前ならば、コーヒーの抽出技術が違うなどといってごまかせたでしょうが、昨今のように「コーヒーの抽出法に関する神話」が崩壊しつつある現実の上にたって考えれば、このようないい加減な理由だけでは、コーヒー党をごまかせなくなってきています。
 しかも、私どもが見て許せないのは、コーヒー専門店の経営者が、安易にコーヒー代が高とれるから専門店にしようというようなことを考えているようですが、私にいわせれば、専門店はそれだけメニューを限定できるのですから、逆にコーヒー代を安くできるはずだと思うのです。
 ぽえむもそういう考えから、コーヒー代を最低200円で押さえているわけなのですが、日本で一番良質のコーヒー豆を使い、一杯ずつ手で淹れてもこの値段で売れることを立証できたことに、もう一つ意義があると考えています。
 こう考えていくと、ゴタゴタした道具立てやコーヒーカップに凝ったりして、客にコビを売り、法外なコーヒー代をとる店のコーヒーなんて、その根性からしてどんな味がするだろうという気がしてきます。

「コーヒー党宣言」休筆の弁


1975年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-4-150-240
 今から3年前、昭和47年4月号に筆を起こして以来この「コーヒー党宣言」も36回を重ねることになりましたが、一応今回を持って休筆したいと思います。
-外された期待-
 休筆の理由は色々ありますが、まず第一の理由は、同一人物が同一のテーマで同一の手法で文章を書き続けていると、どうしてもマンネリになり勝ちであるということです。
 少なくとも私がこの筆を起こしたときは、この文章を書きすすめていくと同時に、コーヒー業界も時代の流れに従って新しい展開を遂げると信じていましたし多少短兵急ながらも、私自身の精神力、気力も充実しておりました。
 しかし、この数号の間、私は新しい稿の筆をとるたびに前の稿を読み返しているのですが、この3年間、私が大きな期待を寄せたほどの変革が起こらず、私の論旨も同じ場所をグルグルと堂々めぐりしているだけだという有様なのです。
-コーヒー業界は本当に伸びているのか-
 この3年間、我が国の経済はもとより世界の経済も大きく変革を遂げたにもかかわらず、我が国のコーヒー業界という最も近代化の遅れた業界でなおかつ遅々として変革が進まない不可思議さもさることながら、私自身その能力の無さには何度思い返しても腹立たしさを禁じざるを得ません。
 結局、この3年間に私が経験した現実は、コーヒー業界諸悪の根源であると思っていた焙煎業者たちが、実はこの誰が仕組んだのかわからないコーヒー業界の泥沼の中で、ジリジリと落ち込んでいく渕の中から必死に脱出を試みてもがいてはいるものの、もがけばもがくほど渕の渦へ吸い込まれる力が大きくなることも知らず、そして死の瞬間すら予期していない愚かしい姿をみせている弱者にすぎないことを知らされたという空しさにほかならなかったということなのです。
 “コーヒー業界は伸びている。ブームを呼んでいる食品業界の中でも成長株の第一にも推せる商品だ”などという声も聞かされますが、我が国で消費されるコーヒーの60パーセントがインスタントコーヒーでありさらにその残りの40パーセントのうち大手3社と呼ばれる焙煎業者のシェアが45パーセントと見込まれると、全体の消費量のわずか20パーセントそこそこを350社もの焙煎業者が過当競争を続けているようなことでは、近代化も革新もあったものではないという気がします。
 しかも、その零細業者のほとんどが、大手業者相手に同じような販売量での競争をしているということになると、徳川幕府成立前の戦国時代をみる思いがしてなりません。
 おそらくこのままでいくと、戦国時代そのままにお互いの陣取り争いに疲れきった頃、信長が鉄砲という新しい兵器を使ってほかを制した如く、新しい経営戦略を持った企業がコーヒー業界に登場して、アッという間にコーヒー業界を制してしまうということも考えられます。
-業界の体質改善が急務-
 結局、今後のコーヒー業界は、おそらく自壊作用とそして新勢力の登場という歴史の必然性の上に立ってその運命を切り開いていくでしょうが、私は自分のエゴと、私の主宰する珈琲専門店チェーン「ぽえむ」の未来のために、クールに突き放して現実を見ていきたいと思います。
 3年間にわたった筆を休めるに当たり、私が感じることは、コーヒー業界という特殊な業界が本当に革新されるためには、一般消費者や、珈琲店の経営者や、焙煎業者の考え方を変えるだけでは駄目だということです。
 もっとコーヒーという業界全体の理念や、仕組みや、商習慣のようなものを、自発的に変えることが必要なようです。
 いいかえれば、コーヒー業界をスポイルしていたのは、「コーヒーに関する神話」でなく、コーヒーという商品の商売のされ方にあったということで、商品のされ方が変わらない限り、このコーヒーという商品のあり方は変わらないようです。
       ※
 私は、これからもう一度「珈琲店のマスター」という原点に帰って、この商品の在り方を、末端消費者の立場から追求していきたいと思います。
 永い間、本欄のご愛読ありがとうございました。
       ※
(追伸)
 やる気はまだまだ充分です。乞御期待。

コーヒーの色はコーヒーブラウンか?ワインカラーか?


1975年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-4-150-240
 日珈販で出している「コーヒーの楽しみ方10章」の第7章に「上等のコーヒーは、必ず上等の赤ブドー酒のように赤みを帯びて澄み切った透明な色をしています。珈琲ブラウンなどといって、コーヒーは褐色のように思われていますが、あれは濁ったときの色です」と書いてありますが、それについてある読者の方から、コーヒーはあくまでコーヒー色をしているからコーヒーブラウンが正しくて、赤ブドー酒の色はワインカラーであり、コーヒーがワインカラーというのはおかしい。現に、自分がいつも飲んでいるコーヒーはコーヒーブラウンであり、とても美味しいコーヒーであるというお便りを頂きました。
 そこで今回は、ひとつ、コーヒーの色について少々科学的に考えてみたいと思います。
 まず、コーヒーという飲物が、珈琲の木の果実の中にある種子を焙煎したものであることは皆さんご承知のことだと思います。
 ですから、コーヒーの色といっても、本来コーヒーが有しているという色ではなくて、種子が焦げた結果として褐色、或いはワインカラーの色がつくというのであることも明白な事実です。
 とすると、コーヒーブラウンかワインカラーかという論争の焦点は、ロースティングの度合いによって変わってくることになり、話がかみ合わなくなってしまいます。
 ただいえることは、ワインカラーにしろコハク色にしろ、不透明になってくると、白っぽく見えてみて、コーヒーブラウンと呼ばれる色に近くなってくるのは事実です。
 コーヒーの成分に関する科学的な考察を述べた本によりますと、その不透明となる原因については、次のようなことが考えられると書いてあります。
 第一は、コーヒーの種子(コーヒー豆)からコーヒーを抽出する場合、抽出方法が間違っていて、可溶性物質だけでなく不溶性物質の微粒子が液中に混入して、不溶性物質の微粒子が液中に沢山浮かんでいるために、光が反射して液全体が白っぽく見える場合。
 第二は、コーヒー液中に抽出された可溶性物質のうち、蛋白質やタンニンが酸化して不溶性物質に変わり、液中に不溶性微粒子として浮かんでおり、それが光を反射し液を白く見せている場合。
 以上二つの場合が考えられます。
 いずれにせよ、コーヒーの色の透明度が低いということは、美味しさに不要な物質が沢山含まれているということになります。
 こういうことは、コーヒー豆の粉砕の際に微粉が多量に出る場合とか(コーヒーミルが悪い)、コーヒーの粉を細かく挽きすぎた場合に第一の場合として起こり、また、コーヒーを煮沸したり、抽出時間や抽出温度が高すぎた場合に、第二の場合として起こりがちです。
 特に第二の場合は、コーヒーサイホンでコーヒーを淹れる場合に起こり易いので注意が必要です。
 とにかく、コーヒーがワインカラーか?コーヒーブラウンか?は別にして、色が濁って不透明なものは古いか、間違った取扱い法によったコーヒーであるという結論になりそうです。

商社・生豆問屋は目先の損得のみを追求するな


1975年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-3-150-240
  聞くところによると、珈琲を扱っている商社や生豆問屋のセールスマンの間では、日珈販お社長たる私は「コーヒーに関してド素人で、箸にも棒にもかからん代物」だという評判だそうです。

-良質原料豆の確保こそ-
 なぜ、そのような評判が立ったかというと、どうやら昨年日珈販で発売しているコーヒー豆の加工先を変えた際に、加工先に対して原料豆の品質を均一化することを強く要望し、その意を受けて、加工先では出入業者にその旨を要求したことが事の始まりのようです。
 加工先を変更した当初はわれわれが要求した品質の原料豆が比較的在庫が豊富で、われわれの要求を満たすことが出来たのですが、最近ではコーヒーの在庫高こそ豊富であれ、われわれが要求するような品質の原料豆はなかなか入手が困難な状態に追い込まれ、必然的に生豆問屋や商社は供給に苦慮することになりました。
 しかし、われわれ日珈販としては、顧客の要望に応えるために、いい加減な妥協は許しません。
 このように原料事情が悪い時にこそ、良質の原料を確保し、美味しいコーヒーをコーヒー党の皆様にお届けするのが日珈販の使命だと考えていますから、いくら国内の在庫や輸入事情が良質原料豆の供給を困難にしているかたといって、それを認めては、日珈販がぽえむというコーヒー専門店のチェーン店を主宰する意味がありません。
 言い替えれば、われわれコーヒー業者の御都合で、コーヒー愛飲家の方に粗悪なコーヒーを押しつけるようなことは出来ない、ということなのです。

-コーヒー党を無視するな-
 一方、商社や生豆問屋の立場にすれば、長い間滞貨となっている原料豆の山の中から、われわれが要求するコーヒー豆を選ぶなどということになると、たいへんな手間がかかるわけで、まず不可能だといいたいのでしょう。
 それなら、昨年とれた新豆の良質なものを輸入して供給してくれればよいのですが、商社などは大量の在庫をかかえてお手上げといった状態で、在庫を何とか処分しようということで手がいっぱいというのが現状のようです。
 このような情勢にコーヒー業界がおかれていますから、私共の要求というものはない物ねだりに聞こえ、それがあたかも何も知らないで言っているように受け取られるのでしょう。
 誤解のないように言っておきたいのですが、われわれは何も知らないどころか、商社や生豆問屋のセールスマンたちよりもはるかに多くの情報をつかんでいます。
 たとえば、ある共同焙煎工場では最近缶入りのコーヒーを発売しましたが、これに使用するコーヒー豆を工場の構成母体である生豆問屋が産地から直輸入し、原料豆の特徴を生かしたコーヒー作りを行っていますが、これなど、やる気になれば出来るということの見本だと思います。
 私共も直輸入したコーヒー豆を一部使わせていただくことに内定し、ジャーマンローストの原料として使用させていただくことになりました。
 また、現在産地ではコーヒー豆がダブつき気味で値段も下がり気味なのに、わが国では在庫が硬直化して品質も滞貨のまま劣化していっているということも、十分承知しているのです。
 しかし、前にも述べたとおり、それを仕方がないと認めていては、せっかくレギュラーコーヒーに向きつつあるコーヒー愛飲家の気持が、原料豆の悪さが原因となって、手間をかけてレギュラーコーヒーを淹れてみたがインスタントコーヒーと大して違わないということで、再びレギュラーコーヒーに背を向けてしまったとしたら、いったいコーヒー業界の先行きはどうなるのでしょう。
 すでにコーヒー業界において焙煎業者たちは、飲食店におけるコーヒー消費量の低下という現実に直面して、その意識を変えつつあります。
 その前に立ちふさがってコーヒー業界を破滅に導こうとしているのが、今の商社や生豆問屋ではないでしょうか。

-問屋の名にふさわしい機能を-
 特に生豆問屋なんか、ただの商社の輸入したものを右から左へ動かしてサヤを取っているだけなら、その存在意義がありません。ユーザーも少しロットが大きくなれば商社と直取引をした方が、ペーパーマージン分だけ安く買えます。
 わが国古来の商業の知恵として発達してきた問屋制度は、その得意先の必要とする品物を取り揃えるという機能をもってこそ、問屋の存在価値が認められるのではないでしょうか。
 私は、今、国内で滞貨となっているコーヒー豆なんか、インスタントコーヒーの原料にでも安く叩き売って、良質なコーヒー豆を輸入し、コーヒー愛飲家に美味しいコーヒーを供給した方が、将来、現在の損失をはるかに大きく上回る利益に結びつくと考えるのですが、いかがでしょう。

コーヒーは毒か 薬か?


1975年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-3-150-240
われわれコーヒー党にとって何となく気がかりなのは、コーヒーは健康に害があるのではないだろうか、ということです。特にコーヒーは胃に悪いのではないだろうかという心配は常々つきまとう問題です。
 そこで、今月はコーヒーと健康について述べてみたいと思います。
 まず、コーヒー有害説で取り上げられるのは、コーヒーの成分であるカフェインなのですが、正直な話、カフェイン自体有害な証拠は全くありません。
 カフェインは神経を刺激して気分をよくしたり、頭の働きを高めるのに役立つほか、利尿作用で新陳代謝をよくするなど、健康に役立つ成分です。
 ただ、胃腸の働きをよくするため、空腹時に飲みますと胃液の分泌などを増進させるので、胃の中の酸度が高くなり、胸やけなどの原因となります。
 ですから空腹時には飲まないようにすべきですし、逆にディナーの際に最後に出されるコーヒーは消化増進剤だと思ってお飲みになる方がよいでしょう。
 次にタンニンですが、タンニンは胃壁を収れんさせる作用がありますので、満腹感が起こり食欲を低下させます。食事の前に飲まない方が賢明です。ただし、アメリカなどでは食前にコーヒーを飲ませて食欲を減退させ、食べすぎによる肥満を治療しているそうですから、ものは使いようです。
 そのほか、特に有害な成分ではありませんが、リンゴやみかんなどにも含まれていると同じような植物性の酸味が味覚を刺激して、胃液の分泌を促しますので、食事の関係で酸性度の高い日本人には、食後のコーヒーもそういった理由で害になるかもしれません。
 これはコーヒーに限らず他の酸味のある食べ物(たとえば梅干し)などにもいえることですから、胃酸過多ぎみの方は、その点を心得られる必要がありましょう。
 話しはそれますが、ぽえむのジャーマンローストが非常に評判がいいのは、カフェインやタンニンや酸味を押えるロースティングをしているからで、いかにも日本人向きのコーヒーといえましょう。
 また、コーヒー―本来の成分とは違うのですが、コーヒーが長時間空気中に放置されたり、煮沸されて酸化したものは、特にその酸味が消化液の分泌を促進して胃の中の酸度が高進するようです。わが国の喫茶店などでは何十杯分ものコーヒーを淹れだめしておいて、沸かし直して出す店が多いのですが、そういうコーヒーを飲まされてきたことがコーヒーが胃に悪いという説の原因になっているのではないでしょうか。
 むしろコーヒーを好意的にみれば、前述の効能のほかに、先月号に述べた精神的な効果や、コーヒーが体内でカリウムやカルシウムのアルカリ性ミネラルに変化し、体内のリン酸や硫酸などを中和して体液を弱アルカリ性に保つ作用を持っています。
 ですから、酸性食品をとることの多い日本人は、酢の物や牛乳、ワインなどと並んでアルカリ性食品の雄であるコーヒーをたくさん飲む必要がありそうです。
 ただ、ポルト(甘いブドウ酒)や砂糖入りのコーヒーはその糖分が強力な酸性食品ですがら、糖分をとりすぎないよう、出来ればブラックでコーヒーを飲むことをおすすめいたします。
 最後にもう一つ、コーヒーを飲む上での注意を付加しますと、高血圧の方は、カフェインが心臓の働きを強めますので注意が必要です。しかし、、心臓の力が弱ったときには逆に強心剤の働きをするので、飲ませた方がよいという医者もいます。それと、飲酒時は血管が開いていますから、コーヒーで血液の流れをよくすると早く酔いがさめますので、二日酔いの予防になります。
 とにかく、コーヒーにしろ何にしろ、使い方によって毒にも薬にもなる、ということが結論となるでしょう。

有言実行こそコーヒー業界の進む道


1975年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1975-2-150-240
 昨今の新聞等をみますと連日のように「中小企業の倒産や、一流企業の一時帰休・採用延期・人員整理・管理職の賃金カット」など暗いニュースが報道されています。そんな環境の中で、我々日珈販は、着々と売上高・珈琲取扱い高を伸ばして来ました。

■この不況になぜ2倍半増か?
 一昨年12月はコーヒーの取扱量が2トンそこそこでしたが、昨年12月には5トンを軽くオーバーしましたから前年に比べて2倍半以上になったことになります。
 これに対して店舗の増加率は3割程度ですから、ざっと考えても一店当りのコーヒー消費量の増は殆ど売店部門でまかなったという計算になる訳です。
 このように売店部門の好調即ち家庭用コーヒーの伸びという傾向は、ぽえむが加盟店の要請に基いて実施しているコーヒーバザールの人気となって著しくあらわれています。経堂の住宅地の真中にある経堂北口店などは1日で40万円近くも売る好成績をあげましたし、その他の店での成績もこれに迫っています。
 また、年末のコーヒー豆の店頭販売も、所沢店の12月30日の96400円を筆頭に40000円以上売った店が続出しました。そしてそれが一昨年と違う点は、一昨年までは暮に1日程度そんな日があるということでしたが、今度の場合は年末数日間そのような売上げを記録していることです。
 また、年が変ってからも売店売上げが落ち込んでいませんから、ぽえむの顧客に限ってはコーヒーの家庭消費が定着したと考えていいと思います。
 喫茶店等のコーヒー消費量が落ち込んでいるといわれている時に、このような家庭用のコーヒーが売れるという現実を見せられると、我が国のコーヒーマーケットの方向はすでに決定されつつあるの感を深くします。

■いよいよ正攻法の時代が…
 さて、このように家庭へコーヒーが浸透してくると、当然今までのように業務筋が価格や品質のリーダーシップをとるということは次第に不可能となり、消費者大衆がその決定権を握ることになるのでしょう。
 また、この2、3年来急速に変わりつつある消費者の意識構造の展開からみて、大掛かりな宣伝などを行って消費者の購買意欲を意識的にかきたてるような人為的な消費の創造も困難になってきつつありますので、コーヒー業界に限らず正攻法のケレンのない商法以外、大衆は受け入れないものと考えられます。

■言葉とそして実行を
 これに対応するコーヒー業界はどうかというと、この年末年始に出版された新聞雑誌等に伝えられた業界人の発言においては、誠に言い分は真実を述べており、その抱負も仲々にご立派な内容でございますので、もしその通り実行されるのなら、我が国コーヒー業界は万々歳ということになります。
 私も、この「珈琲共和国」をはじめ、「柴田書店 喫茶店経営」、商業界「飲食店経営」などの雑誌や、「実録珈琲店経営」などの単行本で自分の意見を述べる機会が多いのですが、なんといっても現役の経営者として述べたことをいかにして実行するか、あるいは実行できることのみをいかに書くかに苦労します。
 経営者が評論家になってしまったらもうお終いです。
 経営者の言動というものは、新聞雑誌の読者よりもその企業の従業員や取引先や顧客の方が熱心に注目しているものです。だからもし経営者がいい格好でもするために、時流に乗るようなことを言ったところでそれが具体的に実行されないとなると、その経営者はたちまち、身内の者から信頼を失ってしまうのが落ちということになります。
 今年は周辺の様子からみて、コーヒー業界新生のスタートの年だと考えられますが、コーヒー業界の経営者にとってもその真価を問われる年だと思います。
 ひとつ今年は業界をあげて大いに論じ、大いに実行しようではありませんか。
 今年のコーヒー業界は、「有言実行」をモットーとしましょう。

コーヒーの社会的効能 珈琲は世界に平和をもたらす


1975年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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 一年中で一番のんびり過ごすことのできるお正月も終り、我々の周辺には再び騒々しさが戻ってきました。
 特に今年の2月は、例年になく寒さも厳しそうで、不況の嵐とあいまって一層冷々とした心持がします。こんな時に一杯のコーヒーが我々の心をほのぼのと暖めてくれると、何だか救われた気持ちになるものです。
 先日開かれた日本フランチャイズチェーン協会の本年度第一回月例研究会で、ロケット工学の第一人者であり、未来学の権威でもある糸川英夫博士が、「現代は非常に感情的な時代であり、論理を感情が否定する時代である」ということを話されましたが、そういういわばヒステリックな時代がエスカレートしていくと感情的な世相は益々その感情度を高めて終局的には人間の文化そのものまで破壊してしまいかねないものになってくるそうです。
 昨年、三菱重工ビルの爆破に代表される一連の爆弾騒ぎにしても、論理では考えることの出来ない非常に感情的な行動のあらわれといえるそうです。そして、この感情的な行動は、感情的な行動にその感情が刺激され更にエスカレートする傾向にあり、この調子でエスカレートすると最後には原子爆弾にまで到達しかねないということです。
 今までにアメリカ当局が発表しただけでも、ヒロシマ級の原子爆弾に換算して30発分のプルトニウムと濃縮ウランが盗まれており、公表されていないものを含めると50発以上の原子爆弾が地球上のどこかで製造可能の状態にあるということです。しかもプルトニウムと濃縮ウランさえあれば、高校生程度の理科の知識で原子爆弾が作れるということですから、全く恐ろしいことだと思います。おまけにその原子爆弾が論理的な行動をしないで感情的に行動する人間の手にわたったらと考えるとゾッとする思いですが、すでに彼等の手に渡っている可能性は充分にあるということです。
 こんなことを考えていくとなんだかこれからの世の中が恐ろしく絶望的な世の中になっていくような気がしますが、アメリカの学者なども今、真剣に社会を感情的な構造から冷静かつ論理的な社会構造に変えることを研究しているそうです。
 糸川博士の話によると、その冷静化に役立つものはまず筆頭がマリファナだそうです。しかし、まさか麻薬に類するものを奨励する訳にはいかないでしょうから、次に効能のあるものということになると、酒、タバコ、コーヒーということになるそうです。
 こうしてみると、多少手前ミソにはなりますが、害が最も少なく、かつ手軽であるのは、断然コーヒーということになる訳で、今まで無駄の代名詞のごとくいわれていたコーヒーが、実は世界を破滅から救う救世主にもなりかねないとは実に楽しい話になります。
 これで、コーヒー飲みの皆さんも、我々コーヒーを業とする人種も大っぴらにコーヒーを楽しみ商うことができるという訳です。
 今年も色々といやな事柄が続きそうですが、我々コーヒー党はひとつゆったりとコーヒーを楽しんで、心を静め、大いに世界の平和のために貢献しようではありませんか。

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