珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒー業界は戦略的に協調すべきである
1973年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
今年の夏は十数年ぶりの暑さで誠に猛烈だった。残暑もかなりのものである。
しかし私にとって8月は気分の良い猛暑であった。
というのは、先月号であのようなことを書いたのでどんな仕返しをされるかと内心ビクビクしていたのだが、おかげで旧友のアートコーヒー千葉営業所長の門脇茂君や営業本部の安原課長と一夜歓談する機会を得たし、かつてたいへんお世話になった西角常務ともお会いする機会を得た。また第一コーヒー店の高橋さんからもぜひ一度ゆっくりやりましょうというお誘いもあり、今から非常に楽しみにしている。
また、某デパートから資金の面倒をみるから出店しなかという話もあり、猛暑などつい飛んでしまう朗報続きであった。
ところで私とアートコーヒーとは変な取り合わせのようだが、カラクリを言えば不思議なことではない。
ほかから見れば、私はアートコーヒーや木村コーヒー店等を目の敵にしているかにみえるだろうし、事実そのような節がみられるのだが、実際は私にとって両者は師であるのだ。
私は、今まではまるでペーパーフィルターによるコーヒーの抽出に関しては、日本一のように言ったり事実その通りだと思ったりすることもあるのだが、それを逆算すれば現木村コーヒー東京支店長の村上さんが、私にカリタの1セットをくださったのに始まっている。
そして私にコーヒーの基礎を叩き込んでくださったのは高島君子先生である。
私は今コーヒー豆のテイクアウトで成功しているがこの下地を造ったのも先に述べたアートコーヒーの西角常務が、当時直営店以外では売っていなかったパンを私に特別のはからいで売らしてくださったことに発している。こんな言い方をするとお叱りを受けるかもしれないが、当時のアートコーヒーのパンは品質・値段共に最高であった。そして客の方でもアートのパンといえば遠くから電車に乗ってでも毎日買いに来てくれたものである。そのときの経験が今日のぽえむの最高の品質のものを売れば、たとえ値段が高かろうとも絶対に売れるとの信念をもたらしているのである。その他の点においても、私はアートコーヒーから教えられる点は実に多い。たとえば[創られた味]というキャッチフレーズであるがこれなどケダシ名言である。昔はくず豆を配合してコーヒーらしい味を造るのが創られた味かなどと悪口を言っていたが、コーヒーのことがわかるに従ってコーヒーの味は本当は作られるものだとしみじみ思う。私共が発売している「まごごろブレンド」もそのような考えで創っている。
そのほかコーヒーとパンという最もよく合う飲食物をコンビネーションされようとしたこと、家庭用コーヒーの販売に早々と着手されたことなど敬服させられることばかりである。
私なんか10年前に若林社長が考えられたことを実行に移しさえすればよいのだから、全く気楽なものである。まだ一度もお話したことがないが、ぜひ一度お目にかかってコーヒーの本道について御教示願えればと考えている。
さていよいよ今月の30日で第2次国際コーヒー協定が期限切れとなり、新協定では新市場制度がなくなることになるが、わが国のコーヒー戦争もいよいよ戦闘開始ということになる。
わが国のコーヒー業界はその歴史はじまって以来の試練の場に立たされることになるのだが、この重大時期において我々コーヒー業界に従事する者は、アートコーヒー・キャラバンコーヒー・日珈販といった一企業の問題として考えずに、コーヒー業界全体の問題として捉えて行かなければならないのではないだろうか。
企業同士の競争は激烈に行う間としても、業界全体の流れという大事な問題については、戦略的に協力しあうことが必要なのではないだろうか。
我々の言い方としても、たかが珈琲店のオヤジの集団に、我々プロが耳を貸せるかという態度をとらないで、一応は話し合ってみるべきではないだろうか。
日珈販の加盟店も本年中に20店を超えそうである。この調子ならば首都圏100店月間コーヒー取扱い高30トンも遠い将来ではない。
月間30トンのコーヒー卸高の規模が、業界でどの位置にランクされるかは、業者の方が十分ご承知のことであろう。
また新入りが何を言うかというムキには、月間30キロ程度の得意先を大量に抱えてウロウロしているあなた方と、現在すでに月間平均150キロを消費する加盟店を指導している我々とどちらがプロフェッショナルなのかトクと考えてみられよと申し上げたい。