コーヒー党宣言 サービスにならないサービス


1974年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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≪料理の美味さを壊すレストランのコーヒー≫

最近、あちらこちらの雑誌に寄稿したり、座談会に引っ張り出されたり、ゼミの講師をやらされたりするせいか、私もすっかりコーヒーのオーソリティーにされてしまった。
 自分では、単なるコーヒー好きの男が、自分達コーヒー党が好むコーヒーを自分達の手で作って供給しているのだくらいにしか思っていないのだが、他からみると大変な仕事にみえるらしい。
 コーヒーなんていうものは毎度言うように単なる農産物の加工品にすぎないのだから、品質の良い原料をその原料の持ち味を殺さないように加工しさえすれば良いのだから、全く難しいことは少しもない。
 ただ今のコーヒー業界のように、品質でコーヒー業界のように、品質でコーヒーを競わずに値段で競争しているのでは、いくら立派な能書きをとなえても無理な算段である。
 このところ、私もおつきあいがふえていろいろな方とお話をする機会が多いが、やはり職業柄飲食業の方が圧倒的に多い。
 それらの方とお話をして一番困るのは、“うちの店のコーヒーはどうですか”と聞かれることである。
 大方の店は、私にすればコーヒーとは認めることの出来ないような代物が多いのだが、まさかそうは言えないので私共の店とは考え方が違いますのでというようなことを言ってゴマカシテしまうことにしている。
 《骨折り損のくたびれ儲け》
 一流のレストランとか、コーヒーショップとかで食事をしていていつも思うのだが、どうして日本のレストランなどはデザートのコーヒーに無神経なのだろうか。
 せっかくいい気分になって、美味しい食事をした余韻を味わっていると、ヒドイ味のコーヒーが出てきてその味を全部ブチ壊してくれる。
 だから、私はデザートのコーヒーを飲まないことにしているのだが、知りあいのレストラン等へ行ったときなどは、いかにも自分の店のコーヒーしか飲まないようで嫌味なので我慢して飲ましてもらうが、これでそのお店が私に美味しい食事を提供してくださった努力は全部パァになってしまう。
 特に最近では、アメリカ式のコーヒーショップなどでコーヒーのお代わりサービスをやっているが、あのコーヒーなんかもたいてい自動抽出機で何杯か淹れておいてホットプレートに乗せっぱなしだから、タンニンが酸化してしまって飲めたものではない。
 私に言わせればサービスをしたつもりが、せっかくの料理の味を台なしにしているだけのことで、骨折り損のくたびれ儲け以外何ものでもない。
 なにも、我々ぽえむで提供しているように一杯ずつ注文の度にコーヒーを淹れろとは言わないし、事実そんな事は不可能だが、同じ自動抽出機を使って大量だてをしてホットプレートで保存しても、コーヒー豆の品質や加工方法を考えれば、もっと美味しいコーヒーが提供できるのである。
 私はその方法を知っているし、いつでもタダで教えてあげる。
《ゾッとするようなコーヒーでは》
 これから我が国の飲食産業も大きく伸びるだろうしそれに伴って日本人がレストランやコーヒーショップやカフェテラスといったところで食事をする機会も多くなるだろう。
そして食事にコーヒーを飲むチャンスもふえるに違いない。
そんなときにゾッとするようなコーヒーを提供して平気でいられるようであると、我々コーヒー党としてはいささかゾッとせざるを得ないようである。
最近では立派なレストランチェーンなどもでき、そこの経営者のお言葉なども実にご立派なことを述べられるのだが、せっかく作りあげた美味しい料理をヒドイコーヒーでブチ壊して平気でいるような神経では、何を食わされるか判らないというのが、私共庶民的コーヒー党の心情である。
たかがコーヒーといわずに、ひとつ本気でコーヒーに取り組んでもらいたい。
そうでないと、「九仭の功を一簣に虧く」ことになってしまう。

コーヒー党宣言 もう一度考えてみたい ぽえむの役割


1974年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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 私が家内と2人で始めたパパ・ママストアだったぽえむも7年4ヵ月の間に21店舗のチェーンストアにまで発展しました。
 私がまだカウンターの中でコーヒーを淹れていた当時ですと、お客様のお一人お一人から直接にいろいろご意見をお聞かせ戴けたのですが、最近ではそのような機会も少なくなってしまいました。
 私共のように不特定多数のお客様を相手にしている場合では、このようにお客様から離れてしまうことは大変危険なことなので、なるべく機会を設けてお客様とお話することに心掛けてはいるのですが、その場合でも古くからの馴染みのお客様がお相手になってしまいます。

≫目安箱を開いてみると…≪
 そこで、最近私共のお店をお引立て下さるような方のご意見など是非うかがってみたいと思い、ぽえむの目安箱なる制度を設けましたところ、意外に多くのお便りを戴きました。
その内の一部を本誌に掲載させて戴きましたが、皆さん実に熱心で、非常にありがたく拝見致しました。
概しておほめの言葉が多かったのは“お礼にコーヒー券を差し上げます”ということだったせいのようですが、中には手厳しいご意見も沢山ありました。
その中で、ひどく気になったのは、美味しくなくても良いから安いコーヒーを飲ませてくれというご意見と、値上げをするなとかチェーン店の数を増やすなというご意見でした。
美味しくなくて良いから安いコーヒーを飲ませろというご意見は我々にとって誠にショッキングなもので美味しい品質の良いコーヒーの提供を至上命令とし営業してきた我々としては、全く異質な考え方に意表をつかれた思いがしました。
 値上げをするなというご意見は確かに皆さんの切実な要望でしょうが、前月号でも書いた通り、やむを得ません。
 最近の新聞に出ていましたが、“学生街の80円コーヒーにお店が店じまいした”という記事が載っていました。よく読んでみると80円コーヒーだったのは一階の4席だけで2階の30数席は150円だったようです。
 値上げするなら廃業した方がよいとの店主の弁ですが、私はそうは思いません。
 たとえ値上げをしても頑張るべきだと思います。その店は開店5年目だそうですが、その5年間、その店を引き立ててくれたお客様の心はどうでしょうか。お客様にとっては、自分の大事にしていた店が順調に育っていくのはうれしいことの筈です。それを儲かる時だけやって儲からなくなったら廃業ではムシの良すぎるような気がします。
 180円のコーヒー代をとってもいい加減なコーヒーしか飲まさず、サービスの悪い店が多い今日、お代は世間並でもコーヒーの味やサービスでお客様に奉仕することによって実質的に安いコーヒーを飲んで戴くことも大切だと思います。
 コーヒー代の値上げはやむを得ないでしょうがコーヒーの味やサービスを低下させないよう頑張って下さい、というお便りも戴きましたが、特に急所をつかれた感じでした。
 3番目のチェーン化の問題ですが、お客様の皆様はチェーン化することによって本部が儲けているようにお考えのようですが、これは違います。日珈販の本部は他のフランチャイズと違って、共同組合の本部のような組織になっていますから、儲けるどころか創立以来2年間大きな赤字です。
 日珈販の本部というのは駐留軍基地に何十年も勤めた結果、安い退職金で辞めさせられた人や、公害でいきの良い魚が売れなくなった魚屋さんや、大手のコーヒー焙煎卸業者に馬鹿にされて困っていた喫茶店などが、珈琲店という世界でなんとか生きぬいていけるように、協同組織を作って大商社などの大資本と対抗していこうという目的で作られたものです。

≫要求される変化≪
 ですから、本部自体は店数が増えたからといって儲かる訳ではないのです。
ただ、皆さんがご指摘の通り、昔のぽえむのムードは少しずつ失われていくかも知れませんが、そのかわり多くのぽえむが出来、また多くのお客様も得ました。
 そして、お客様の方も随分と違って来ました。それはとりも直さず、ぽえむというものの機能を、また使命や役割をといったものの変化を要求していることを表わしています。
 私は、今日、現在のぽえむの上にたって、ぽえむの役割というものをもう一度考えなおすべき時が来ているような気がするのです。

コーヒー党宣言 今やコーヒーもインフレの味・・・・・・・


1974年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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日珈販発足以来初の値上げに想う
日珈販の主賓するぽえむチェーンでは2月1日より喫茶室で飲んでいただくコーヒーの標準価格を150円から180円に値上げさせていただきました。
 昭和46年12月1日に150円の標準価格を設定して以来2年2ヵ月日珈販にとっては発足以来初めての値上げです
 物価が狂ったように上昇し、世の中が殺伐としていく中で、せめてコーヒー代位値上げしないで済ませたいと思っていたのですが、このインフレではどうしようもありませんでした。

=コーヒーの原価の意味=

 我々コーヒー店を営むものが値上げをしようとすると、皆さん方は、コーヒー代なんて原価は1割そこそこしかかからないのだから儲けすぎているといわれます。
 確かにコーヒーの原材料費は1割は少しオーバーにしても2割まではかかりません。しかし、原材料費がコーヒーの原価なのでしょうか。
 コーヒー店を経営して一番かかるのは人件費です。今のように物価が高くなりますと、我々が最低で生活していける月収額は、皆さん方と同じようにたまにはコーヒーの一杯も飲めるような生活をしようとすれば東京では6万円はかかります。
 これを1日分に換算すると2300円位になり、従業員が1日にお相手をするお客様の数が普通で80人までといいますから、コーヒー一杯あたりの人件費は忙しい店で30円弱から、ややひまな店では50円ということになります。
 次にかかるのが権利金・保証金や建築費の償却や家賃などで、これが合わせて通常一杯当り人件費と同額位かかりますから、30円か50円かかるわけです。
 その他、カップやグラスの消耗代金から冷暖房の費用とか、壁面を飾る絵の代金とか貸植木代、レコード代などを割り振りますと、それ等のものでコーヒー代の85パーセントを占めてしまいます。
 お客様の側から見れば、コーヒー代の原価はコーヒーを作るコーヒーの粉やグラニュー糖やクリームの代金位にお考えになるでしょうが、我々店を経営している側からみれば、原材料費にその他の経費を加えたものがコーヒー代の原価になるわけです。

=避けることのできない値上げ=

 ですから、最近のように、コーヒー豆5割高、砂糖10割高、生クリームも10割高、カップやグラス類は15割高、店を借りる権利金や建築費用は天井知らずということになり、おまけに生活物資の値上がりということになれば従業員の給料も上げなければならず、結果としてそのツケは必然的にお客様のコーヒー代へまわっていくことになるのです。
 我々の店ではこの2年2か月の間、それ等コストの値上がりに伴う利益の減少は、お客様の数の増加による売り上げ増でカバーしてきました。
 しかし、われわれコーヒー店という商売は、座席数に限度のある商売です。むやみやたらとお客様を詰め込むわけにはいきません。また、コーヒーを飲み終わったお客様をすぐに追い立てるようなこともできませんから、客数増加による売り上げ増も自然と限度があります。
 となると、コーヒー店がその店の経営を維持するために必要な利益を確保するためには、値上げ以外に方法がなくなるわけなのです。
 私も且つては、一杯のコーヒーで何時間も喫茶店でねばっているような青年でしたから皆さんの気持ちはよくわかるのですが、今回の値上げはどうしても避けることができないものでした。

=インフレで固まったコーヒー=

 考えてみれば、我々はコーヒーというインフレでかためた飲み物を売っているようなものです。
 店はインフレを売り、客はインフレを飲み干す。考えるだけでコーヒーの苦さが増すような気がします。我々はコーヒーという飲み物の中にある種の夢をもって接してきました。そのコーヒーがインフレの味がするとは、全く情ない世の中になったものですね。

コーヒー党宣言 美味しいコーヒーの提供こそぽえむの使命 今年も更に厳しく戦闘的に


1974年1月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1974-1-150-240
あけましておめでとうございます。
昨年は毎度お引立てを賜りまして、誠にありがとうございました。
今年も旧年に増すお引立てとご愛顧を賜わりますようお願い申上げます。

 さて、昭和49年は我々コーヒー党には厳しい年になりそうです。
 新年早々にはコーヒー豆の卸価格が大幅に引き上げられるのは必至です。
 円安ドル高のため、為替差損だけで2割は生豆の輸入価格が上りましたし、コーヒーを焙くガスや灯油も上ったし、ガソリン代値上げで配送費も上昇ムードだし、上らないのは我々の所得位なもので、この分で行けばコーヒー豆の卸価格が40パーセント位上ってもやむを得ない状況となってきました。
 そうなってくると、当然私共コーヒー党が飲むコーヒーの値段にも響いてくるわけで、喫茶店のコーヒーの値段も、一杯120円から150円の時代から、180円ないし200円の時代になろうとしています。
 我々コーヒー店の側から見ると、いくらコーヒー代を高くしても儲からなければ意味がなく、安くても儲けが多い方がいいのですから、今の世の中のようにコーヒー代は高いはそして経費倒れだはではお互いにつまりません。
 また田中角栄氏の日本列島改造論がいけないとかいいのだとか、インフレだとかインフレじゃないとか議論にしたって、議論している間にどんどん我々の暮しが苦しくなってコーヒー一杯満足に飲めない破目になってしまいます。角栄氏のようなお金持ならば少々の物価上昇も平気だろうし、インフレで土地が上れば資産もお増えでしょうが、我々庶民は増えるのは家計の赤字ばかりです。

【ケチケチ運動にご協力を】
 そこでグチばかり言っていても仕方がないので、日珈販では今春よりケチケチ運動を始めることになりました。その目的は今資源不足のため猛烈に値上がりしている包装資材を節約して少しでも商品価格の引上げを避けようというもので、容器を持ってコーヒー豆を買いに来て下さったお客様には代金を包装材料分だけ安くする等、たとえ包装紙の小片1枚につき1円、2円でも値引きしたいと考えています。
 今後、世界のコーヒー豆の需給状勢をみても、その他の資源をみても、なかなか物資不足の現実は、予想以上に厳しそうです。
 どうかコーヒー党の皆様も、美味しいコーヒーを少しでも安く楽しむために、ケチケチ運動に御協力下さい。
 さて、新年早々、しみったれた話ばかりで誠に恐縮ですが、正直なところ、コーヒー党にとっては暗い春になりそうです。日珈販としてもこの暗い世の中を少しでも明るくするため、皆様に美味しいコーヒーを提供することを至上命令として、そのために努力していきたいと思います。
 昨年ブームを呼んだコーヒー専門店も、今年も一層のブームを呼ぶでしょう。
 そして、コーヒー専門店とは名ばかりの見せかけのコーヒー専門店も多くなるでしょう。そしてそれ等の店は、代金ばかり高くとって、インフレで悩むコーヒー党の財布を一層圧迫するに違いありません。
 日珈販は、店でコーヒーを飲んでくださるお客様のためだけでなく、このような時節ですと店で高井お金を払ってコーヒーを飲むのがモッタイナイという方達のためにも、良質なコーヒー豆を提供して、家庭で安く美味しいコーヒーを楽しむことができるように努めたいと思います。

【本年度の課題】
 日珈販はそのために本年度の課題として、我々の経営理念に賛同する勢力を結集して、美味しいコーヒー供給のためにより攻撃的、より戦闘的な販売戦略を遂行していくつもりです。
 買占めをして、コーヒー豆の値段を吊上げるような商社や生豆問屋、くず豆を混入し見せかけの値段を安くみせようとする焙煎業者、インテリアや演出で客の目を惹き、まずいコーヒーを図々しく提供して高い金をとっている珈琲専門店と称する喫茶店、これ等はすべてわれわれコーヒー党の敵と考えて、容赦なき攻撃を加えていくつもりです。
 一方、本当にコーヒー豆の安定供給を目指す商社や生豆問屋や、よい品質のコーヒー豆を使って加工に手間をかけ品質の良いコーヒー豆を造り上げようと努力する焙煎業者や、コーヒー専門店の本道である美味しいコーヒーと本当の専門的知識を広く大衆に拡めようとする店とは、例え技術的には対決し、局地戦では激烈な戦いを行なおうとも戦略的には手を結んで、我々コーヒー業界にたずさわる者の使命である「美味しいコーヒーの供給」をなし遂げるつもりです。

コーヒー党宣言 フランチャイズの本道は消費者への忠誠心


1973年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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珈琲共和国も本号をもって24回目の発行日を迎えました。月刊で途中一度合併号がありましたから、これで第3年目に入った訳です。
 お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、本欄のタイトルを今回より再び「珈琲野郎のコーヒー党宣言」から「コーヒー党宣言」に戻し、筆者も(株)日本珈琲販売共同機構(日珈販)の代表者という立場から執筆すべく肩書きも入れさせて頂きました。
 それというのは、ほんの内輪だけのために「プチぽえむ」という名前で始めた本紙が、この号ではついに発行部数6000部(有料購読者数2000名)に達し、関係業界でも非常に注目を浴びるように成長し、面白半分の態度ではものを書くことができなくなったからです。
 もちろん、今まででも無責任な態度で書いてきたのではありませんが、いっそうエリを正して書くべく、筆者の気持ちをより引き締めるためにそうさせて頂いた次第です。

【消費者も選別能力を】

 さて、先月号では私はフランチャイズシステムがメーカーや卸問屋の手でやれるものではないということを述べました。そこで今回は少しフランチャイズのあり方について述べてみたいと思います。
 一般の読者のみなさまはそんな商売の内部のことなど興味がないとお考えになるかもしれませんが、実のところ資源不足が深刻な問題となりつつある今日、一般大衆の方々がフランチャイズの本質というものをよく理解し、そのシステムによって売られる品物を選別して買わないと、粗悪品を高く買わされる結果になります。
 だから、コーヒー党の皆さんは、これからいろいろなコーヒー業界のフランチャイズと称されるものが皆さんの前に現れるでしょうが、フランチャイズだから全て美味しいコーヒーが飲めるのだと盲信しないで、よいフランチャイズの機能を果たしているフランチャイズを選別してコーヒーを飲み、コーヒー豆を買ってもらいたいと思います。
 もちろんその選別の対象として日珈販のぽえむ・まごころチェーンも例外ではありません。

【フランチャイズのあり方】

 フランチャイズシステムとは、本来小売店(末端販売店)の一番都合のよいシステムなのです。すなわち、その加盟店では原則として全店同一の商品を同一の価格で売り、独占的商品を設定して競合を避けているのですから、当然その商品については一般消費店はいやが応でも店の指示する価格で買わされます。また、問屋やメーカーは商品をドシドシ売りたくてもその商圏内にある店は加盟店一店しかなく競合させて売るわけにいきませんから、普通の販売システムと違って売上の拡大を強力に促進することもできません。
 このように、メーカーや問屋や消費者に不都合にみえるシステムが、何故取り入れられ急速に発達しようとしているのでしょうか。
 それはどうしてかといいますと、この不都合なシステムがフランチャイズの本部のモラル如何によってはメーカー・問屋・消費者・そして販売店の4者みんながプラスになるようなシステムに変わるからなのです。言いかえれば、それこそフランチャイズシステムの本来の機能であるということなのです。
 それはどういうことかと申しますと、拘束力の全くない自由な市場ですと、自由競争等が行われます。
 それは確かに消費者に安く品物を提供するということで大きなプラスがあります。しかしその反面、マージンの低下による販売店の経営悪化の外に、メーカーサイドにおいても、みせかけの値下げ競争に走る傾向があります。たとえば、何割引とか称して売っているものが、元々低価格で売るために作った低級品であるというようなことです。
 公正取引委員会が、再販価格維持制度の撤廃と同時に廉売規制に乗り出したのはそういうことなのです。
 我々コーヒー業界もコーヒーという一見識別のなし難い商品を扱っているだけに、価格競争を低品質、低価格品を混入することによって解決しようという動きが主流を占めている訳です。
 焙煎業者だって本当は、そんなものを売りたくないのですが、値段で競争させられるので仕方なくくず豆を混ぜて売っています。日珈販では、よい品質の豆を消費者に提供するためにフランチャイズシステムを導入し、消費者たる皆さまコーヒー党の支持により急速に展開しつつある訳なのです。

珈琲野郎のコーヒー党宣言  焙煎業者はフランチャイズをなめるな!!


1973年11月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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フランチャイズシステムとは
 第二次大戦後アメリカにおいて急成長を遂げ、一躍流通システムの寵児となったフランチャイズシステムが、我が国でも数年前から取り入れられ、最近では産業界がネコもシャクシもフランチャイズ導入といった感すらあります。コーヒー業界においても多くの企業がフランチャイズシステムに着手しており、一部にはすでにフランチャイズと称して加盟店を募集しているものもあります。
 私共ぽえむチェーンも数年前からフランチャイズシステムの導入を図り、一昨年12月、(株)日本珈琲販売共同機構(日珈販)を設立して以来積極的にチェーン展開を行ない、発足時2店舗であったものが2年未満にして20店舗という急成長を遂げて参りました。
 他から見ると、私共のようなチッポケな会社がフランチャイズシステムを導入し、ある程度の成果をあげているものですから、大企業にしてみれば自分たちでも簡単にできそうに思うのも無理からぬ話です。
 ところで、そのネコもシャクシものフランチャイズとは、いったいどのようなものでしょうか。
 我が国フランチャイズ業界で唯一の公式機関である社団法人日本フランチャイズチェーン協会では、フランチャイズシステムを「フランチャイザーがフランチャイジーとの間に契約を結び、自己の商号・商標その他の営業の象徴となるものおよび経営ノウハウを用いて、同一とみられるイメージのもとに商品の販売その他の事業を行なう権利を与え、一方フランチャイジーはその見返りとして一定の対価を支払い、事業に必要な資金を投下して、フランチャイザーの指導および援助のもとに事業を行なう、両者の継続的関係をいう」と定義していますが、現実問題としては、フランチャイズの先進国アメリカでさえも、これがフランチャイズであるという定説はないようです。

フランチャイザーの実際
 さて、フランチャイズの理論的な解明についてはその道の学者先生にお任せするとして、現実にフランチャイズシステムのオペレーションを行なっている私共はたいへん貴重な体験をいたしました。
 加盟店の皆さん方は、数年、数十年もかけてコツコツと骨身を削って貯めたお金や、自分の退職金や大事な財産を売ったお金、親・兄弟・友人から借金したお金や銀行から借りた金利のつくお金など、まさに命の金といっていいようなお金を事業に投資します。そして我々は、その命がけのお金が必ず生き続けるよう請け負わされているのですから、並のことでは済まされません。そのためには、過去の実績に対する正しい分析とその評価に基づいて割り出された適切な営業のやり方を指導するわけですが、それとても現実に良い成績となって表われるまでは、その方法がほんとうに正しいかどうかわからないのですから、指導する我々はトコトン神経をすりへらしてしまいます。
 それほどの思いをしてもそれでもなお充分であるとはいえない思いを続けているわけですが、地方ではあまりにも安易にフランチャイジーの募集を行なっているフランチャイザーがいるのには驚かされてしまいます。特にコーヒー業界における珈琲専門店のフランチャイザーに多いのですが、それらのザーたちは、たぶん仕事の恐ろしさというものを知らないのでしょう。

フランチャイズをなめるな!!
 フランチャイズをやればコーヒー豆がたくさん売れるだろう、珈琲専門店が流行だから珈琲専門店のフランチャイズをやれば加盟店がふえて売り上げが伸びるだろう、珈琲専門店のフランチャイズをやらなければ時代おくれになってしまうなどという安易な考えでやられているのでしょう。
 私にいわせれば、焙煎業者がフランチャイザーをやれる道理がありません。なぜなら、フランチャイズシステムというものは、お客様の中で、フランチャイズに加盟したものだけを特別に大切にするという差別政策が根本になっているからです。他と差別してくれないのなら、何も高い金を払ってまで加盟者になる必要がないのですから、差別は当然の義務です。他方、差別された方はどうかというと、あの店のコーヒーが評判がよいようだが自分の所へも同じものを持って来いと要求するでしょう。
 こうなった場合、現在の焙煎業者はどうするでしょうか。やはり、圧倒的多数の非加盟店の方に傾かざるを得ないでしょう。
 こんな簡単なことですら解決していないで、フランチャイザー顔をされてはたまりません。
 我が国のフランチャイズもこれからです。このすばらしい流通システムを育てるためにも、私は、フランチャイズをなめるな!!といいたいのです。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 商社はコーヒー豆を買い占めるな!!


1973年10月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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なくなった□■□□特恵制度

 第2次国際コーヒー協定の期限が去る9月30日をもって満了し、10月1日より第3次国際コーヒー協定が発効されることになり、これによって我国のコーヒー業界は新しい局面を迎えることになりました。というのは、この協定からは従来の新市場制度が撤廃されることになったからです。
 新市場制度というのは本欄でも何度か述べてきましたが、一口に言えば特定の国に限って協定外の安い価格でコーヒーを取引してもよいという特恵制度です。
 我国もかつてはコーヒーの普及率の低い国というので協定発足当時から新市場国の指定を受けていましたが、今後は新市場という制度自体がなくなってしまったのです。その理由は、国際コーヒー協定が生まれた当初の世界のコーヒー事情は生産過剰気味で、コーヒー協定も生産国が消費国の買い叩きを阻止するために作ったものでした。
 ところが最近では産地側の生産調整とコーヒー需用の伸びから需給のバランスが逆転し、当初と反対に消費国が生産国からの輸出割当を得るための協定となってきています。
 新市場制度自体も元来は余剰コーヒー豆の処分が目的でしたので、余分のコーヒー豆がない現在では全く意味のないものとなってきていました。それで新市場制度が撤廃となったのですが、私はこの制度のもつ恩典であった余剰コーヒー豆を安値で買えるという特権の喪失にはあまり遺憾の意を抱きません。むしろ賛意を表したいほどなのです。
 なぜならば、我国のコーヒー業界は多年この特恵制度を悪用して安価で粗悪なコーヒー豆を輸入し、コーヒーの味の低下の原因となっていたからです。この制度がなくなり粗悪品との値幅が少なくなれば粗悪な安物を輸入する妙味がなくなり、結果としてコーヒー豆の向上・味の向上につながると考えられるからです。

大資本の□■□□買占め反対

 むしろ私は、新市場国であったがための制約、すなわち新市場国は新市場国以外の地域にコーヒー豆を輸出することを禁じていた制約のなくなったことの方が重大な意味を持つのではないかと思います。
 これをもう少し説明しますと、新市場国である我国の商社が一度買付けたコーヒー豆に関しては、新市場国以外のへの輸出は禁じられていました。すなわち、一度買付けたコーヒー豆は事実上輸出できず、我国内で消費しなければならなかったのです。したがって、商社がコーヒー豆を買占めても、結局は国内で消費しなければならず、それはダンピングを意味するので、決してうま味のあることではありませんでした。
 しかし、新市場制度がなくなるとどこへ売ってもいい訳ですから、日本の商社の海外でのコーヒー豆買い占めも考えられる訳です。
 現に昨年の墓商社側は米の買占めで悪名高い丸紅をはじめ三菱商事、三井物産等が首都圏のコーヒー焙煎業者を集めておどかしをかけた事実を知っています。表向きは“最近のコーヒー豆の取引状況の説明会”ということでしたが、「国内相場が低すぎる場合はオファーを出さない」とか「品物を第三国に売る」とかのご発言があったようで、これは客観的には“おどかし”以外の何物にも受け取れません。
 私は商社の買占めすなわち悪とは考えていません。商社の側でおっしゃる通り品物の供給を確保するための正当な機能であることは充分に認めます。
 しかし、現実に買占めによって値上がりするということになれば、これは買占めすなわち悪と考えざるを得ないでしょう。
 もしも商社の方達がおっしゃるように、買占めという行為そのものが品物の安定供給をめざすものであるならば、商社は買占めによってむしろ値上がり前の安い価格で品物を供給するのが当然といえます。それを安定確保と称して品物を買占め、品物が値上がりしたところでその相場の価格で売るのでは、格好のいいことを言ったって通りません。
 コーヒー業界でもし今後そのようなことが行われるとしたら、我々コーヒー党としては黙っている訳にはいかなくなります。
 この珈琲共和国も発行部数が5000部を越え、年内に開店するぽえむの分を計算すれば7000部も間近です。来春には10000部を越えるでしょう。そしてこの読者達の数十倍のコーヒー党がいる訳です。
 もし商社が我々を弱小とあなどって無体を働くならば、我々は総力を挙げて戦うことになるでしょう。
 ベトナム戦争において巨大な力を持つアメリカは、その力でベトナム人民の戦いを封じることができず、逆に敗北を喫しました。
 商社もその力を過信すれば、必ず我々コーヒー党の人民達の正義の戦いの前に屈することとなるであろうことを、肝に銘じておかれるがいいと思います。


珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒー業界は戦略的に協調すべきである


1973年9月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1973-9-150-240
 今年の夏は十数年ぶりの暑さで誠に猛烈だった。残暑もかなりのものである。
 しかし私にとって8月は気分の良い猛暑であった。
 というのは、先月号であのようなことを書いたのでどんな仕返しをされるかと内心ビクビクしていたのだが、おかげで旧友のアートコーヒー千葉営業所長の門脇茂君や営業本部の安原課長と一夜歓談する機会を得たし、かつてたいへんお世話になった西角常務ともお会いする機会を得た。また第一コーヒー店の高橋さんからもぜひ一度ゆっくりやりましょうというお誘いもあり、今から非常に楽しみにしている。
 また、某デパートから資金の面倒をみるから出店しなかという話もあり、猛暑などつい飛んでしまう朗報続きであった。
 ところで私とアートコーヒーとは変な取り合わせのようだが、カラクリを言えば不思議なことではない。
 ほかから見れば、私はアートコーヒーや木村コーヒー店等を目の敵にしているかにみえるだろうし、事実そのような節がみられるのだが、実際は私にとって両者は師であるのだ。
 私は、今まではまるでペーパーフィルターによるコーヒーの抽出に関しては、日本一のように言ったり事実その通りだと思ったりすることもあるのだが、それを逆算すれば現木村コーヒー東京支店長の村上さんが、私にカリタの1セットをくださったのに始まっている。
 そして私にコーヒーの基礎を叩き込んでくださったのは高島君子先生である。
 私は今コーヒー豆のテイクアウトで成功しているがこの下地を造ったのも先に述べたアートコーヒーの西角常務が、当時直営店以外では売っていなかったパンを私に特別のはからいで売らしてくださったことに発している。こんな言い方をするとお叱りを受けるかもしれないが、当時のアートコーヒーのパンは品質・値段共に最高であった。そして客の方でもアートのパンといえば遠くから電車に乗ってでも毎日買いに来てくれたものである。そのときの経験が今日のぽえむの最高の品質のものを売れば、たとえ値段が高かろうとも絶対に売れるとの信念をもたらしているのである。その他の点においても、私はアートコーヒーから教えられる点は実に多い。たとえば[創られた味]というキャッチフレーズであるがこれなどケダシ名言である。昔はくず豆を配合してコーヒーらしい味を造るのが創られた味かなどと悪口を言っていたが、コーヒーのことがわかるに従ってコーヒーの味は本当は作られるものだとしみじみ思う。私共が発売している「まごごろブレンド」もそのような考えで創っている。
 そのほかコーヒーとパンという最もよく合う飲食物をコンビネーションされようとしたこと、家庭用コーヒーの販売に早々と着手されたことなど敬服させられることばかりである。
 私なんか10年前に若林社長が考えられたことを実行に移しさえすればよいのだから、全く気楽なものである。まだ一度もお話したことがないが、ぜひ一度お目にかかってコーヒーの本道について御教示願えればと考えている。
 さていよいよ今月の30日で第2次国際コーヒー協定が期限切れとなり、新協定では新市場制度がなくなることになるが、わが国のコーヒー戦争もいよいよ戦闘開始ということになる。
 わが国のコーヒー業界はその歴史はじまって以来の試練の場に立たされることになるのだが、この重大時期において我々コーヒー業界に従事する者は、アートコーヒー・キャラバンコーヒー・日珈販といった一企業の問題として考えずに、コーヒー業界全体の問題として捉えて行かなければならないのではないだろうか。
 企業同士の競争は激烈に行う間としても、業界全体の流れという大事な問題については、戦略的に協力しあうことが必要なのではないだろうか。
 我々の言い方としても、たかが珈琲店のオヤジの集団に、我々プロが耳を貸せるかという態度をとらないで、一応は話し合ってみるべきではないだろうか。
 日珈販の加盟店も本年中に20店を超えそうである。この調子ならば首都圏100店月間コーヒー取扱い高30トンも遠い将来ではない。
 月間30トンのコーヒー卸高の規模が、業界でどの位置にランクされるかは、業者の方が十分ご承知のことであろう。
 また新入りが何を言うかというムキには、月間30キロ程度の得意先を大量に抱えてウロウロしているあなた方と、現在すでに月間平均150キロを消費する加盟店を指導している我々とどちらがプロフェッショナルなのかトクと考えてみられよと申し上げたい。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 業界の妨害に応える


1973年8月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1973-8-150-240
 過日、第一コーヒー店の高橋専務とお話をする機会を得た。
 高橋さんとは、喫茶店経営の対談でお会いして以来のおつきあいである。お互いに忙しい身なので、お話をする機会はほんの数える位しかないのだが、お会いするたびにその見識の高さと知識の豊富さには敬服させられてしまう。
 こわいもの知らずのように見える私だが、これでも結構心の中では頭が上がらないとおもっている人がいるものである。高橋さんもその一人である。ぜひ一度ご一緒に仕事をさせていただいて、氏の持っているものを大いに吸収させていただきたいと思っている。
 さて高橋さんとお会いしたときの話だが、私は次のようなことを申し上げた。
「私はもうコーヒー業界自身の手による業界革新は断念しようと思う。なぜなら、業界に革新の意識のあることは認めるが、現体制にガンジガラメになってしまって、現状では身動きができないありさまである。
 だから、業界の近代化を達成するためには、外部の力(スーパーマーケット等の流通資本や外資系企業)を利用して、業界の現体制を破壊し、その上で新しいコーヒー業界モラルを確立するべきだと思う。
 私としては、戦略的には巨大資本の業界介入に手を貸すと同時に、戦略的にはそれらを巨大資本では絶対やり得ない手法によって、我我チェーン網を確立していくつもりである。」
 高橋さんにしてみれば、私が破壊をもくろむ当事者であるので、困惑された様子であったが、それでも私の話をよく聞いてくださった。
 正直な話、高橋さんのような方と話をしていると、そのようなことを言ってみたものの、業界にもこんな方がおられるのだから、まだまだ既存のコーヒー業界に望みがないわけではないとも思うのだが、日常我々が体験していることを考えると絶望的かつ不愉快なことの方が多い。
 その最たるものは、取引先であるキャラバンコーヒーに対する業界の圧力である。

【コーヒー業界に一言】

 私の直接的な質問には答えてもらえないが、聞くところによると、コーヒー商組合や商社・生豆問屋筋から、私の発言に関して黙らせろという圧力がかなりかかっているらしい。どうもそれらの話を総合すると、日珈販はキャラバンコーヒーの子会社だと思っている向きが多いようである。
 この際ハッキリしておくが、キャラバンコーヒーと日珈販との関係は古い取引先という以外の何物でもない。こんなことを書くと、またまたキャラバンコーヒーに迷惑がかかるので、そのようなデマに対しては黙殺してきたのだが、最近、日珈販への加盟希望者や取引銀行からキャラバンコーヒーとの関係を聞かれたりするので、あえて言及した次第である。
 コーヒー業界の方と一人一人話し合うと、皆さんはとても理解のある方なのだが、業界としてまとまると何となく私を危険人物視しているようである。いくら危険人物視されようと私は結構だが、そんなことで日珈販がつぶれるようなことにでもなったら、私はそれによって残された負債を返すために、いっそうマスコミにコーヒー業の恥部を売り込んであばきたてるだろうし、巨大資本の手先となって現在のコーヒー業界の破壊に手を貸すだろう。
 その時点では、私自身コーヒー業界において失われたものはないのだから、思いのまま暴れればよいのである。
 もしそのような事態にでもなろうものなら、得をする人物はだれもいないのだから、反論があれば正々堂々と私に直接いえばいいのである。取引先に圧力をかけて何かしようというのは、私のいうことが正しくて言い負かす自信がないからに違いない。
 そうでなければ私のような若僧の言うことは問題にしないで、放っておくはずである。

【日珈販は顧客の立場に立つ】

 この機会にもう一言付け加えれば、どんな妨害があっても絶対に日珈販は崩壊しないだろう。なぜなら、今のコーヒー業界のあり方が、業者の作ったものを何でも売りさばこうというのに対して、我々日珈販は、顧客の求めるものをメーカーに作らせて売ろうという考え方に立っているからである。この両者のどちらが栄えるかは、ダイエーがあれだけの妨害を克服して日本一になったのを見ても明白である。
 私共はきっと、コーヒー業界のダイエーになってみせるだろう。

珈琲野郎のコーヒー宣言 コーヒーにもマスコミ公害!!


1973年7月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
kyowakoku1973-7-150-240

【デパートだけが安い??】

 去る5月の読売新聞の朝刊婦人欄に「コーヒーの原価は9円」という見出しの記事が掲載された。
 この記事の中で、「安いのはデパートのコーヒー売場だけ」という私の談話が伝えられていた。
 じつをいうとこの談話はこのあとに「デパートが売値を上げさせてくれないので、納入業者は品質の悪い豆を混入して何とか原価を低くしようとしている。デパートの豆が安いのにはそんなカラクリがあるのだ」と続きがあったのである。
 結果的にみると、私の談話はコマ切れになり、私の思想と全く逆の方向を意味するものとなってしまったわけである。
 私にとってこの記事はすこぶる不本意であるが、天下の読売新聞サマにイチャモンをつけても勝ち目がないと思い、かつわれわれ庶民としては大新聞サマに名前を載せて頂くだけでありがたいと思わなければならないと思い、泣き寝入りすることにしたといえばかわいげがあるのだが、本当のことをいうとこのような加害者の立場は私にも大いに身に覚えがあるので文句がつけられなかったのである

【土佐の仇、江戸で討たれる】

 私がまだ高知大学の学生だったころ、私は学業そっちのけで放送記者のまねごとばかりやっていた。
 今では立派な放送局となった高知放送も当時はまだ駆け出しのラジオ局で、私のようなマスコミかぶれした学生なんかも、スポンサーのつかない報道番組なんかを結構制作させてくれたものである。
 今から思えば全くのひや汗ものだが、当時は正義の味方を自負して厳正中立なる番組を作ったものである。
 すなわち、その厳正中立というものは、自分の思想と合致するものであり、それにそぐわない意見があれば、容赦なくテープを編集して、自分の思想と合致するように作ったものである。新聞記事ならば、記者の間違いということもあろうが、ラジオだと本人の声を聞かせるので第三者に弁明の余地がないので罪が重い。
 そんな訳だから、いわば「土佐の仇を江戸で討たれた」ようなものであると思っていた。

【広告料で記事は変わる??】

 ところが、2,3日経って某新聞社のデスクをしている友人に会ってその話をしたら、彼のいうには、コーヒーなどということを取材するのは駆け出しの記者で、ベテランはトレーニングのつもりで若手にやらせている。だから、彼らが書いてきた原稿をデスクが大体において反対の意味に書き直すのが常識なんだろう・・・・・・であった。
 しかし、私の目から見ると、取材に来られたY記者はそんな若僧のようには見えなかったし、非常に理解力もあったし、世界的なコーヒー事情などについてもよく書かれていたので恐らくそんなことはなかったと思う。たぶん好意的に考えればデパートさんは沢山の広告を出しておられるのでその点の配慮をなさったのではないだろうか。経済・社会面では、デパート商法などについてずいぶん厳しくやっておられるようだから、もしかしたら婦人欄ではその埋め合わせをなさったのではないだろうか、などと考えられるが、どっちにしろ私がダシに使われるのはあまりいただけない。

【マスコミがもたらすもの】

 日本人はなぜかマスコミは厳正中立でなければならないと思っていて、マスコミに報じられることはすべて本当だと信じてしまう。
 外国だと、新聞だっていろいろな主義主張を公然と唱えていて、大衆もそれをよく取捨選択しているが、日本のマスコミはなぜか厳正中立を売り物にしているので、間違った報道は影響が大きい。
 だいぶ前にNHKの「今日は奥さん」で、コーヒーと紅茶の話を取り上げ、出演されたコーヒー振興委員会のKさんがコーヒーの淹れ方を説明されたとき、濃いコーヒーを作るには2度こせばいいと話されたのを見て、心臓が凍るような思いをした。
 おそらくこのテレビをご覧になった世の奥様方は、NHKのテレビでいったことだから間違いがないと思っていらっしゃると思う。
 こんなことをされては、われわれがいくら美味しいコーヒーを送り出そうと努力しても、まったくメチャメチャにされてしまう。
 コーヒー業界もようやく今までのトリッキーな商法から脱皮して、れっきとした食品産業として大きな飛躍を遂げようとしているがそんなときだけに、マスコミ関係者はひとつ、たかがコーヒーのことではあるが慎重に真実を報道してもらいたいものである。

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