珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒー豆を売るより、管理を売ろう!!


1973年6月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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【家庭のコーヒーは豆が勝負】

私の主宰する日珈販の加盟店では、当社の発売している高級珈琲豆「まごころ」をブレンドコーヒーで100gあたり220円で販売しています。
 通常デパートで販売のコーヒー豆は普通のブレンドで120円~160円位ですから、ずいぶん高いものを売っているわけです。
 しかしその高いコーヒー豆がその辺の安物よりもはるかに多く売れています。
 それも、値段さえ高ければ高級品だろうという単純な高級品嗜好に乗っかって売れているのではけっしてありません。なぜならば、値打ちのよくわからない美術品・宝石ならいざ知らず、コーヒーは食料品ですから必ず皆さんの口の中にはいってその味をためすことができるわけですから、高いだけの値打ちがあるかどうかは、判断できます。
 しかも、最近次々と開店しているかっこうばかりの珈琲専門店と違って、家庭で飲むコーヒー材料となりますと、そんな雰囲気でのごまかしはききません。 
 ですから、私達は胸を張って品物が良いから売れるのだと大いばりで売っていられるのです。

【100kgの豆を廃棄処分にする】

 さて、日珈販の加盟店で売っているコーヒーの品物はどう良いのでしょうか?
 まず単純に考えられることは、原料豆の品質の違いです。確かに品質は違います。だが、そんなに値が違うほどほかのものと品質が違うわけではありません。
 だとすると加工法でしょうか。それは大いにちがいます。小さなロースターによる手造りのコーヒー豆ですから風味も違うしいわゆるコーヒー豆の味がします。
 しかし、品質の良い豆を手造りで作っただけでは本当に美味しい豆をコーヒー党の皆さんにお届けすることはできないのです。
 最近日珈販のある加盟店で100kg以上の豆を廃棄処分にしました。理由は焙煎後の保存期間を越えたからです。
 このように販売店が、積極的に自分の店の豆を管理し、たえず美味しい豆を売ろうという姿勢がなければコーヒー党の皆様に美味しいコーヒーを飲んでいただけないのです。
 日珈販の加盟契約書第5条第8項には「加盟店は商品及び指定メニューの品質の維持に関して細心の注意を払わなければならない。また、鮮度を生命とする商品及び指定メニューに関しては、本部の指示する期限以内に販売しなければならない。在庫管理不行き届きのため限度を越えてストックされたものに関しては本部はその廃棄を命ずることができる。この場合、廃棄されたものの代価は加盟店の負担とする」と規定されており、自発的に管理を行わない店に関しては本部は強制的に管理を行う権限を有しています。
 幸いなことに、このような権限を本部が行使したことは一度もありません。

【安かろう、悪かろうのデパートのコーヒー豆】

 デパートやスーパーマーケットあたりでも、私が見て回りますと平気で変質したコーヒー豆を陳列しているのをよく見かけます。
 デパートさんあたりは、国民的感情を重視してとやらで、値段を安くすることばかり気を使って、腐りかけのコーヒー豆や、安物の粗悪品をタップリ混ぜ合わせたコーヒー豆を得々としてお売りになっているようですが、コーヒーは日常品化しつつある食品ですから、フランスの無名の画家の絵を雑貨として輸入して「フランス名画展」とやら銘打って売るようなわけにはいかないのです。だからもう少し良心的な売り方をしてもらいたいものです。
 もっとも、日本のデパートやスーパーにはマーチャンダイザーはいなくて仕入れ屋しかいないそうですから、どだい専門的な知識を求めるのが無理なのでしょうが、それならそれでデパートやスーパーに納品している焙煎業者は得意先におもねってばかりいないで、もっと正しいことを教えてやるべきではないでしょうか。そうしないといまに自分の手で墓穴を掘ってしまうことになるでしょう。
 またもう一つ見方を変えれば、食品専門店と自他共に認め、高級品を売ることを誇りにしている青山・国立・軽井沢のK屋さんあたりでも、100g140円程度のブレンドコーヒーを自社ブレンドとして売っているくらいですから、われわれ本物のコーヒー専門店以外にそのような高度の販売方法を求める方が無理かもしれません。
 だとすると、当分の間、われわれにとってはありがたいことですが、加盟店のない地区のコーヒー党の方には全くお気の毒なことですね。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒー専門店は食品産業である


1973年5月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
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【小田急、コーヒーの香を拒否する】

日珈販が、コーヒー売店の実験店として計画していた小田急経堂ビルショッピングタウンへの出店が、小田急側の拒否により中止となりました。
 私は小田急さんから拒否された理由については、天下の小田急さんのことですから、私共のようなチッポケな会社に貸すことが気に入らなくても全く文句をいう筋合いではないとご理解申し上げているわけですが、その拒否の理由が気に入りません。拒否の理由は「コ―ヒーの臭いが、他の業種に迷惑を及ぼす」というのです。特に、商店街の化粧品屋さんが反対なさったということなのですが、これはますます納得できません。
 一体、コーヒーの香りというものは、他に迷惑を及ぼすものなのでしょうか。
 最近我が国のコーヒーの消費量は急速に伸びて、遂に世界で7番目の消費国になったといいます。つまりそれだけ沢山の方がコーヒーを愛飲されているということになります。
 喫茶店で飲まれるばかりでなく、家庭でもどんどん飲まれる時代です。私共日珈販のチェーン全体のコーヒー販売量をみても、月間取扱い量1500キロのうちその65パーセントにあたる1000キロは売店で売られています。ということは、コーヒーの量でいえば65パーセントは家庭で飲まれているということなのです。しかもこの傾向は一層強くなり、近いうちに家庭で飲むコーヒーは全消費量の70パーセントを越えるだろうと予想されています。
 このように大衆の中に浸透し、定着化しつつあるコーヒーの香りを、他に迷惑を及ぼすものとして取り扱われることは、コーヒー党として絶対に納得するわけにはいかないのです。
 化粧品の合成された匂いが、コーヒーの天然の香気よりも良質だという考え方は間違っていると思いますし、そのように考えるから有害な着色料の入った食品や毒入り油を食べさせられたりするのだと思います。

【コ―ヒー専門店とは何か】

 さて、コーヒーの不当な取り扱いについての抗議はこの位にして、この商談に関連して考えさせられたのは、コーヒー専門店というと喫茶店の一種であるという考えが非常に強いということです。
 恐らくこれは、コーヒー専門店を経営なさっている方たちについてもいえるのではないかと思うのですが、もうそろそろコーヒー専門店も先に述べたように、コーヒー自体が商品としても十分に一人立ちできるようになってきたわけですから、食品産業だという認識に立って考えてごらんになってもいいんじゃないかと思います。
 考えてみれば、コーヒー豆の消費量からみれば、家庭用のほうが多くなりつつあるというのに、コーヒー専門店といえば、依然としてコーヒーを飲ませる喫茶店というのでは、どうも話の筋道が立たないような気がします。
 今回の小田急さんの問題にしてみても、コーヒー専門店がお茶屋さんや乾物屋さんと同じ業種なんだという認識を関係者の方がお持ちになれば、また別の結果も得られたかと思います。
 結局は、われわれコーヒー専門店を経営するものが目先の商売しか考えないでコーヒー専門の喫茶店で甘んじていたり、焙煎業者にしても、家庭用・業務用各々の将来を見透かしていながらその日暮しに気をとられて、コーヒー業界全体の育成という業界の死命を制する問題に取組まないでいると、今に大変なことになってしまいます。
 私にいわせれば、特に焙煎業者の方は、共同焙煎だ、製造の合理化だという美名の下に行われる商社の市場支配の手口にひっかからないで、もっと、業界のリーダーとして実のある仕事をしていかないと、焙煎業者自体の存在価値がなくなってきます。
 商社といえば、コーヒー業界は商社の市場支配の手口のサンプルみたいなものです。まず価格の上昇を押さえて弱小業者を潰し、市場占有率が大きくなると今度は価格を自由に操作するというやり口が、そのまま適用されているようです。
 コーヒー業界は、いわば無菌状態のところへ病原菌が入って来るようなもので、その抵抗力のなさが心配です。商社の市場支配になると、商社は価格だけでなく品質まで支配するのは明らかで、そうなると採算のみを重視した不味いお仕着せのコーヒーを飲まされることになるわけで、それがわれわれコーヒー党には我慢できません。
 そうならないために、焙煎業者やコーヒー専門店の方たちには、大いに頑張って頂きたいと思います。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 珈琲の味を悪くするのは誰か?


1973年4月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より

一、専門家のいない
珈琲専門店
 コーヒー党宣言も本号でいよいよ2年目に入りますが、コーヒーを取巻く国際的、国内的環境は共に厳しさを増しているようです。
 一方、昨年あたりから急速にブームを呼んでいる町の珈琲専門店も、その数を増しているようですが、この方は、その人気という美酒に溺れて、コーヒーに関する種々の厳しい要因には気付いていないようです。
 その証拠に、相も変わらず珈琲専門店といえば、サイホンをカウンターの上に並べ、メニューに数種類のストレートコーヒーとコーヒーアラカルトを加え、ただ店先にコーヒー豆やコーヒー器具を陳列してあるだけの店が、次々に生まれています。
 そんな店で試しに少しばかり専門的な質問をしようものならとんでもない答えが返ってくるのが常で、たまりかねて私が本当のことを教えると、この客はオレの店にケチをつけに来たのかという顔をされます。ですから、私はもうこの頃はそのような大人気のないことはしないで、もっぱら私達のチェーンのマニュアル作りのモルモット代わりにいろいろな質問をさせて頂き、その珍妙なる解答を大いに参考にさせて頂いています。
二、業者を殺す
  業界近代化
 さて、最近のコーヒー業界の動きについて、私にはどうもわからないことがあります。その第一は、毎度目の敵にいている共同焙煎工場のことです。
 私達喫茶店の業者は、今日まで少なくとも自分の店独自の味を出すということ、つまり個性を売り物にしてきました。その当然のなりゆきとして、取引先の焙煎業者を選ぶ基準にその業者の個性というものを重視してきたはずです。
 一方、業者にしても、独自の技術を持つことを売物にしてきたはずです。すなわち、業者の技術というものは、その業者のキャリアであり、訓練された職人であったはずです。それを武器にして、業者は独自の配合を行ない、焙煎機を選んで独自の焙煎加工を行ってきたはずです。
 ところが、共同焙煎にするということになると、業者はまず独自の焙煎機を持つことができなくなります。第二に独自の職人も持てません。すなわち、焙煎業者はすでに焙煎業者でなくなってしまうということです。
こう私が申しあげると、業者の方は我々独自の配合があるとおっしゃるかも知れませんが、豆の配合なんてものは、私のような喫茶店のオヤジ風情でもできることです。そんなことよりも焙煎こそ豆の味を決めるということは、業者の方々が十分に存じているはずです。
 私にいわせれば、共同焙煎などということは、業界近代化という美名のもとに行われる企業の統合、乗取りです。個性的な独自の商品を持たない業者たちは結局、値段や商品の無料提供や配送回数の増加等販売コストの増加することで競合しなければならなくなります。こうなれば、共同焙煎で得た製造コストの減少なんてメリットはたちまちふっとんで、残るのは業績の悪化だけです。そして次に来るのは会社の倒産か、共同焙煎工場設立にからむ大手資本への吸収・系列化ということになり、親の代から続いた味の名門も終わりを告げることになるわけです。
 我々コーヒー党にとって焙煎業者が倒産しようが合併されようが関係のないことですが、折角楽しんできた個性的な味が失われて文明の進化?と共に砂漠化しつつある我々の生活が、またまたコーヒーにまで及んで、規格化された品物を飲まされるのかと思うとウンザリしてしまいます。
 もっとも、焙煎業界における近代化の名のもとに大手資本の支配体制の確立に手を貸しているのは焙煎業者だけではありません。珈琲専門店の看板をかかげながら、取扱い商品に対する知識が皆無で、取引き先の言いなりになっている店の態度こそ責められるべきです。店の側に商品を選別するだけの能力があれば、業者のいい加減なやり方を認めるはずがないし、業者だって独自の商品作りにもっと真剣になるはずです。
三、味音痴のコーヒー通
 もっと話を進めれば、能書きばかり達者で味音痴のコーヒー通が多くて、いい加減なコーヒー専門店でも立派に通用するからだということになりますが、それでは我々コーヒー党を本当のコーヒー通にするだけの美味しいコーヒーを飲ませてくれたかということになると、これは全くニワトリとタマゴのどちらが先かみたいな話になります。
 いずれにせよ美味しいコーヒーが飲みたいですね。

珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒー党には知る権利がある


1973年3月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1973年3月

 私がコーヒー党宣言を書きはじめたのが、昨年の四月号でしたからこの号で一年間書き続けたことになります。
 この間に世界的にはベトナムの和平や日本には二度にわたる円に切上げなど、またコーヒー業界ではコーヒーの輸入価格の高騰や共同焙煎工場などの協業化、コーヒー売価の値上げなど話題の多い一年でした。
 そういった動きの中で、私はコーヒー党の立場に立って、コーヒー党として当然知るべき権利を行使しようとすればするほど、コーヒー業界の秘密主義の壁の厚さに驚かされてしまいます。
 私が何か書こうとすると永年取引を重ねてきた相手であっても、まるで貝になったように口を閉じてしまいます。また少しでも彼等コーヒー卸業者達に不利なことでも書こうものなら、その情報を誰が漏らしたかなどという次元の低い詮索ばかりして、自分の誤りを正そうという反省の気配は全くありません。
 まるで沖縄返還交渉における外務省の機密漏洩事件で、政府が国民に嘘をついていたかどうかという点はいつのまにかウヤムヤにしてしまって、西山記者と蓮見事務官に情交があったとかないとかいう話だけがクローズアップされているのと同じことです。
 まして、コーヒー業界における秘密などというものは全く秘密にしておく根拠なんてありません。
 公害企業が害毒を平気でたれ流しておいて、その真偽を確かめようとすると、企業の秘密を楯に調査に応じないのと同様、全く理不尽なことなのです。
 企業の秘密というものは例えばコーヒーの配合の割合とか、焙煎温度の調整の仕方など企業一つ一つが持っている秘密であって、ゴットホットの焙煎機の一般的性能などというのは(カタログ的知識)秘密でもなんでもありません。まして自分の会社の実力をPRしようとするときは、こんなに高性能な設備があるとマスコミなどに発表しておきながら、その欠点を指摘されると企業の秘密を暴露したと怒るのは筋違いです。
 日本の場合はまだ消費者運動が徹底していませんから、コーヒー豆など素人にはよく判らないような商品は適当にゴマカシテ売ることができるでしょうが、アメリカあたりでは間違った宣伝をしたり、宣伝の一部に消費者をあざむくような部分があった場合は、その宣伝に要した費用の三分の一の費用をかけて訂正広告を行うことが義務づけられていてその判定の基準も非常に厳しいそうです。
 広告においてもその位ですから、もし対面販売や品質表示において消費者を偽るような説明を行ったとしたら、その企業は徹底的な糾断を覚悟しなければならないそうです。
 日本のコーヒー業界も、もうこの辺でキワモノ商売から足を洗って、正々堂々と胸を張るような商売をしないと外資系や新興勢力にまたたく間に制圧されてしまいます。自動車のホンダが明治屋と組んでACTコーヒーというレギュラー缶を売り出しましたが、このように従来の業者よりも、資力・企画力に秀れた業者が次々と進出してくることになると、仲間うちでヒソヒソやっているところは、そのうちダメになってしまうでしょう。
 また業務用コーヒーのお得意先だって、今まではいわば水商売のマネージャーマスターの相手だったわけですが、これからは一流企業も飲食業に進出していますから、中途半端な説明なんか通らなくなります。
 私は、私が喫茶店の支配人だった頃、取引先の大手コーヒー会社の課長で現在印刷屋さんとして私のところへ出入りしている田村三郎君とよく話すのですが、「かつて取引のあったコーヒー屋さん達が、さんざんダマシテくれたお陰で私もコーヒー業界に詳しくなった。だから、かつての取引先は私の先生だと感謝しなければいけないのだ」と。
 その度に彼は苦笑いしています。
 だまされるのは、やはりそれだけ本人が不勉強だからです。少なくともプロである以上ダマサレルこと自体恥ずかしいことです。
 もっとも現在の取引先だって結構人をだましてきましたから、もうだまされないつもりでも、もしかしたらやられているかもしれませんが私も大いに勉強して絶対ダマサレないようにしたいと思っています。
 今年の四月で私が喫茶業に足を踏み入れて満十年になります。またコーヒー党宣言も二年目に入りますので来月号以後も一層頑張ってコーヒー党の知る権利を行使すべく書き続けていきたいと思います。


珈琲野郎のコーヒー党宣言 コーヒーは粋に飲もう


1973年2月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
コーヒー値上げの波紋
珈琲共和国1973年2月
 毎度のように申し上げておりました国際コーヒー協定の新市場問題が、いよいよ大詰を迎えて来たようで、そのまえぶれとしてコーヒー豆の卸売価格の値上げが行われようとしています。
 まさに我々コーヒー党にとっては日珈販ニュースの見出しの如くお寒い春としかいいようがありません。
 新市場問題の方は国際コーヒー協定を審議する理事会そのものが空中分解しそうで、新市場の適用除外そのものはまぬかれたとしても、国際コーヒー協定そのものが効力を失いそうなので、新市場もヘチマもなくなってしまいそうです。
 そうなると現実的に国際相場へ移行してしまうので日珈販ニュースに書いてあるように輸入価格が大幅に上がり、結果的には我々の口に入るコーヒーも上がるということになります。
 これがほかの物でしたら高いものは買わないとボイコットするわけですが、コーヒーがなければ夜も日も明けぬ我々コーヒー党にとっては、口惜しく涙にくれながらもインフレムードでとくに軽くなりがちの財布をはたいてコーヒー代を払う結果となってしまうわけです。
個性をなくす共同焙煎
 さて、これからのコーヒー業界ですが値上げのほかに品質の方でもあまり良いニュースがなさそうです。
 一昨年から昨年にかけて東京アライドコーヒーロースターズやユニカフェというコーヒーの共同焙煎工場が誕生しました。この共同焙煎工場の目的は協業化による企業の合理化ということですから、その主旨そのものには反対できません。しかし、聞くところによると大半の焙煎業者がそれに加入しており、小さな業者は自家焙煎を中止すると聞いております。そうなると、今まで小さな焙煎業者が小さな焙煎機で各自煎っていたものが、大きな焙煎機で一ぺんに煎るものですからどこの豆も同じ味になり個性がなくなります。各自配合は変えるでしょうが、煎り方が同じですから似たような味にしかならないようです。
 つまり各焙煎屋さんの個性が失われてしまうわけです。これは、我々コーヒー党にとっては悲しいことです。
 それにもう一つ気に喰わないことは、そこで使われている焙煎機の種類です。大阪にあるユニオンロースターズを除いてはみんなゴットホット社の大型焙煎機を使っています。これは灯油を燃料として6分間で250キロもの豆を煎り上げる性能を持った高性能の焙煎機です。
 私にはその高性能が気に入りません。高性能であるということは、一度に多量の熱風を焙煎機に送り込み早く乾燥させるから早く煎り上がるのです。
 焙煎業者の側からいえば早く煎り上がるということは好ましいことかも知れませんが、我々コーヒー党から見ると熱風を大量に送り込むということはそれだけ成分(アロマ)を飛ばしてしまうわけですから、みんなカラカラのコーヒーになってしまいます。
 コーヒーなんてものは少々煙臭くたってアロマの充分残っているものの方が美味しいにきまっています。コーヒーらしいムードもあります。それがどうやらこの調子でいくと日本中がカラカラコーヒーを飲まされる結果となります。
 アート、木村、UCC等はみんなこの高速焙煎機を採用していますから、コーヒーがカラカラしています。
珈琲野郎の粋な飲み方
 そんな中で手造りの味を作り続けていこうとすると、なみの苦労ではありません。まごころブレンドの加工先キャラバンコーヒーの社長の永田さんに言わせると、ガス代の値上がりは一番こたえるそうです。
 しかし、キャラバンコーヒーとしては、品質が売り物だそうですから、どんなことがあっても手を抜くようなことはしないそうで、これだけはチョッピリうれしいニュースですね。
 珈琲野郎としては、美味しいコーヒーをだれでも気軽にガブガブと飲めるような社会であってほしいと思うわけですが、食品の不足は世界的な問題で、チリーなどではコーヒーも配給制になったということですから悲観的です。
 だけど考えてみれば飲物なんていうものは、余計なことを考えないで気軽に飲めばいいわけです。
 同じようにコーヒー代を使うのなら、美味しい思いをしたらいいにきまっています。日本人は少し能書きが多すぎますね。
 理屈をつけずに飲む、それが粋というものでしょうなどと言っている本人が一番不粋なようですね。

コーヒー野郎のコーヒー党宣言  本物のコーヒー飲みになろう!!


1973年1月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1973年1月
 あけましておめでとうございます。
 昨年中は御愛読をいただきましてありがとうございました。今年も引続きよろしくお願い申上げます。
 さて本号からこの欄はコーヒー野郎のコーヒー党宣言とタイトルを変え、私山内豊之が歯に衣を着せないでズバリズバリと書かせていただくことになりましたが、口を開けば角が立ち、人の嫌がることをズケズケ言わぬと気の済まぬ私のことゆえ、イチイチひっかかる論法も多いかと存じますが、その節はドシドシ編集部なり日珈販の本部なりに御意見をお寄せいただきたいと存じます。紙面の許す限り本誌に掲載し、チョウチョウハッシと大いに論議を戦わせたいと思っています。特に、焙煎業者やコーヒー専門店を経営なさっていらっしゃる方の御意見を歓迎いたします。
☆ ☆ ☆ ☆
昨年12月6日付の日経流通新聞に興味深い記事が載っていました。芦田典介さん(トラベル・システムズ・インターナショナル)のレポートです。
 コーヒー天国のアメリカで若者達のコーヒーの飲用が減り、ソフトドリンクにとって代わられようとしているということなんです。
 その原因はまったくコーヒーそのものにあるのではなくパーコレーターとインスタントコーヒーの普及にあるのだそうです。前者には美味しいコーヒーを淹れる能力が全くないし、後者は本物の味にはほど遠い代物だということで、アメリカ人達はコーヒーの本当の美味しさを忘れてしまったということです。その結果ソフトドリンクの方へ移ってしまいつつあるのだということです。慌てたコーヒー会社では、学校やさまざまの集会に指導員を派遣して正しいコーヒーの淹れ方を教えたり、正しいコーヒーの淹れ方をしているレストランなどにゴールデンカップの表彰を行ったりして、美味しいコーヒーのイメージを取戻すのに懸命だそうです。
 最近日本のコーヒー専門店も、サイホンでコーヒーを淹れたり、インテリアや食器に粋を凝らしたりして客を誘引しているようですが、そんなことばかりに気をとられてカンジンのコーヒーの味をおろそかにしていると、アメリカのようにコーヒーが生活に定着している国でさえも前述の如きありさまですから、日本なんかすぐにコーヒーを飽きられてしまいます。しかし、考え方によれば、演出ばかりでコーヒー専門店のイメージを売込んで商売しているような店は、我々のようにコーヒーと心中しようとまで思い込んでいる珈琲野郎と違ってコーヒーが飽きられれば別の業種へ転向すればいいのですから気が楽です。そんな人達から見れば我々のようにコーヒーにムキになっている連中は馬鹿にみえるかも知れませんが、我々コーヒー党にとっては珈琲馬鹿野郎大いに結構といいたいところです。
 先日銀座で今評判のコーヒー専門店でコーヒーを飲みましたところが、色付カップの底が見えるくらい薄いのには驚きました。砂糖とクリームを入れると、まるで駅売りのコーヒー牛乳の薄いのみたいになってしまって閉口しました。コーヒー豆は売っていませんでしたが、恐らく豆で勝負する自信がないのでしょう。
 私は本当のコーヒー専門店の使命は、美味しいコーヒーと品質の良いコーヒー豆を提供することにあるのではないかと思います。
 皆さんも演出は演出として楽しむとしても、本物の味は目先にとらわれることなくジックリと自分の舌で味わってください。それが本物のコーヒー飲みというものです。

コーヒーの味より演出が売り物!! ―ブームを呼ぶコーヒー専門店―


1972年12月1日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年12月
 最近、コーヒー専門店と称する喫茶店が目立って増えている。日珈販の本部へも、毎日コーヒー専門店を新しく始めたいという方とか、コーヒー専門店に転業したいとかいう方の相談の電話や来訪がある。この調子だと今後もますますコーヒー専門店という店が増えていくであろう。
 我々コーヒー党にとって、コーヒー専門店が増えること自体は歓迎すべきであるが、日珈販に相談にこられる方たちのお話を伺ったり、コーヒー専門店と称する店の実体を見たりしていると、果たして歓迎すべきものかと考え込まざるを得ない。
 結論を言えば、コーヒー専門店と現在もてはやされている店の実体が、コーヒー専門店ではないからなのである。つまり、専門店なら専門店として、専門のノウハウを持たなければならないのに、それを持ち合わせている店は皆無に近いと思う。
 たとえば、コーヒー豆の品質に関していえば、一口飲めばアフリカ産のロブスター種という劣等品が多量に混入されているのがわかるもの。生豆の段階で腐りかけているために焙煎後も腐敗臭が鼻をつくもの、豆の芯まで火が通らず生の大豆のような味のするもの、豆の古いもの、あるいは今どき手焙き等やっている業者なんか一軒もないのに焙煎業者の口車にのせられて手焙きだと宣伝(飲めば熱風焙煎とすぐわかる)するもの等、業者の言いなりで品質管理の能力に欠けるものが大半である。
 またコーヒーの調理についていえば、ペーパーフィルターやサイホンで抽出されたコーヒーは、変化がネル布のドリップ法で抽出されたものより非常に早いという初歩的な常識すら無視して、ペーパーを使った自動抽出機で抽出したコーヒーをその保温プレートの上に放置したり、サイホンでまとめて抽出したものを、アルコールランプであぶりっ放しにしたりして平気である。これらのコーヒーは抽出後5分以内に提供すべきであること位、コーヒー専門店の看板をかかげる以上、絶対に知ってもらいたいと思う。筆者があるコーヒーの美味しいことで高名なコーヒー専門店でコーヒーを注文したところ、目の前で自動抽出機で抽出したコーヒーをアルミの鍋で沸かし直して提供されたことがある。このときなど同業者としてまさに顔から火の出る思いであった。また余談ではあるが、コーヒー専門店と称する店の中で、サイホンコーヒーを売り物にする店が非常に多い。ところが、これらの店の方たちが本当にサイホンというものを知っているのだろうかと思う場合が多い。
たとえばサイホンで淹れたコーヒーが濁るのは何故か、とか、サイホンには生豆のときに配合して煎り上げたコーヒーの方が味が安定するのは何故か、とかいうことに専門的に答えられるのだろうか。ヒドイ店になるとフラスコに水を注いでいるが、これなんかはサイホンの湯が上昇するのは、フラスコに密閉された空気の圧力が上昇して湯を押し上げるのだというサイホンの原理すら知らないということである。
 以上のように考えてみると、コーヒー専門店と称する店の本質がコーヒー専門店でなく、タダの喫茶店にすぎないということがわかってくるのだが、それでは最近のコーヒー専門店のハヤリ方はいったい何に起因するのだろうか。
 それは一口に言って、コーヒー専門店の持つムードが客にうけているのである。
いかにもコーヒー屋らしいという色彩やインテリアが現代人の好みに合ったということなのである。コーヒーが美味いからそこに行くのではなく、ムードに惹かれて店に行き、専門店のコーヒーだから美味いと錯覚するだけのことなのである。それが現在のコーヒー専門店ブームの本質である。

コーヒー豆の値上がりは品質改善のキッカケ?-劣等品相場の日本市場-


1972年11月1日コーヒー党の機関紙「珈琲共和国」より
kyowakoku1972-11
 前月号で、コーヒーの輸出入取引にはコーヒー協定というものがあり、わが国はその協定の中で新市場指定という優遇措置を受けていることを述べた。そしてその恩恵も最近のわが国を取囲む国際状勢やコーヒー協定の自体の不条理から、来年10月には完全に失われることが必至になったことも述べた。また、これに関連してわが国のコーヒー豆輸入価格が大幅に値上がりしつつあることも述べた。
 さて、正直な話コーヒー豆の値段が上がろうがどうしようが、我々のコーヒー代さえ上がらなければ良いわけであるが、どうもこれを値上げの材料にしようという動きが、既にコーヒー豆卸価格の値上げが行われた北九州市の喫茶店あたりにはあるようである。
 喫茶店のコーヒー代というものは、その材料原価の占める割合が、味を売物の店で18パーセント、インテリアやサービスを売物の店では6パーセントなどというのもある位だから、コーヒー豆の卸値が上がったからって大して影響はない。
だから、コーヒー豆卸価格の値上げを理由にする値上げは単なる口実である。つまり何もコーヒー豆が上がらなくたって、公共料金が上がったとか人件費が高くなったとか、角さんの日本列島改造論のおかげで地価が高騰し家賃が上がったとか色々な理由で値上げの必要があるわけなのである。
 だから、コーヒー豆輸入価格の値上がりによって本当の影響を受けるのは、我らコーヒー党が家庭で飲むコーヒーなのである。
 話は新市場の問題にもどるが、この恩典によってわが国ではすべてのコーヒー豆を安い価格で輸入できたのかというと、そうではない。コーヒー協定ができた当時は世界的にコーヒーの生産が過剰であり、ブラジルなどはコーヒー相場の暴落でその国家経済に手痛い被害を被ったりした。だから、生産国側としても何とかコーヒーを消費してもらわねば困るし、そういった建前から生まれたコーヒー協定であり新市場制度であったのである。ところが最近では、過去の苦い経験に懲りたブラジルの脱コーヒー化政策の推進や、それに加えての霜害によって生産量が大幅に減少しており、世界的に見てコーヒー市場は、その主導権が消費国から生産国へ移りつつあるのである。従って、良質の値段の高いものなら何もワザワザ日本へ安い価格で売らなくてもヨーロッパ等伝統的市場国へ売れるわけで、よほどの劣等品でない限り我々へ新市場制度適用の低価格では売らないわけである。つまりこの恩典に浴していたのは劣等品ばかりであり、わが国のコーヒー輸入価格が安かったのは、劣等品を安く輸入しそれを良質のものに混入していたからなのである。
 世界的に舌がウルサイと自他共に認めてきた日本人が、コーヒーは日本のものが一番うまいとウヌボレていた日本人が、実が劣等品のコーヒーをタップリと飲まされてトクトクと能書を語っていたとは全くサマにならない話なのである。
 だから、値上げといっても実の話は品質相応の値段になるというだけの話であって、劣等品のコーヒーを混入することによって原価を安くし暴利を得ていた焙煎業者のウマミがなくなるだけの話なのである。
 今回のコーヒー協定をめぐる問題は、見方によってはわが国のコーヒー豆輸入価格における良質品と劣等品の格差をなくし、その結果としてわが国の市場に良質のコーヒー豆がどんどん輸入されて、我らコーヒー党にとっては朗報のキッカケとなるかも知れないのである。そのためには、我々は今後の焙煎業者の動きを二度と惑わされぬよう注意深く見守る必要があろう。


近くコーヒー代が大幅値上がりする? -知られざるコーヒー協定をめぐって- 


1972年9月・10月合併号 コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年9、10月
 去る8月14日から9月3日まで、ロンドンにおいて国際コーヒー機構の総会が開催された。この会議は珈琲生産国の代表と消費国の代表が、珈琲の輸出入割当てについて取決めをする会議である。
 われわれ巷のコーヒー党にとっては遠過ぎる話で、紋次郎バリにアッシにはカカワリアイのないことでゴザンスといいたいところだが、今回のそればかりは、日本のコーヒー党にとって注目すべき会議であったのである。というのは、この会議の動向いかんによっては、日本における珈琲の輸入価格が値上がりし、その必然的結果としてわれわれの珈琲の値上がりも避けられない事態となることが明白であったからである。円切り上げ、輸入品の値下げが叫ばれる今日、純然たる輸入品である珈琲が時代に逆行する値上げとは誠に不可思議な話であるが、これには一般のコーヒー党には知られない事情があるのである。
 国際コーヒー機構に加盟する消費国と生産国の間には、5年を単位として珈琲協定が結ばれている。その中にニューマーケット条項というのがある。これは、従来の日本のように珈琲の普及率の低い地域に対しては、生産国がその普及促進の目的をもって低級品の珈琲を安く輸出しようというものである。ところが実際にその制度を運用してみると、一応その効果により日本などの珈琲消費量の拡大は企てられたものの、他に大きな不合理を惹き起こすこととなった。というのは、アメリカ・ヨーロッパなど伝統的な市場に確固たる販路をもつ先進国はいいとしても、新市場にその販路を求めざるを得ない新興生産国にとって、そのニューマーケットなる条項は単に珈琲の安売りを強制させられる制度にしかすぎなかったのである。つまり、ヨーロッパなどに売込んでも買ってもらえず、仕方なく日本などへ売れば安値を強いられるという訳である。そこで、これら新興諸国は、この制度を撤廃しフリーな価格での取引を要求してきているのである。幸い今回の会議では、一応議題にはならなかったのであるが、しかし議題にならなかったということは、珈琲協定5年目の期限である来年9月をもって、ニューマーケット条項は次の協定より削除されることが既定の事実という考えが、関係者間において定説化されているからなのである。
 では一体、ニューマーケット制が撤廃されたら珈琲豆は輸入価格でどのような値上がりをするのであろうか。業界筋の一致した見方では、高級品は値上がりなし、低級品は100パーセント位、平均50~60パーセントの値上がりとなっている。従来の行き方であると、日本のコーヒー業界は、アート・木村・UCCの三者がプライスリーダーとなって大方の価格を操作することができた。ところがこれを契機に日本のコーヒー業界を一気に支配せんとする外資もあり、また、全三者も各々商社をバックに業界支配をねらっており、値上がり分を消費者に肩代わりさせることはないとみられているが、それでも20~30パーセントの値上げは避けられない模様である。
 さて、珈琲豆が値上げになったらわれわれの珈琲はどうなるのだろうか。ズバリいって、喫茶店の珈琲については値上げの口実にはならない。なぜならば喫茶店の珈琲代は大半が人件費その他の経費であるから、珈琲代の値上げは何ら問題とならないのである。
 では、店頭で売っている珈琲豆の値段はどうなるであろうか。その点については次号で詳しく述べたい。


怪談ブルーマウンテン 本物・ニセ物?よりも味が一番


1972年8月15日コーヒー党の機関誌「珈琲共和国」より
珈琲共和国1972年8月
 猛暑の中、コーヒー党の皆様はいかがお過ごしでしょうか。残暑お伺い申し上げます。
さて、今月のコーヒー党宣言、暑苦しい話はやめにいたしまして、夏向きにお化けの話と趣向を凝らしました。題して怪談ブルーマウンテン。どのようなお化けが飛び出しますか、それは読んでのお楽しみ、です。
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 ブルーマウンテンという珈琲、大英帝国王室御愛飲というのが元大日本帝国国民のお気に召したのか、わが国のコーヒー党はべら棒にこの珈琲をありがたがる傾向がある様です。ところがこのブルーマウンテンなる珈琲、やれ本物はどうだ、にせ物はこうだとコーヒー通を自認する輩のクチウルサイ事、巷間に珍説・怪説が飛び交っている訳ですが、まずその枯尾花の正体を明らかにしておきましょう。
 ブルーマウンテンは、カリブ海に浮かぶ西インド諸島のジャマイカという小さな島国で産出されます。その島にブルーマウンテンと呼ばれる山があり、その山の海抜1000メートル以上の山で栽培される珈琲に限ってブルーマウンテンと呼ばれます。ジャマイカ全土から産出される珈琲の量は全世界の産出量の1パーセントに満たず、更に、ブルーマウンテンはジャマイカコーヒー全体の5パーセント程度ですからその希少価値は大変なものです。その上、ブルーマウンテンがNO1・NO2・NO3・バレー・トリアージに等級が分かれていますから、最上級品のブルーマウンテンNO1となれば、まさにその希少価値はダイヤモンド並です。
 そこで当然そんな希少価値のものが本当にわが国へ輸入されているのかという疑問をもたれると思いますが、驚くなかれブルーマウンテンの大半は日本へ輸入されているという事です。
 聞くところによると日本人みたいにブルーマウンテンをほしがる人種はないそうで、ジャマイカにとってはいいお得意さんだそうです。ところでこのブルーマウンテンという代物、コーヒー通が目の色を変えて求めるほど美味しいかというとそれはどうでしょう。
 ある婦人団体で昨年調べたところによりますと、東京都内で売られているブルーマウンテンの量は、ジャマイカコーヒー1年分の産出量の全部に匹敵する量だったそうです。東京だけでこういう結果ですから、全国的にみれば言わずと知れた事、かなりのにせ物が出回っているという事です。まず考えられる事は、ジャマイカコーヒーの中のローランドコーヒーと言われる低地産の物をブルーマウンテンと言って売る手ですがそれでもまだ足りない訳です。そんなときにはメキシコの上物を転用するそうです。
 いかにも知った顔をして珈琲に関するウンチクを傾けながら、珈琲はやはりブルーマウンテンに限るなんて言っているコーヒー通とやらも、何やら滑稽な感じがしますね。
 しかし考え方によれば、珈琲は飲んで美味しければそれで良いはず、案外とだまされている方が理にかなっていると言えるかも知れません。
 さて、このブルーマウンテンというお化け-涼しくなると今年も又ドロドロと出て来そうですね。

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